柏倉祐司さんは1969年4月10日生まれの医師で、2026年9月時点では日本維新の会所属の衆議院議員を務めています。国政に戻った後も診療の現場から離れず、宇都宮市で在宅医療に携わっています。
山形県寒河江市に生まれ、子ども時代を栃木県宇都宮市で過ごした柏倉祐司さん。岡山大学医学部卒業後は循環器内科を中心に研究・臨床へ進み、米国ジョンズホプキンス大学でも研究しました。妻と5人の娘がいる家庭人で、趣味は天体観測とハイボールです。
- 長時間の街頭活動に備えてストレッチを日課にしており、体を整えながら活動を続けている。
- 岡山大学医学部卒業後、循環器内科を中心に研究・臨床へ進み、米国ジョンズホプキンス大学でも研究。
- 大久保利通の言葉「為政清明」を座右の銘とし、政治は清く明瞭でなければならないという価値観を本人が紹介している。
柏倉祐司の家族構成|妻と5人の娘
柏倉さんは妻と5人の娘がいる家庭を築いています。国会での発言にも、娘との生活がふっと顔を出す場面があります。
2026年6月、環境委員会で野生動物への対応を取り上げた際には、娘の一人が学校の「冒険活動」に参加したときの出来事を紹介しました。低い山に登り、キャンプをする行事で、現地にイノシシが何頭か現れたという話です。
「私の娘が、先週末、冒険活動というのがありまして」
出典:衆議院「第221回国会 環境委員会 第13号」(2026年6月12日)
娘はイノシシを見て「非常に怖かった」と話していたそうです。国会で野生動物対策を話す中に、学校行事を終えた娘から聞いた出来事がそのまま登場しました。5人の娘がいる家庭で暮らす父親としての一場面です。
「冒険活動」の話は、娘の学校生活が2026年の本人発言に出てきた具体的な親子エピソードです。妻と5人の娘がいる家庭という基本情報だけでなく、娘から学校行事の体験を聞く日常も残されています。
柏倉祐司の実家と家庭環境|寒河江生まれ、宇都宮で過ごした子ども時代
柏倉さんは1969年4月、山形県寒河江市に生まれました。一方、子ども時代の生活の舞台として長く続くのが栃木県宇都宮市です。
小学校は宇都宮市立峰小学校、中学校は宇都宮市立陽東中学校、高校は栃木県立宇都宮高校。少なくとも小学校以降の学校生活は宇都宮で送り、2026年9月時点も宇都宮市在住です。
2026年9月時点の生活拠点も宇都宮で、自身のクリニックと事務所も市内にあります。宇都宮は小学校時代から長く関わりが続く生活と仕事の拠点です。
柏倉祐司の若い頃|医学研究に打ち込んだ時代
宇都宮高校を卒業した柏倉さんは、岡山大学医学部へ進みました。医師免許を取得した後は、診療だけに進むのではなく、循環器内科と基礎研究の世界にも足を踏み入れています。
順天堂大学大学院では循環器内科を軸に研究し、医学博士を取得。その後、米国ジョンズ・ホプキンス大学で博士研究員を務めました。若い頃は、患者を診る臨床医と、分子レベルの仕組みを追う研究者の両方を経験した時期でした。
2005年には、柏倉さんを筆頭著者とする研究が『Journal of Virology』に掲載されています。テーマはAAV2というウイルスが細胞へ侵入する際に関わる受容体についてで、肝細胞増殖因子受容体c-Metが共受容体として働くことを示した研究です。
AAV2は遺伝子を細胞へ運ぶベクターとして研究されてきたウイルスで、柏倉さんの論文は、細胞表面のc-Metがウイルスの取り込みを助ける仕組みを検討したものでした。臨床で患者を診るだけでなく、細胞や受容体のレベルから病気と治療技術を考える研究にも長く取り組んでいます。
さらに岡山大学で研究を続け、2009年には「新規がん抑制遺伝子 REIC/Dkk-3 によるがん遺伝子治療」という論文を発表。この論文は平成20年度岡山医学会賞の受賞論文として掲載されました。2026年の在宅医療中心の姿だけを見ると少し意外ですが、若い頃は遺伝子治療やウイルスベクターを扱う研究に深く関わっていた時期があります。
2003年には骨髄由来の平滑筋細胞に関する研究が『Circulation』に掲載され、2005年はAAV2、2009年はがん抑制遺伝子と、研究テーマは循環器から遺伝子治療まで広がっています。研究論文の筆頭著者として国際誌に名前が残る医師でもありました。
2003年の『Circulation』論文では、骨髄の間質細胞から血管平滑筋細胞へ分化する細胞を、SM22αという平滑筋に関わる遺伝子の働きを手掛かりに選び出す研究を行っています。循環器内科で学びながら、血管をつくる細胞そのものを追っていた時期です。
2009年のREIC/Dkk-3研究では、がん細胞のアポトーシスや小胞体ストレス、抗腫瘍免疫といった仕組みを扱っています。ウイルスベクターが細胞へ入る仕組みを調べた研究から、がん細胞を狙う遺伝子治療まで、基礎研究のテーマを広げていました。
