逢坂誠二の妻・家族は?4人の娘や息子、若い頃・趣味も紹介

逢坂誠二
ひと目でわかるプロフィール 逢坂誠二
おおさかせいじ
生年月日
1959年4月24日
出生地
北海道
血液型
A型
星座
おうし座
干支
亥年
最終学歴
北海道大学薬学部
主な前職
地方公務員
学生時代の部活動
放送局・演劇部・陸上部
趣味・好きなこと
マンガ・星空観察・読書・音楽鑑賞

北海道ニセコ町から政治の世界へ進んだ逢坂誠二さん。国会で質問する姿とは少し違い、本人の日記をたどると、深夜ラジオを聴きながら勉強した少年、放送に夢中になった高校生、ロック喫茶へ通った予備校生という顔が現れます。

家族や実家との関わりにも、今につながる具体的なエピソードがあります。ここでは、妻や子ども、ニセコの実家、若い頃の生活、長く続く音楽好きや日常のこだわりを見ていきます。

早朝に起きて「徒然日記」を書く習慣も、本人が長く続けている日課です。

逢坂誠二さんの素顔がわかる3つのポイント
  1. 早朝に起きて「徒然日記」を書く習慣が長く続く。
  2. 小学1年から高校まで家業を手伝い、中学時代は午前1時起床・午前5時からヤクルト配達。
  3. 座右の銘は「虚心坦懐」。言葉遊びが好きで「わしわし」など独特の表現を使う。

逢坂誠二の家族構成

逢坂誠二の家族構成 家族・結婚・子ども
家族構成
妻・娘4人
兄弟姉妹
一人っ子
子ども
娘4人(2017年時点)

妻と4人の娘がいると紹介されている

逢坂誠二さんの家族については、2017年に本人が出演した番組をもとにした紹介で、妻と4人の娘がいる家族構成とされています。当時はまだ孫はいないとも紹介されていました。

妻や娘たちの詳しいプロフィールを前面に出すタイプではなく、本人の公式サイトや日々の「徒然日記」は、家族の個人情報よりも自分自身の体験や地域での出来事を中心に書かれています。

息子と再婚については?

2017年の家族紹介で子どもとして伝えられているのは4人の娘です。「息子」についての公表情報はなく、「再婚」についても再婚歴は公表されていません。

兄弟姉妹はいない一人っ子

逢坂さんは一人っ子です。この家族構成は、若い頃の進路を大きく変えることになりました。北海道大学で研究者を目指していた大学4年生のとき、父親が病気になります。

兄弟姉妹がいなかったため地元へ戻る必要が生じ、大学院へ進む計画を変更しました。後に本人は、転勤のないニセコ町役場なら実家の仕事も手伝えると考えた経緯を振り返っています。

逢坂誠二の実家と家族のルーツ

逢坂誠二の実家・自宅・家族のルーツ
育った家庭や暮らしから見える人物像
実家・家族のルーツ地域
北海道・青森県
実家・家庭環境
北海道ニセコ町の食品小売店。父方の実家は青森。
自宅・暮らし
ニセコの父母が住んでいた家を管理し、周囲の草むしりや掃除も行う。

ニセコの食品小売店で育った

逢坂さんは1959年、北海道ニセコ町の食品小売店の長男として生まれました。実家は子どもも店の仕事を手伝う家庭で、逢坂さんも小学1年生から高校生まで家業に加わっています。

担当したのはヤクルトや牛乳の配達、代金の集金など。学校へ通いながら長期間続けた仕事で、後年になっても当時の早朝配達を具体的に覚えています。

ニセコは子どもの頃から生活そのものの舞台でした。実家だけでなく、山や星空、町の人たち、店の仕事まで、本人の日記にたびたび昔のニセコが登場します。

父方の実家は青森、父は樺太からの引揚者

父方には北海道の外にもルーツがあります。逢坂さんが「本当の本屋」に初めて入ったのは、父の実家がある青森を訪れたときでした。駅前の大きな建物の1階と2階を本が埋め尽くす光景に圧倒されたと振り返っています。

父は1931年に樺太で生まれ、戦後に引き揚げた人でした。逢坂さんは家族の戦争体験についても折に触れて書いており、伯母や親族が終戦前後の樺太からの帰還過程で命を落としたことを記録しています。

