馬淵澄夫さんは、元国土交通大臣として知られる一方、家庭では6人の子どもを育て、双方の両親も迎えた12人暮らしを経験してきました。この記事では、妻や子どもとの家族生活、事故後の歩み、筋トレや料理といった日常の一面まで、本人発信をもとに紹介します。
長年続ける筋力トレーニングを「日常」と言い切り、料理を特技とする生活派の一面もあります。2019年には吉野山中で命に関わる交通事故に遭い、緊急手術と約2か月の入院を経験しました。その前後にも、家族、筋力トレーニング、料理について本人が長く記録を残しています。
- 筋力トレーニングを日課にし、料理も日常的に行う。
- 大学時代は大磯でサーフィンに熱中し、20代前半から料理を楽しんだ。
- 子どもの失敗には自身の失敗談を交えて声を掛ける一方、家庭の約束事には厳しい父親だった。
馬淵澄夫の家族構成
馬淵さんの家族は妻と6人の子ども。子どもは息子1人、娘5人で、孫も5人います。子育ての期間は長く、第一子が生まれてから22年間にわたり、小学生以下の子どもが家にいる生活が続きました。
妻・ヒロコと1男5女のにぎやかな家庭
妻は「ヒロコ」と呼ばれています。2006年には末っ子の幼稚園の卒園式へ夫婦で関わり、2010年には長女の成人式を迎えました。2012年には、子どもたちの進学や就職で家庭の顔ぶれが大きく変わっています。
2012年の春には、長女が就職、次女が母親になり、三女が大学へ進学、長男が高校3年生、四女が高校生、末っ子が中学生になりました。父親として運動会に参加した時期もあり、仕事の都合で娘と東京で二人暮らしをしたこともありました。
「今思えば楽しいことしか浮かんでこない」
出典:馬淵澄夫公式サイト「新年度我が家のクラス替え」(2012年4月14日)
子どもたちが成人した後も、全員が集まれば食卓は再び大人数になります。2019年の元日には、仕事などで離れていた子どもたちも帰省し、当時3人だった孫を含めて12人で食卓を囲みました。長女は北海道から奈良へ戻って新しい生活を始め、次女は3人の幼い子どもを育てながら看護師を目指し、三女と長男もそれぞれ仕事に就いていました。
馬淵さんは、子どもたちがそれぞれ違う課題に向き合う様子を見て、親としてできることは「頑張れ」と祈ることだと書いています。幼い6人を一度に育てていた時期を過ぎると、成人した子どもと孫が正月に戻り、再び大きな食卓を囲むようになりました。
長男・錦之介は2022年から父の公設秘書に
2026年9月には、長男の馬淵錦之介さんが事務所のミニコラムで自己紹介しています。1995年2月28日生まれで、1男5女の6人きょうだいでは4番目。米国ニュージャージー州オラデルで生まれ、3歳ごろに奈良へ移りました。
奈良では奈良女子大学附属幼稚園・小学校、富雄中学校、一条高校で過ごし、明治学院大学への進学を機に上京しました。本人は、高校時代までは奈良の実家で暮らし、大学から東京で生活したと自己紹介しています。父が長く活動してきた奈良へ戻ったのは、社会人になった後でした。
錦之介さんは大学卒業後、東京の不動産ベンチャーに就職。2022年11月、父の公設秘書になるため奈良へ戻ったと記しています。
馬淵澄夫の実家と家族のルーツ
馬淵さんは奈良市の鶴舞団地で育ちました。父・俊造さんと母・法子さんの間に生まれ、弟が1人います。父は陸軍士官学校最後の61期生で、終戦後は会社員として一つの会社を勤め上げました。母はドイツ文学を学んだ人物でした。
厳格だった父からは、苦しい状況でも人としての道を外れないようにという教えを、幼い頃から繰り返し聞かされました。父との別れを記した文章には、その言葉が残っています。
「渇しても盗泉の水は飲まず、熱くとも悪木の陰に息わず」
出典:馬淵澄夫公式サイト「第651号 父との別れ」(2014年8月9日)
父は晩年、奈良市富雄で馬淵さん夫婦や孫たちと同居しました。アルツハイマー病を患った母の介護をしながら、孫の幼稚園への送り迎えも担当。馬淵さんが不在がちな時期には、家の中心として子どもたちを支えていました。
