岩渕友さんの素顔をたどると、国会での姿とは少し違う、家族や友人に囲まれた日常が見えてきます。
福島県で両親と弟、妹と暮らし、子どもの頃は外を駆け回って遊んでいました。中学ではスポーツから美術へ、高校では演劇の裏方へと興味が広がり、大学時代の仲間とは卒業後も交流が続いています。美術館めぐりが今も好きという一面もあります。
福島県喜多方市出身で、父の転勤に伴って会津若松市、福島市へ移り住んだ岩渕友さん。高校では演劇部で照明などの裏方を担当し、大学では少人数ゼミで調査や交流を重ねました。美術館めぐりも好きで、美術に触れる時間を大切にしています。
幼少期から複数の土地で暮らし、高校では表舞台ではなく照明を担当し、大学では少人数での調査や交流を続けました。現在の活動だけを見ると分かりにくいですが、本人が公表してきた若い頃の経験には、人の話を聞きながら支える側に回る時間も長くありました。こうした経験も、現在の人物像を知る手がかりです。
- 大学時代のゼミ仲間と卒業後も交流を継続。
- 兄弟や近所の友人と木登り・野球・秘密基地づくりを楽しみ、家庭には原爆や戦争を扱う絵本もあった。
- 大学時代の恩師は、笑顔で人の話をじっくり聴く学生だったと回想。知人からは親しみやすさについての証言もある。
岩渕友の家族構成
岩渕友さんは、両親と弟、妹の5人家族で育ちました。
子どもの頃は、弟や妹、近所の友だちと一緒に外で遊ぶことが多かったそうです。木に登り、野球をし、秘密基地をつくる。家の中で静かに過ごすというより、近所の子どもたちと体を動かして遊ぶ時間が身近にありました。
兄弟姉妹がいる家庭で育ったことは、子ども時代の思い出にもそのまま表れています。特別な遊び道具がなくても、木や空き地を使って遊びをつくっていた時代です。
家には絵本もたくさんありました。楽しい物語だけでなく、原爆や戦争を扱った本もあり、幼い頃からそうしたテーマに触れていたと振り返っています。
岩渕友の実家と家族のルーツ
出身は福島県喜多方市です。ただ、一つの町だけで子ども時代を過ごしたわけではありません。
父親の転勤に伴い、小学2年生から会津若松市へ移り、中学2年生からは福島市で暮らしました。母親の実家はいわき市にあります。
喜多方、会津若松、福島、そして母方の家族がいるいわき。福島県内のいくつもの地域が、家族の思い出と結びついています。
福島県そのものがふるさとです。
出典:いわぶち友公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
「福島県そのものがふるさと」という言葉には、一つの実家の所在地だけでは語れない家族との土地の記憶が表れています。
2026年6月にも、福島から来た人たちと一緒に行動した様子をXに投稿しています。大人になって活動の範囲が広がった後も、福島とのつながりは発信の中に繰り返し登場します。
岩渕友の子ども時代|外遊びから美術好きへ
幼い頃の岩渕友さんは、木登り、野球、秘密基地づくりを楽しむ子どもでした。
ところが、中学生になると別の一面が出てきます。入学時にはバレーボール部へ入りましたが、転校後に練習の厳しかったバレーボール部を離れ、美術部へ移りました。
美術部時代には、今でも覚えている少し恥ずかしい出来事があります。部活で切り絵を制作し、廊下に展示してもらったところ、作品が上下逆さまになっていました。
岩渕さんはそれに気づいていたものの、切り絵が逆さまに展示されても言い出せなかったそうです。結局、周囲からも何も言われないまま。現在の人前で話す姿からは想像しにくい、照れ屋だった頃のエピソードです。
美術への関心そのものは、その後も残りました。
美術館めぐりなど、美術に触れることは今でも大好きです。
出典:いわぶち友公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
中学時代に入った美術部は、一時的な部活動で終わらず、美術館めぐりという現在まで続く楽しみにつながりました。
高校時代は演劇部の裏方だった
高校では、友人に誘われて演劇部へ入りました。
舞台の中央で演じる役ではなく、照明などの裏方を担当していました。中学の美術部に続き、高校でも文化系の活動に関わっていたことになります。
高校入学前の春休みには、先輩たちに誘われて同世代が集まる催しにも参加しました。初対面の人たちと歌ったり踊ったりする雰囲気には、当初かなり恥ずかしさを感じたそうです。
高校1年の夏には広島を訪れ、被爆者の話を聞き、資料館も見学しました。家庭にあった原爆や戦争の絵本で知っていた出来事を、現地で直接学ぶ機会になりました。
外遊びが好きだった小学生、美術部で切り絵を作った中学生、演劇部で照明を担当した高校生。同じ人物でも、成長するにつれて過ごし方が少しずつ変わっています。
大学時代の岩渕友|ゼミ仲間との交流は今も続く
大学時代は、授業やゼミだけでなく、友人たちとの活動や交流にも多くの時間を使っていました。
授業の課題から薬害エイズ問題を知ったことをきっかけに、学内の「薬害エイズを考える会」の立ち上げに関わりました。学習会や署名活動などを行い、大学3年になると塩谷弘康教授の法社会学演習にも参加しました。
塩谷教授のゼミは6人ほどの少人数。現場を訪ねて当事者の話を聞いたり、地域づくりや環境と開発について夜まで議論したりするゼミでした。
一方で、真面目な調査ばかりだったわけではありません。ゼミではスイカ割りや年越しそばなどの交流もあり、卒業旅行では韓国へ。ゼミ仲間とは卒業後も交流が続いています。
当時の塩谷教授は、岩渕さんを「友ちゃん」よりも「ぶっちー」「ぶち子」と呼んでいたそうです。
「ぶっちー」「ぶち子」のニックネームのほうが親しみがわきます
出典:いわぶち友公式サイト「福島大学行政政策学類教授・塩谷弘康」(2017年3月30日)
大学を離れてからも、学生時代の呼び方でやり取りする友人がいます。
山形県の石山浩行さんは、岩渕さんと出会って20年以上になる友人です。再会したときも、岩渕さんから学生時代と変わらない調子で声を掛けられると振り返っています。
お~、ルイス!頑張ってるね~!
