井上信治さんは、東京都第25区選出の衆議院議員です。1969年10月7日生まれ。学習院初等科、開成中学校・高校、東京大学法学部、英国ケンブリッジ大学大学院を経て、建設省・国土交通省や外務省で勤務しました。官僚、留学、地域活動と幅広い経験を重ねてきた人物です。
家庭では妻と3人の子供がいることを本人プロフィールで公表しています。青梅市河辺町で家族と暮らし、実家は医師一家。本人は男4人兄弟の次男で、兄弟3人は眼科医になりました。
- 家族は妻・子供3人です。
- 幼少期はわんぱくで、小学生時代はサッカー部。ボーイスカウトにも参加した。
- 幼少期はわんぱくで、地域を自転車で回るなど行動的な一面がある。
妻と子供3人の家族
井上さんは妻と3人の子供がいることを本人プロフィールで公表しています。妻の氏名や子供の名前・年齢・学校など、私生活の詳細は現在の公式プロフィールでは紹介されていません。
家族とともに青梅市河辺町で暮らしており、西多摩を生活の拠点として長く活動しています。
実家は医師一家|男4人兄弟の次男
井上さんは医師の家庭で育ちました。本人は男4人兄弟の次男で、兄弟のうち3人は両親の跡を継いで眼科医になっています。
幼い頃は自分も医師になって人の役に立ちたいと考えていましたが、中学生になる頃には、もっと多くの人の暮らしに関われる仕事として政治家を意識するようになりました。
開成中学・高校から東京大学へ
学習院初等科を卒業後、開成中学校・高校へ進み、その後は東京大学法学部で学びました。学生時代には友人との交流も大切にしていたことを公式プロフィールで振り返っています。
趣味はマラソンと温泉巡り
本人プロフィールでは、趣味としてマラソンや温泉巡りを挙げています。地元で行われる青梅マラソンにも長く参加してきました。
子供の頃はわんぱく|サッカーとボーイスカウト
現在の落ち着いた印象とは違い、子供の頃はかなり活発だったそうです。本人の公式プロフィールには、兄弟げんかをするわんぱくな少年だったというエピソードが残っています。
小学生時代はサッカー部で、毎朝の練習に参加していました。本人は当時を振り返り、練習は大変だったものの、サッカーにはそれなりに自信があったと話しています。
また、ボーイスカウトにも参加しています。体を動かすことが好きだった少年時代の経験は、現在も続くマラソンや地域活動につながる一面のように見えます。
高校入学式ではパーマ姿|意外に自由な学生時代
開成中学校・高校では勉強だけに追われていたわけではありません。本人は高校入学時の写真を紹介しながら、当時はパーマをかけて少し気取っていたと振り返っています。
東京大学法学部へ進んだ後も、学生生活は勉強一辺倒ではなかったようです。友人たちとの時間を楽しみ、本人自身が「遊んでばかりいた気がします」と振り返るほどでした。
一方で、中学・高校時代から将来の仕事や社会について友人と語り合うことが多く、人々の暮らしを支える仕組みに関心を持つようになっていきました。
英国ケンブリッジ大学大学院へ留学
官庁勤務の途中には英国ケンブリッジ大学大学院へ留学し、土地経済学を学びました。世界各地から集まった学生と生活しながら、日本とは異なる制度や考え方に触れています。
海外で学んだ経験は、その後の国際分野や環境分野に取り組む際の視野にもつながりました。国内だけでなく、外から日本を見る時間を持ったことは大きな転機の一つです。
建設省・国土交通省で約10年|外務省にも出向
東京大学卒業後は建設省に入り、のちの国土交通省で行政実務を経験しました。道路や都市、地域づくりに関わる分野だけでなく、外務省へ出向した時期もあります。
外務省では東欧地域を担当し、国際情勢が緊迫する中で連日の対応に追われた経験もありました。国内行政だけではなく、外交の現場に近い仕事を経験したことも、後の幅広い活動につながっています。
若い頃に行政の内側を長く見たことで、制度がどう動くのか、現場の声をどう政策に反映するのかを実務として学びました。現在の経歴の土台には、この約10年間の官僚経験があります。
好きな食べ物はラーメンとカレー
本人プロフィールでは、好きな食べ物としてラーメンとカレーライスを挙げています。元大臣や党幹部という肩書きから受ける堅い印象とは違い、食の好みはかなり親しみやすいものです。
好きな言葉は「初心忘れるべからず」。長く仕事を続ける中でも、最初に抱いた気持ちを大切にする姿勢を表す言葉として掲げています。