父から教わった文学もあります。2026年4月には、石川啄木の歌の一つを父から紹介された思い出を書いていました。父親との記憶には、仕事だけでなく本や言葉も残っています。

父母が暮らしたニセコの家を今も手入れ

父母が亡くなった後も、ニセコの家とのつながりは続いています。2023年8月には実家周辺の草を「一心不乱」にむしり、翌朝は筋肉痛になったと日記に書きました。

2025年末にも、ニセコで父母が住んでいた家を管理し、仏前に手を合わせています。好きなリラックスタイムとして「草むしり、家の掃除」を挙げている逢坂さんにとって、掃除はプロフィール上の趣味だけではなく、実家でも実際に続けている日常です。

地元のイベントを回る日のXでは、焼きそばとラーメンを食べたことや、最近の体重を気にしつつ「食べた分は歩く、動く」と書いています。地域の食事を楽しむ日常がそのまま出ている投稿です。

ニセコで体験した出来事は、数十年後も具体的な記憶として残っています。2026年9月には、町長就任直前に地域で起きたジャガイモの病害虫問題を32年前の体験として振り返りました。

逢坂誠二の若い頃|深夜ラジオと早朝の配達

中学時代は午前1時起床、午前5時からヤクルト配達

中学生の頃の生活はかなり独特でした。夜は早い時間に寝て、午前1時に起きて勉強し、午前5時からヤクルトを配達していたのです。

午前1時起床には、勉強以外の楽しみもありました。ラジオの「パックインミュージック」や「オールナイトニッポン」を聴くためでもあり、本人は「勉強よりもラジオのウエイトが高かったかもしれません」と振り返っています。

当時は洋楽を好んで聴いていました。中学時代の深夜ラジオは、その後何十年も続くボブ・ディラン好きや、高校時代の放送活動にもつながっていきます。

天文学者にも憧れていた少年時代

もう一つ、少年時代から夢中になっていたのが星です。1971年の火星大接近を見た頃には、将来は天文学者になろうと考え、天文関係の専門書を何度も読み返していました。

大型望遠鏡を買おうと少しずつ貯金までしましたが、家計の事情で購入には至りませんでした。大人になってからも星空への関心は残り、2024年には冬のオリオン座やシリウスを眺め、「子どもの頃にいつも眺めていた星」と日記に書いています。

一度の不合格を経て札幌の予備校寮へ

高校卒業後に北海道大学を受験したものの、最初の挑戦では不合格でした。弘前大学にも出願していましたが受験せず、親に頼んで1年間の浪人生活を選びます。

札幌の予備校では寮生活。早朝6時過ぎから数学、昼休みには英語の特別授業を受け、特に春は必死に勉強したといいます。ただし勉強だけではありませんでした。

息抜きはロック喫茶です。

出典:逢坂誠二「K君、ディラン」(2024年3月4日)

輸入盤を早く聴けるロック喫茶へ足を運び、ボブ・ディランやダイアー・ストレイツを聴いていました。寮の友人に誘われてパチンコにも何度か行ったものの、こちらは「好みには合いませんでした」と書いています。

研究者を目指した大学時代に父が病気に

北海道大学薬学部では、免疫学などの研究に進むことを考えていました。政治家になることはもちろん、公務員になることさえ若い頃の希望とは違っていました。

ところが大学4年生の夏、父親が病気になります。一人っ子だった逢坂さんは地元へ戻ることになり、大学院への進学を断念。転勤がないニセコ町役場なら実家の仕事にも関われると考え、町職員の試験を受けました。

20代前半はもう失意の連続でした。

出典:現代の理論「『分権・生活保障と効果的なコロナ対策へ』逢坂誠二×住沢博紀」(公開日記載なし)

後から見れば町役場での仕事は、その後の人生につながる大きな転換になりました。ただ、本人の若い頃の感覚は、最初から行政や政治を目指していたというものではありませんでした。

高校時代は放送局でアナウンスと番組制作

逢坂さんの学生時代を語るうえで外せないのが、高校の放送局です。陸上部、演劇部、放送局の3つに所属していました。

陸上部は家庭の事情もあって途中で退部。演劇部にはほとんど参加できず、本人いわく「幽霊部員」のような存在でした。その一方、放送局には強くのめり込みます。

放送局での活動は実に楽しいものでした。

出典:逢坂誠二「高校の放送局」(2026年4月1日)