出典:いわぶち友公式サイト「山形・石山浩行」(2022年6月9日)
「ルイス」は石山さんの学生時代からの呼び名。20年以上たっても同じ呼び方が続いているところに、長い友人関係がそのまま残っています。
石山さんは、学生仲間で餃子パーティーやピザパーティーをした思い出も紹介しています。大学時代の友人たちにとっては、政治家というより、一緒に食べて話して過ごした学生仲間としての記憶が先にあるようです。
若い頃は消費生活センターで相談を受けていた
大学卒業後は公務員を目指し、福島県庁で臨時職員や嘱託職員として働きました。その時期には、県の消費生活センターで相談員も経験しています。
相談窓口に寄せられるのは、悪質商法や架空請求、多重債務など、生活に直結する悩みでした。中には涙ながらに多重債務について話す人もいたといいます。
人の悩みを直接聞く仕事をしていた時期は、後年の知人たちが語る人物像とも重なります。
10年以上前から岩渕さんを知る小久保剛志さんも、若者から寄せられる相談に接していた頃の姿を振り返っています。
さまざまな相談に親身に人の話を真剣に聞き
出典:いわぶち友公式サイト「器の大きい、頼りがいある政治家」(2022年7月5日)
2026年6月には、現場との連絡をめぐる話題に触れたX投稿でも、実際に現場と接点を持つことへの関心を示していました。
2026年時点の公式プロフィールで確認できる現在地
日本共産党の公式議員ページでは、岩渕友さんは参議院比例代表の現職議員として掲載されています。1976年10月3日生まれ、福島県出身、福島大学行政社会学部を卒業しています。
この記事では政策評価ではなく、両親・弟・妹との家庭、福島での学生時代、消費生活センター勤務、美術館めぐりなど、本人が公表している生活史を中心に扱っています。
配偶者や子どもについては、本人が広く公表している情報を確認できないため、家族構成は両親・弟・妹を中心に紹介しています。
岩渕友の趣味・好きなもの
趣味としては、美術館めぐりが本人の言葉で確認できます。
美術との付き合いは、大人になって突然始まったものではありません。中学時代に美術部へ移り、切り絵を作った経験から続いているものです。
学生時代の友人の回想には、食べる場面もよく登場します。友人たちと餃子やピザを囲んだ学生時代の話からは、ゼミや活動とは別の普段の時間も伝わってきます。
近年のXでは、農家や酪農家と一緒に牛乳を手にする写真も投稿しています。2026年3月には、農民連の参加者と「牛乳で乾杯」と投稿しました。
同じ年の8月には、地震や豪雨の被害を受けた酪農家を訪ねた際にも牛乳を手にした投稿がありました。
岩渕友の性格・人柄と私生活
恩師が覚えている「話をじっくり聴く」学生
大学時代の恩師・塩谷弘康教授の回想では、少人数のゼミにいた岩渕さんは、いつもニコニコしながら周囲の話を聞いていた学生でした。
どこにでも駆けつけ人の話をじっくりと聴くことができる力
出典:いわぶち友公式サイト「福島大学行政政策学類教授・塩谷弘康」(2017年3月30日)
学生時代から知る人による証言なので、議員になった後だけを見た人物評とは少し違います。ゼミでは自分が話すだけでなく、相手の話を聞く側にも回っていたことが分かります。
「友ちゃん」と呼ばれる距離の近さ
岩渕さんは、周囲から「友ちゃん」と呼ばれることがあります。大学時代には「ぶっちー」「ぶち子」と呼ばれており、時期や人間関係によって呼び名もさまざまです。
同世代の宇都宮市議・原ちづるさんは、会うとグータッチをして声を掛け合う関係だと紹介しています。
何よりも親しみやすさがいわぶちさんの魅力
出典:いわぶち友公式サイト「何よりも親しみやすさが魅力」(2022年6月28日)
これは原さん自身から見た人物評です。大学の恩師、20年以上の友人、活動を通じて知り合った人と、関係の異なる複数の人から普段の様子が語られています。
人と会うために自分から動く
福島県相馬市の中島孝さんは、2019年の洪水被害の後、岩渕さんから連絡があり、車で現地にやって来たと回想しています。2021年2月の地震の際にも現地を訪れたといいます。