母・法子さんは2014年2月に亡くなり、父・俊造さんも同年8月に87歳で亡くなりました。わずか半年ほどの間に両親を続けて見送ったことになります。馬淵さんは父を「陸軍士官を志した父」、母を「ドイツ文学者であった母」と振り返っています。
2025年には鶴舞団地を歩き、子どもの頃を振り返る動画を公開しました。団地時代の幼なじみとして、のちに日本マイクロソフト社長などを務めた樋口泰行さん、日本テレビの笛吹雅子さんの名前も紹介されています。動画では、鶴舞団地の道を歩きながら少年時代の記憶を語っています。
富雄の自宅では双方の両親を迎えた12人暮らし
大人になってからの馬淵家も大所帯でした。馬淵さん夫婦と6人の子どもに、馬淵さんの両親、妻の両親が加わり、最大12人で暮らしていました。夫婦ともに長子だったことから、双方の親を同じ家へ迎えた形です。
妻の両親は東京で暮らしていましたが、義父が次第に寝たきりになり、義母一人での介護が難しくなりました。ちょうど馬淵さん自身も選挙に敗れ、再挑戦に向けて動いていた時期でした。そこで妻の両親にも奈良へ来てもらい、家族全員で暮らすことを選びました。
「もう一緒に暮らそうと。」
出典:政治チャンネル「馬淵澄夫 インタビュー全文」(公開日記載なし)
12人分の食事は、一人ずつ小皿を並べるのではなく、大皿料理が基本でした。子どもが友達の家で一人ずつ料理が出てくるのを見て驚いたこともあったそうです。馬淵家では、好物でも最初に取れるのは一人2個まで。全員が食べたかを確かめてから、残りを取るのがルールでした。
父・俊造さんは、叱られた孫をこっそり部屋へ呼び、「ハイチュウ」を渡すこともありました。父親としては厳格だった俊造さんが、祖父として孫たちを陰で慰める場面もあったのです。
馬淵澄夫が2019年に遭った交通事故
2019年11月4日、馬淵さんは奈良県吉野郡上北山村で交通事故に遭いました。三重県熊野での式典から戻る途中、妻が運転する車が道路沿いのコンクリート擁壁に衝突しました。馬淵さんは助手席で休んでいました。
左手首の骨折に加え、小腸間膜損傷による腹腔内出血があり、腹部を強く打った重傷でした。救出には約40分を要し、日没までわずかな時間しか残っていない中、ドクターヘリで奈良県立医科大学附属病院へ搬送されています。本人は後に、事故直後に「死」を意識したと振り返りました。
病院では緊急の開腹手術を受け、その後も骨折部の固定など治療が続きました。妻は肋骨のひびや膝の打撲などで比較的軽傷でした。馬淵さんは入院生活の中で体重や筋肉の変化にも向き合うことになります。
「新しい命をいただいた思いです。」
出典:馬淵澄夫公式サイト「吉野山中事故から一年」(2020年11月9日)
奈良県立医科大学附属病院での治療を経て、東京の新宿メディカルセンターへ移り、スポーツリハビリに取り組みました。事故から約2か月後の2019年12月27日に退院しています。
事故後の回復について、本人はボディビルで身につけた筋肉が異化作用によって使われたと、医療の説明を踏まえて振り返っています。
馬淵澄夫の筋肉と筋トレ習慣
馬淵さんの筋肉は、一時的なブームでできたものではありません。2009年には雑誌『AERA』で「ボディビル30年」と紹介され、本人の記録には片手45キロのダンベルを使ったベンチプレスの話も登場します。撮影ではポーズを取ったものの、家族や事務所の意見でボディビル風の写真は採用されなかったそうです。
長年のトレーニングでは、東京・御徒町のトレーニングセンター「サンプレイ」の宮畑豊さんを師と仰いできました。2009年には宮畑さんの主催するボディビル大会へ招かれ、トレーニングを始めた頃から世話になった存在だと書いています。
2014年のインタビューでは、3日鍛えて1日休むペースで、週5~6日ほどトレーニングしていると説明しています。身体を三つの部位に分けて鍛え、早い日は午前4時半から開始。最初の予定の3時間前をトレーニング開始時刻に設定していました。