「初心忘れるべからず」
出典:井上信治公式サイト「プロフィール」
学生時代を語る言葉にも素顔が出る
本人公式プロフィールには、若い頃の写真とともに当時の気持ちがかなり率直に残されています。特に大学時代を振り返る言葉には、堅い経歴だけでは見えない一面があります。
「あまり勉強しないで、遊んでばかりいた気がします…」
出典:井上信治公式サイト「プロフィール」
東大法学部卒、元官僚という肩書きだけを見ると、学生時代から一直線に仕事へ向かっていた印象を受けます。しかし本人の回想からは、友人との時間や遊びも楽しんでいた普通の学生らしい姿が見えてきます。
「毎朝の練習はつらかったけど、結構上手かったんですよ」
出典:井上信治公式サイト「プロフィール」
この言葉は小学生時代のサッカーについてのものです。現在もスポーツとの縁が続いており、地域のサッカー関係者とのつながりも大切にしています。
中学生の頃から「多くの人の役に立つ仕事」を意識
医師の家庭で育った井上さんは、幼い頃には自分も医師になることを考えていました。ただ、中学生になる頃には、一人ひとりを診る仕事とは別の形で、社会全体を良くする仕事に関心を持つようになったと説明しています。
その思いから、大学では法律や行政を学び、卒業後は行政の現場へ入りました。若い頃から描いていた方向と、その後の進路がつながっているのが井上さんの特徴です。
2003年に官僚生活を終え、新しい道へ
およそ10年にわたる行政実務を経験した後、2003年に官庁を退職しました。長く考えてきた「もっと直接、地域や社会に関わる仕事」へ進むための大きな転機です。
それまで積み上げた安定したキャリアを離れる決断でしたが、本人にとっては突然の方向転換ではありません。中学・高校時代から考えてきた将来像へ、ようやく踏み出した形でした。
厳しい時期に「初心」を見つめ直した
長い活動の中には、思うように物事を進められない時期もありました。本人はそうした時間に多くの人と話し、自分が仕事を始めた理由を改めて考える機会になったと振り返っています。
好きな言葉として「初心忘れるべからず」を掲げているのは、こうした経験とも重なります。役職や年数が増えても、出発点を忘れないことを自分への戒めにしています。
被災地へ何度も足を運んだ経験
東日本大震災と福島第一原発事故への対応に関わった時期には、被災地へ繰り返し足を運びました。本人プロフィールでは、現地を200回以上訪れた経験にも触れています。
机上で報告を読むだけではなく、現地へ行き、当事者の声を聞くことを重ねた経験は、その後も被災地の復興を大切なテーマとして考えるきっかけになりました。
大阪・関西万博の準備にも関わった
2020年には国際博覧会を担当する大臣として初入閣し、大阪・関西万博の準備が本格化する時期に関わりました。科学技術や宇宙政策など、これまでとは異なる分野も担当しています。
行政官時代の経験に加えて、環境、復興、国際博覧会など幅広い分野を扱ってきたことが、現在の活動領域の広さにつながっています。
2026年現在は東京25区で9期目
2026年の衆議院選挙を経て、井上さんは当選9回となりました。衆議院の最新一覧でも東京都第25区選出の現職議員として掲載されています。
自民党の現行プロフィールでは、現在の主な役職は幹事長代理です。東京都連会長も務めており、過去に担当した国際博覧会担当大臣は現在の役職ではありません。
選挙では自転車で地域を回る
井上さんは選挙の際、できるだけ地域の人と近い距離で話せるよう、自転車で回るスタイルを続けています。車の中から手を振るだけではなく、声をかけられた時にすぐ止まり、直接話せることを大切にしています。
「有権者の皆さまとの距離感が近いことはとても大切」
出典:井上信治公式サイト「プロフィール」
本人はこの自転車での活動を楽しんでいるとも紹介しています。国会での仕事とはまったく違う、地域の一人ひとりと向き合う時間を大事にしていることが分かります。
街頭で話す時は人が多いほど気合いが入る
人前で話すことにも慣れており、街頭演説については聴衆が増えるほど気持ちが高まると本人が振り返っています。
「聴衆が多ければ多いほど気合いが入る」
出典:井上信治公式サイト「プロフィール」
子供の頃は兄弟げんかをするわんぱくな少年だった井上さんが、現在は多くの人の前で自分の考えを伝える仕事を続けています。若い頃から現在までをつなげて見ると、行動力のある性格が一貫していることが分かります。