NHKのアナウンスコンクールに出場し、ラジオ番組も制作。毎朝と昼の校内放送をどうすれば多くの生徒に聞いてもらえるか考え、自分たちでジングルを作り、選曲の幅も広げました。

デジタル機器のない時代です。テープを使った多重録音にも挑戦し、クラシック中心だった校内放送へロック、ジャズ、日本の歌などを取り入れました。

チューリップの「銀の指輪」を流したときには、歌詞の一節が「過激だ」として職員室に呼ばれたこともあります。一方、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は好評だったそうです。

町長時代はラジオ番組、25年後に共演者と再会

放送との縁は高校時代だけでは終わりませんでした。ニセコ町長時代には、福津京子さんとFMアップルの「逢坂誠二の丁々発止」というラジオ番組を担当しています。

2026年には、当時の共演者だった福津さんと約25年ぶりに対談。昔話に加え、「人の話を聞くとはどういうことか」「地域で生きるとはどういうことか」をテーマに話しました。

高校生の頃に校内放送で「どうすれば人が聞いてくれるか」を考えていた経験と、長い時間を経て再びマイクの前で地域の人と話す姿がつながっています。

逢坂誠二の趣味・好きなもの

逢坂誠二の好きなもの・休日
趣味・好きなこと
マンガ・星空観察・読書・音楽鑑賞
趣味の詳細
音楽鑑賞、読書、マンガ、星を見ること
好きな食べ物
麺類(特に蕎麦)
好きなもの
ボブ・ディラン、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』
休日の過ごし方
草むしり、家の掃除

ボブ・ディランは中学生の頃から

逢坂さんの音楽好きの中でも、特別な存在がボブ・ディランです。立憲民主党の人物紹介でも「心の1曲」に「ライク・ア・ローリング・ストーン」を挙げています。

ディランを聴くようになったのはラジオの影響。

出典:Smart FLASH「立民・逢坂誠二氏、ボブ・ディランにひたすら針を落とした日々」(2025年6月15日)

ニセコでは夜になると東京のAM局を受信でき、中学1年生頃から深夜放送に夢中になりました。年上の知人宅でレコードを聴き、中学2年生頃には自分でもポータブルプレーヤーを手にしています。

高校時代の友人K君は、1978年のボブ・ディラン来日公演を実際に見に行った人物でした。逢坂さんはK君から公演パンフレットをもらい、札幌の予備校寮にも持って行っています。

K君は後に早く亡くなりました。2024年、1978年公演の未発表音源を含むアルバムを聴いた逢坂さんは、K君のことも思い出しながらレコードに耳を傾けていました。音楽には曲だけでなく、昔の友人の記憶も重なっています。

子どもの頃からマンガ好き

音楽と並んで長く好きなのがマンガです。

子どもの頃からマンガが大好きです。

出典:逢坂誠二「3月23日 その1136『逢坂誠二の徒然日記』」(2010年3月23日)

週刊マンガ誌や単行本をよく読み、特に「こち亀」「じゃりん子チエ」のような作品を好んでいたと書いています。2026年の候補者アンケートでも「ゴルゴ13」「美味しんぼ」「ひらやすみ」を好きなマンガに挙げていました。

本との関係も長く続いています。子どもの頃のニセコには本屋がなく、父の実家がある青森で大きな書店を見たときの驚きを、大人になってからも鮮明に覚えていました。

好きな食べ物は麺類、特に蕎麦

好きな食べ物として挙げているのは麺類、特に蕎麦です。音威子府駅で知られた黒い「音威子府蕎麦」について、逢坂さんは蕎麦だけを食べるために音威子府へ出かけたこともあると書いています。

2021年に見た映画の中で印象に残った作品には、音楽ドキュメンタリー「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を選択。食べ物だけでなく、映画でも音楽への関心が表れています。

逢坂誠二の性格・人柄と私生活

逢坂誠二の人柄・私生活
性格・価値観・人間関係から見える素顔
性格・人柄
座右の銘は「虚心坦懐」。言葉遊びが好きで「わしわし」など独特の表現を使う。
私生活・日常
早朝に起きて「徒然日記」を書く習慣が長く続く。
価値観・人生観
座右の銘は「虚心坦懐」。変化を恐れず新しいものを生み出す姿勢に惹かれると語る。
交友関係・人間関係
高校時代の友人K君とのボブ・ディランの思い出を長く大切にしている。
意外な一面・こだわり
高校放送局でジングル制作や多重録音に挑戦。若い頃からラジオと音楽が身近。