「日常。歯磨きみたいなもんだ。」
出典:政治チャンネル「ボディビルと料理 – 馬淵澄夫」(2014年11月16日)
選挙期間中もトレーニングを予定へ組み込むと語っており、本人にとっては空いた時間に楽しむ趣味というより、朝起きて顔を洗うのと同じような生活習慣でした。
馬淵澄夫の若い頃と料理の腕前
大磯では毎日のようにサーフィン
大学時代は神奈川県大磯に住み、幼なじみの「ケー坊」とサーフィンに熱中しました。本人は2006年、サーフィンをしたくて横浜国立大学へ進み、大磯に住んだようなものだったと振り返っています。大磯のサーフショップ「ドミンゴ」で最初のボードを買い、毎日のように海へ入っていました。
大磯に波がない日は酒匂や吉浜まで車を走らせ、台風が来れば稲村ガ崎へ向かうこともありました。アパートは海のすぐ前で、同級生が遊びに来るようになると「海の家」のような場所になったそうです。海に入ることが生活の大きな柱だったと振り返っています。
最初に買ったのは185センチほどのシングルフィンの板で、その後は短いボードへ移っていきました。2006年に当時を振り返った際には、今ならロングボードでゆっくり海に入りたいとも書いています。
料理は学生時代からの特技
筋肉の印象が強い馬淵さんですが、本人がはっきり「特技」と答えているのは料理です。若い頃から作ることが好きで、20代前半には女性誌『non-no』の料理ブックを見ながら、食べたい料理を自分で作っていたと話しています。
大学時代は一人暮らし。安くておいしいものを食べるため、自炊すること自体を楽しんでいました。2014年のインタビュー時点では、レシピサイト「クックパッド」も使い、冷蔵庫にある材料を見て献立を考えることが多かったそうです。
「特技は料理。」
出典:政治チャンネル「ボディビルと料理 – 馬淵澄夫」(2014年11月16日)
6人の子どもがいた家庭では、日曜日に父親が料理を担当することもありました。大人数の家では、冷蔵庫の食材を無駄なく使い、家族全員が食べられる量を作る必要があります。学生時代から続けてきた自炊は、大家族になってからも続きました。
2014年当時はクックパッドにログインIDを持っていましたが、登録名は「馬淵」と分からないものにしていたそうです。自分がどんな料理を作っているか知られると笑われるかもしれない、と冗談交じりに話していました。
馬淵澄夫の性格・人柄と私生活
家庭での馬淵さんは、子どもの失敗を自分の失敗談で受け止める父親でもありました。長男が中学の内部進学試験に落ち、妻が肩を落としていた時には、自分も受験という受験に失敗してきたと話し、「人生いろんなことあるから」と息子へ声をかけています。
一方で、約束事には厳しい面もありました。2008年には、次女が門限を破った際、妻と二人で娘と交際相手から事情を聞きました。二人が真面目に考えているなら、お互いを思いやり、双方の親から信頼を得られる付き合い方をするよう伝えています。大家族では一人だけ勝手を許さないという家庭のルールもありました。
学校行事にもできるだけ足を運んでいました。2006年には末っ子の幼稚園の卒園式へ出席し、2010年には長女の成人式を迎えました。成人式当日は「おめでとう」と声をかけるのを忘れ、後からメールで祝ったことまで記しています。
2009年、久しぶりに家族全員がそろった日には、長男・錦之介さんの誕生日を祝い、家族写真を撮りました。アルツハイマー病だった母も、その日は久しぶりに笑顔を見せたと書いています。
馬淵澄夫の休日・好きな奈良の時間
奈良での私生活を語る時にたびたび登場するのが、東大寺二月堂の修二会、いわゆる「お水取り」です。2007年には妻と二人で夜11時すぎに二月堂へ向かい、外陣で過ごしています。
浪人時代には関係者から「リボン」と呼ばれる内陣への招待券を手に入れ、3月14日まで通っていたほどで、自分を「修二会フリーク」と表現したこともあります。