自民党公式動画で本人の話し方を確認
自民党の公式ページには、井上さんが国会での仕事について説明する動画も掲載されています。文章だけでは分からない話し方や雰囲気を見ることができます。
官僚時代は震災対策・空港環境・バリアフリーも担当
井上さんの官僚時代は、単に中央省庁の机上業務だけではありません。1995年には住宅局で、阪神・淡路大震災を受けた安全なまちづくりや法整備に関わりました。
2000年には航空局で空港周辺の騒音や環境対策を担当し、伊丹空港や福岡空港へ何度も足を運びました。現地住民や自治体の声を聞きながら、生活環境と交通インフラをどう両立させるかという実務に向き合っています。
さらに住宅局では、高齢者や身体障害者に配慮した建築物のバリアフリー化やシックハウス問題にも携わりました。現在の活動分野が環境、住宅、福祉、都市政策まで広い背景には、若い頃の行政経験があります。
留学では都市計画・交通・住宅政策を学んだ
ケンブリッジ大学大学院では、土地経済学部で都市計画や交通、住宅政策を学びました。卒業論文のテーマは歴史的な町並みの保存に関する政策の変化です。
世界各国から集まった留学生と共同生活を送り、異なる文化や価値観に触れた経験も本人の視野を広げました。国内制度だけを見るのではなく、海外の事例と比較しながら考える習慣を身につけた時期です。
青梅マラソンは10年以上連続完走
マラソンはプロフィールに書くだけの趣味ではありません。本人公式サイトでは、青梅マラソンに毎年参加し、10年以上連続で完走していることが紹介されています。
沿道からの応援を力にして走り切るのが恒例になっており、地域行事へ参加することと、自分自身が体を動かすことの両方を楽しんでいます。長期間続けている点からも、継続力の強さがうかがえます。
医師一家の次男から、行政と地域をつなぐ道へ
井上さんは、医師一家の4兄弟として育ち、兄弟3人が眼科医になる中で一人だけ違う道へ進みました。子供の頃のサッカーやボーイスカウト、開成・東大での学生生活、海外留学、約10年の行政実務と、現在の姿につながる経験はかなり多彩です。
家庭では妻と3人の子供を持ち、趣味はマラソンや温泉巡り。好きな食べ物はラーメンとカレーライスです。肩書きだけでは見えにくいこうした日常的な一面も、井上信治さんの人物像を知る重要な要素です。
眼科医一家の息子なのに、本人は子供の頃から眼鏡
井上さんの公式プロフィールには、眼科医一家ならではの少しユーモラスなエピソードもあります。眼科医の息子でありながら、本人自身は子供の頃から視力が悪く、眼鏡をかけていました。
現在もコンタクトレンズを使っていると紹介しており、本人も昔の眼鏡姿を見ながら当時のデザインに時代を感じると振り返っています。医師一家という堅い背景の中にも、こうした身近なエピソードが残っています。
小学校の遠足で訪れた地域が、のちの生活拠点に
小学生の頃、遠足で旧秋川市の東京サマーランドを訪れたことも本人プロフィールに残っています。当時は都心で暮らしており、将来この地域と深く関わるとは想像していませんでした。
その後、西多摩を生活と活動の拠点に選び、長く地域と関わることになります。子供の頃の何気ない遠足先が、後の人生で重要な場所になったというのも印象的なつながりです。
井上信治氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
少年時代
大学時代
地域との距離
初心
- 井上信治公式サイト プロフィール 家族、血液型、趣味、学歴、幼少期、兄弟、現在の主な役職を確認
- 井上信治公式サイト 私の決意 政治家を志した理由、家族と西多摩で暮らす決意を確認
- 井上信治公式サイト これまでの歩み 2026年2月の9期目当選、2025年以降の党役職を確認
- 衆議院 井上信治 議員情報 東京25区、当選9回、学歴、経歴、2026年8月時点の役職を確認
- 首相官邸 国際博覧会担当 井上信治 生年月日、学歴、初入閣時の経歴を確認
- 自民党公式YouTube 井上信治出演動画 自民党公式動画として本文に採用











































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