岡山大学医学部では特任准教授、慶應義塾大学大学院では特別研究准教授も務めました。そこで扱っていたのは、2026年の訪問診療とは距離のある先端研究です。研究室から地域の患者宅へ――医師として活動する場所は大きく変わっていきました。
その後は宇都宮の村井クリニックで在宅医療に従事します。2016年10月1日の第1回地域包括ケア研究会では、滝の原自治会に出向き、「地域包括ケアについて」と題する講演を担当しました。
会場では、近隣の自治会にも内容を広めたい、自治会代表者が集まる場でも声を掛けたいといった反応が寄せられました。大学や研究機関での仕事に加え、宇都宮では住民に医療と介護の連携を説明する役割も担うようになっていました。
柏倉祐司の病院・クリニックは?ファストケアクリニックで続ける在宅医療
柏倉さんが開設し、管理者を務める医療機関は、宇都宮市越戸2丁目の「ファストケアクリニック」です。本人が院長を務める在宅療養支援診療所として、地域の外来診療と訪問診療を担っています。
宇都宮市には「柏倉医院」という別の医療機関もありますが、こちらの院長は柏倉浩一さんです。柏倉祐司さんが管理者を務める医療機関とは別です。
栃木県の医療機関資料では2022年3月1日開設。診療科は内科、循環器内科、糖尿病・代謝内科で、病床を持たない診療所です。午前は外来、午後は在宅の訪問診療を優先し、外来は原則予約制という運営になっています。
厚生労働省の医療情報では、主治医として対応する在宅患者数は61~100人。24時間の連絡体制は自院だけで完結させず、村井クリニック、柴病院、いちはらファミリークリニック、ひばりクリニックなどと連携しています。一つの診療所で抱え込まず、複数の医療機関で支える在宅医療が実際の診療体制になっています。
夜間・休日は18時から翌朝8時まで電話対応が可能と登録され、訪問診療の患者を地域で支える体制が組まれています。午後を在宅診療に充てるだけでなく、診療時間外の連絡や連携先との協力まで含めて、生活の場で療養する患者を支える診療所です。
医療情報ネットには、連携する訪問看護ステーションも8か所登録されています。医師同士の連携だけではなく、訪問看護まで含めたネットワークで在宅患者を支える形です。
連携先の村井クリニックでは、2026年にもファストケアクリニックと柏倉さんを連携医として掲載し、複数の医療機関による在宅医療の月例ミーティングを続けています。症例を共有する場も月1回設けられており、緊急時だけでなく平時から連携する仕組みが動いています。
国政に復帰した後も、医師としての仕事は続いています。2026年5月の災害対策特別委員会では、在宅医療の災害時の事業継続計画を取り上げる中で、2026年時点の自身の診療についてこう話しました。
「私も訪問診療をやらせていただいている」
出典:衆議院「第221回国会 災害対策特別委員会 第8号」(2026年5月12日)
同じ発言では、複数の訪問診療クリニックや医院、病床のある病院と連携し、業務継続について話し合っていることにも触れています。国会議員になったことで診療の現場が過去の経験になったのではなく、2026年にも患者宅へ向かう医師として動いていました。
在宅医療との関わり自体は国政入りより前から長く、2013年の国会でも「実際に私も訪問診療をやっていて」と話しています。当時は、患者の身近にいる看護師や介護士、コメディカルとの連携を自分の経験から説明していました。十数年前の実践が、2026年のクリニック運営まで続いている形です。
このとき柏倉さんが特に挙げたのは看護師でした。在宅では患者のすぐそばに看護師や介護士が入り、医師だけでは医療は成り立たないという話をしています。2026年のファストケアクリニックが複数の診療所や病院と24時間連携していることとも、実際の診療の組み立て方がつながっています。
2026年4月の国会でも、訪問診療で出会う患者について、高齢で一人暮らしをしながらヘルパーや看護師の支援を受けている人が「想像する以上に」増えていると話しました。朝夕にヘルパーが入り、毎日看護師が訪ねるような患者もいると説明しています。患者宅で診る医師だからこそ接する、在宅療養者の具体的な暮らしです。
もう一つ、医師としての記憶が具体的に出たのが2026年4月の環境委員会です。石綿健康被害をめぐる質疑で、研修医時代に中皮腫や肺がんの患者を担当した経験を明かしました。
「呼吸器系の疾患というのは、あらゆる疾患の中でもかなり苦しい疾患」
出典:衆議院「第221回国会 環境委員会 第2号」(2026年4月10日)