正月も寺社との縁が深く、2019年は大みそかの午後11時45分ごろから寺社を巡り始め、元日の午前10時ごろに帰宅。その後、帰省した子どもや孫を含む家族と食卓を囲みました。
馬淵澄夫氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
元日は寺社巡りから始まる
新年は、大晦日の23時45分から待機して、恒例の初詣の寺社巡りで朝まで。
馬淵氏は元日の恒例として、大晦日の深夜から朝まで寺社を巡る過ごし方を紹介しています。
成長した子どもたちを見守る父親の思い
親としてはただただ、頑張れ!と祈るしかないのを痛感する。
子どもや孫が久しぶりに集まった正月、馬淵氏はそれぞれの挑戦を見守る父親としての気持ちを記しています。
朝起きて15分後にはジム
朝起きたら、もうそのまま、起きて15分後にはジムにたどり着いて。
馬淵氏は筋トレ習慣について、朝起きてほぼそのままの格好で出発し、15分後にはジムに着いてトレーニングを始めると語っています。
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- プロフィール 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:生年月日、出生地、妻・1男5女・孫5人、大学、前職、公職歴、中道改革連合入党。
- 第1240 政界再編の軸をつくる 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:2026年9月時点の政党再編状況、長男・馬淵錦之介さんの生年月日、出生地、奈良での生活、大学、前職、2022年11月から公設秘書。
- 久しぶりの12人家族 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:2019年元日の家族集合、当時の子ども・孫の状況、寺社巡り。
- 敗戦の日に父を想う 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:父・馬淵俊造さん、母・法子さん、弟、父の陸軍士官学校時代、富雄での12人暮らし、母の介護、孫とのエピソード。
- 吉野山中事故から一年 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:2019年11月の交通事故、救出、ドクターヘリ、緊急手術、筋肉の異化作用、リハビリ、本人の事故後の発言。
- サーファー 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:大学時代の大磯生活、幼なじみ、毎日のサーフィン、使用したサーフボード、酒匂・吉浜・稲村ガ崎。
- 夜中のお水取り 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:妻との東大寺修二会、浪人時代から続く「お水取り」との関わり、「修二会フリーク」との本人表現。
- 馬淵澄夫が奈良をゆく。奈良学園前鶴舞団地編 運営主体:まぶちすみおチャンネル/確認内容:鶴舞団地の少年時代、地元の風景、幼なじみの樋口泰行氏・笛吹雅子氏。公式YouTubeチャンネル自体も本人側のSNS案内で確認。
- 第1241号 結果を重く受け止め、最後まで責任を果たす 運営主体:馬淵澄夫公式サイト/確認内容:2026年9月9日に決定した中道改革連合の新たな形態への移行、新党移行・組織清算方針。
- 馬淵澄夫 インタビュー全文 運営主体:政治チャンネル/確認内容:双方の両親を含む12人家族、介護、大皿料理、子どもたちの家庭ルール。
- ボディビルと料理 – 馬淵澄夫 運営主体:政治チャンネル/確認内容:料理、学生時代の自炊、クックパッド、筋力トレーニング頻度、3分割メニュー、早朝トレーニング。















































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