本人公式YouTubeでは「声を聞くとは」という短い動画も公開しています。日々の活動で何を大切にしているかを本人の言葉で確認できるため、人柄を補足する一次資料として紹介します。

座右の銘は「虚心坦懐」

逢坂さんが自身の座右の銘として挙げているのは、「虚心坦懐」です。先入観を持たず、わだかまりのない心で物事に向き合うことを表す言葉です。

一方で、日記の文章にはかなり遊び心があります。長く使ってきた代表的な言葉が「わしわし」です。

わしわしは、私が勝手に使っていた言葉です。

出典:逢坂誠二「22年4月19日 その5352『逢坂誠二の徒然日記』」(2022年4月19日)

本人の感覚では「わしわし進む」「わしわし食べる」のように、勢いよく何かをする場面で使う言葉。高校時代には「えびぞる」、大学時代には「るんるん」という表現も使っていたと振り返っています。

早朝に起きて書き続ける「徒然日記」

逢坂さんの日常を特徴づける習慣の一つが、自分で文章を書くことです。「徒然日記」では、その日の天気や移動、読んだ本、音楽、食べ物、地域で出会った人まで幅広い話題を記録しています。

2026年5月22日の日記では「相変わらず睡眠時間の少ない日々」とし、その日は午前3時30分に起床して日記を書き始めたと記しています。中学生の頃に午前1時からラジオを聴きながら勉強していた生活とは形が変わっても、かなり早い時間から動き始める習慣は続いています。

プロフィールで「いつも持ち歩いている物」として挙げていたのはiPad。文章を書き、情報を読み、発信することが日常の一部になっています。

変化を続けるボブ・ディランに惹かれる

ボブ・ディランについて語るとき、逢坂さんが注目しているのは名曲の多さだけではありません。長い活動の中で同じことを繰り返さず、変化しながら新しいものを生み出してきた姿にも惹かれていると話しています。

好きな音楽、深夜ラジオ、放送局、日々の文章。「政治家」という肩書きから離れて見てみると、逢坂さんの生活には、聞くこと、書くこと、音楽を楽しむことが長い時間を通して残っています。

逢坂誠二氏の「本人の言葉」から素顔を見る

家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。

本人の言葉を深掘り

朝は日めくり暦から始める

2026年1月2日 逢坂誠二「日めくりの情報の」
私は毎朝、起床後に暦をめくるのが日課です。一枚めくってから、外の様子を見て、気温や天候を確かめます。
この発言で語っていること

逢坂氏は毎朝、起きると日めくり暦をめくり、その後に外の天候と気温を確かめるのが習慣だと記しています。

元の発言を確認する

子どもの頃は朝7時前まで雪かき

2025年11月3日 逢坂誠二「はかを決めてから」
当時は、朝7時前までに店の前の雪を片づけるのが日課でした。
この発言で語っていること

雪深いニセコで育った逢坂氏は、子どもの頃、朝7時前まで店の前を除雪することが日課だったと振り返っています。

元の発言を確認する

1日3キロ・月100キロを歩く健康習慣

2026年9月11日 逢坂誠二「人が基本の社会と健康」
私の場合、1日3キロ、月100キロを一つの目安に歩いています。
この発言で語っていること

逢坂氏は日頃の健康づくりとして、1日3km・月100kmを目安に歩き、ストレッチや筋力トレーニングも意識していると具体的に記しています。

元の発言を確認する
関連書籍
逢坂誠二さんの著書・関連書籍
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自治体のカタチはこう変わる 地域主権改革の本質
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町長室日記(完結編)
著者:逢坂誠二 / 出版社:柏艪舎 / 発売日:2007年02月
町長室日記 逢坂誠二の眼
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町長室日記 逢坂誠二の眼
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参考・出典
この記事で参照した主な資料
公式・公的資料
報道・インタビュー
  • Smart FLASH 確認内容:ボブ・ディラン、深夜ラジオ、音楽への考え
その他の資料
素顔データ最終確認日 2026年9月16日
この記事の更新履歴
  • 「本人の言葉」から素顔を見るセクションを追加
  • 新規記事作成。家族、実家、若い頃、高校の放送活動、趣味・好きなもの、性格・私生活、公式X、YouTubeを確認。

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