大学のゼミで現場を訪ねて話を聞いた経験、消費生活センターで相談を受けた経験、そして大人になってから各地へ出向く姿。時期は違いますが、「まず人に会って話を聞く」という行動は複数の関係者の回想に登場します。
公式Xにも、各地で人と会った記録が多く残されています。2026年6月には農業関係者が集まる場について投稿しました。
北海道でも人との接点を持ち続けています。2025年11月には北海道議会議員団の政府交渉について投稿し、釧路湿原周辺をめぐる地域の話題を紹介しました。
岩渕友の意外な一面は、昔の友人関係が今も変わらないこと
人前で話す機会の多い今の姿だけを見ると、中学時代に逆さまの切り絵を指摘できなかった話や、高校入学前のイベントで歌ったり踊ったりすることを恥ずかしがっていた姿は少し意外です。
その一方で、昔から続いているものもあります。美術への関心、大学のゼミ仲間との交流、学生時代からの友人との付き合いです。
「友ちゃん」「ぶっちー」「ぶち子」といった呼び名も、肩書きとは別の人間関係の中で生まれたものです。石山浩行さんとのように、20年以上たっても学生時代と同じ調子で声を掛け合う関係も残っています。
本人プロフィールに掲載されている動画では、写真や文章とはまた違う話し方や表情を見ることができます。
岩渕友氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
函館の集まりで感じた「パワーチャージ」
いつものように、おいしいお菓子におしゃべり、歌って踊って、パワーチャージとはいかないけれど、心のなかに怒りと決意の熱い思いが灯るつどいだったと感じています。
岩渕氏は函館での集まりについて、お菓子やおしゃべり、歌や踊りという普段の雰囲気にも触れながら、その日に感じた率直な心境を書いています。
原発事故当時の福島で感じていた不安
これからどうなるのか不安でいっぱいだったことを今も忘れることはできません。
岩渕氏は福島第一原発事故当時に福島にいた自身の体験を振り返り、先の見えない不安を今も忘れられないと国会で語っています。
身近な人の急逝に触れた率直な心境
あまりに突然のことで驚くとともに残念でなりません。
岩渕氏は地元で活動していた身近な人の急逝に触れ、突然の知らせへの驚きと残念な気持ちを率直に記しています。
- 岩渕 友(いわぶち とも):参議院 運営主体:参議院/確認内容:氏名、読み、生年月日、出身地、最終学歴、比例代表、当選年・当選回数、2026年8月9日時点の参議院役職
- プロフィール いわぶち友 運営主体:岩渕友公式サイト/確認内容:両親・弟・妹、父の転勤、母方実家、子ども時代、美術部、演劇部、美術館めぐり、大学ゼミ、相談員時代、本人プロフィール掲載YouTube
- 参議院 日本共産党 国会議員 運営主体:日本共産党中央委員会/確認内容:岩渕友本人の所属、比例、公式ホームページ・X・YouTubeへのリンク
- いわぶち友 参議院議員 - YouTube 運営主体:岩渕友公式YouTube/確認内容:公式YouTubeチャンネルの存在とチャンネルID
- 山形・石山浩行「友ちゃんを語る」 運営主体:岩渕友公式サイト/確認内容:20年以上の友人関係、学生時代からの呼び方、学生時代の食事会などの思い出
- 福島大学行政政策学類教授・塩谷弘康 運営主体:岩渕友公式サイト/確認内容:「ぶっちー」「ぶち子」の呼び名、大学ゼミでの様子、人の話を聞く姿勢
- 何よりも親しみやすさが魅力 運営主体:岩渕友公式サイト/確認内容:原ちづる氏との交流、グータッチで声を掛け合う関係、本人に対する「親しみやすさ」という評価
- 器の大きい、頼りがいある政治家 運営主体:岩渕友公式サイト/確認内容:10年以上前からの交流、若者の相談を聞いていた頃の様子
- 岩渕友公式X 運営主体:岩渕友/確認内容:2025~2026年の福島、北海道、農業・酪農現場などでの本人発信



































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