研修医時代の中皮腫や肺がんの診療では、酸素を使っても呼吸の苦しさが十分に取れず、終末期には家族とともに患者を見守った経験も語っています。基礎研究だけでなく、重い呼吸器疾患の診療や看取り、2026年の在宅医療まで、医師として接してきた現場は幅広いものです。
2026年2月のとちぎテレビの特集には、選挙期間中にも医師の仕事を続ける姿が収められています。街頭や選挙事務所だけではなく、診療を組み込んだ一日の様子も映っています。
柏倉祐司の趣味・好きなもの|天体観測とハイボール
医療や国会の話から離れると、柏倉さんにはかなり昔から続く趣味があります。2014年の文部科学委員会で宇宙分野の質問に立った際、自分の好きなこととして天体観測を挙げました。
「小さいころから天体観測が好き」
出典:衆議院「第186回国会 文部科学委員会 第11号」(2014年4月9日)
時間ができると望遠鏡で夜空を眺めるとも話しており、当時は宇宙議員連盟にも参加していました。委員会では「数少ない趣味のうちの一つ」と自分で表現し、「悲しいときには涙で星が見えないときもある」と笑いを交えながら宇宙の質問に入りました。
子どもの頃から続く天体観測は、40代になっても時間があれば望遠鏡で夜空を見るほど続いていました。宇宙の話になると、自分の趣味を交えて語り始める一面があります。
もう一つ、本人が趣味として挙げているのが、もっと生活感のある過ごし方です。
「雨を見ながらハイボールを飲むこと」
出典:柏倉ゆうじ公式ホームページ(公開日記載なし)
本人は単に「ハイボール」とせず、「雨を見ながら」と過ごし方まで含めて趣味に挙げています。夜空を見る天体観測と、雨の日の一杯という二つの趣味には、どちらにも景色を眺める時間が含まれています。
柏倉祐司の友人・同窓とのつながり|宇都宮高校卒業から38年
高校時代の縁は卒業後も続いています。2026年6月、栃木県立宇都宮高校の同窓会総会に参加した際には、1988年卒の同期が幹事を担当。柏倉さん自身は総会の議長を務めました。
その日の投稿には、政治家になった先輩・後輩と話したことや、若い卒業生の二次会に呼ばれたことへの喜びも書かれています。卒業から約38年たっても、同級生だけでなく世代をまたいだ学校のつながりが続いている様子が残っています。
宇都宮高校については「今では珍しい県立の男子校」と紹介し、同窓会総会も男性だけだったことに触れています。かしこまった総会の議長役だけで終わらず、後輩の二次会まで顔を出した一日でした。
一方、大学院時代の人間関係では、順天堂大学で指導を受けた代田浩之さんとの縁があります。2005年の研究論文でも代田さんは共著者の一人でした。学生・研究者時代の師弟関係が、研究成果の記録にも残っています。
2026年8月に大学院の母校である順天堂大学を訪れた際には、学長となった代田さんを、循環器内科にいた頃の主任教授として紹介しています。厳しくも優しく指導してもらったと振り返り、再会後は在宅医療などについて話しました。長く敬意を持ち続けている恩師の一人です。
本人公式Xに残る最近の活動
本人公式Xでは、街頭活動だけでなく、現在も医師として診察を続けていることが日々の投稿から確認できます。2026年9月末から10月に公開された、現在も閲覧できる本人投稿を掲載します。
柏倉祐司の性格・人柄と私生活|ストレッチと「為政清明」
2026年1月には、街頭活動で長時間立つためにストレッチをしていることが紹介されました。56歳になってからも、外で長く活動する日に備えて体を整えるのが日課の一つです。
自分の価値観として掲げているのは、大久保利通の言葉です。
「為政清明」
出典:柏倉ゆうじ公式ホームページ(公開日記載なし)
本人はこの言葉を「政治をするには、清くかつ明瞭でなければならない」という意味で紹介しています。長い説明ではなく四文字を座右の銘に置いているのが、本人が公に示している価値観です。
柏倉祐司氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
娘との日常と学校行事
私の娘が、先週末、冒険活動というのがありまして
柏倉氏は、娘が学校行事の「冒険活動」に参加した際の出来事を、自身の家庭で聞いた具体的な体験として紹介しています。
子どもの頃から続く天体観測
- 衆議院「柏倉祐司君」 生年月・学歴・医師経歴・現在の議員プロフィールを確認
- 柏倉祐司公式サイト 本人プロフィール・活動情報を確認
- 衆議院会議録 2026年6月12日 本人発言・国会活動を確認
- 衆議院会議録 2026年5月12日 本人発言・国会活動を確認
- 衆議院会議録 2026年4月10日 本人発言・国会活動を確認
- 柏倉祐司公式X 投稿 本人発言を確認








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