階猛さんは、2026年8月時点で岩手1区選出の衆議院議員です。政治家としての姿とは別に、本人のプロフィールには妻・長男・二男という家族構成が記され、次男は俳優として活動する階晴紀さんであることも知られるようになりました。
家族との会話では息子から遠慮のないツッコミを受ける一方、少年時代から続く野球への思いは今も変わりません。盛岡市で生まれ、雫石町で育ったころの話から、親子共演、神宮球場への愛着まで、議員としての活動とは違う日常をたどります。
- 銀行勤務中、仕事・組合活動・司法試験勉強が重なって1か月入院し、生活と仕事のバランスを考え直した。
- 本とマンガが好きな「雑学博士」。小学6年でクイズ番組に出演し、小学3年から野球、中学では新聞配達も続けた。
- 小学生のころから人前で物おじせず、児童会長も経験。逆境の中でも努力を続ける姿勢を自身の言葉で語っている。
階猛の家族構成|妻・長男・次男がいる
階猛さんの家族は、本人のプロフィールに「妻・長男・二男」と記されています。息子は2人で、そのうち次男が俳優の階晴紀さんです。
2024年と2026年には晴紀さんが父のYouTubeに登場しました。父と成人した息子がカメラの前で向き合うと、国会や記者会見とはかなり違う会話になります。
次男・階晴紀は「下剋上球児」に出演した俳優
次男の階晴紀さんは、2026年6月からニチエンプロダクションに所属しています。TBS日曜劇場『下剋上球児』では多気高校のエース・観月役を演じ、フジテレビ『人事の人見』、映画や舞台、ショートドラマにも活動を広げています。
『下剋上球児』では野球経験を生かし、実際に投手としてマウンドに立ちました。父も長く投手を務めた人物ですが、晴紀さん自身も野球を続けてきた経験があり、親子に共通するものの一つが野球です。
2026年1月31日の父の動画では、晴紀さんが岩手1区での活動を手伝った日のことを話し、久しぶりに訪れた雫石の寒さにも触れました。父が少し硬い調子で進行すると、息子から「固くない?」とツッコミが入ります。
家庭内の雰囲気についても、晴紀さんはかなり率直でした。家では母親の存在感が大きいと、笑いを交えながら話しています。
うちでは母親がトップというか。
出典:日刊スポーツ「【中道代表選】階猛氏の俳優次男、衆院選中は父にズバリ助言」(2026年2月12日)
代表選を終えた2月15日には、階猛さん自身が「欠点、弱点、失点を息子にも指摘してもらいます」と予告し、晴紀さんとの“反省会”を配信しました。息子を一方的に応援役にするのではなく、厳しい指摘も受ける相手として登場させています。
2024年10月にも晴紀さんは父のチャンネルにゲスト出演し、息子の立場から父の素顔を語りました。政治家へのインタビューではなく、親子の距離感そのものが見える回です。
階猛の実家と家族のルーツ|盛岡市生まれ、雫石町育ち
階猛さんは1966年、岩手県盛岡市の病院で生まれました。父・正さん、母・静子さんのもと、2人兄弟の長男として雫石町で育ちました。幼いころから高校卒業まで、生活の中心にあったのは岩手です。
進学を考える年齢になると、東京で暮らし、東京で勉強してみたいという希望を持つようになります。当時、岩手から東京の大学へ子どもを送り出すことは、家計面でも簡単な選択ではありませんでした。
それでも両親は進路を変えるよう求めず、浪人したときには東京の予備校へ通うことも支えました。階さんは後年、希望通りに挑戦させてくれた両親への感謝を語っています。大学合格だけでなく、その後に続く野球や仕事を振り返る際にも、「周囲に支えられた」という感覚が本人の言葉に繰り返し登場します。
岩手との関わりは、東京で生活するようになってからも切れていません。2026年3月、東日本大震災から15年となる時期には、あの日とその後について語ったインタビューを自身のXで紹介しました。
階猛の少年時代|本とマンガが好きな「雑学博士」
子どものころは本とマンガが好きで、自身の紹介では「雑学博士」だったと振り返っています。小学6年生になると、当時人気だったテレビ番組『ベルトクイズQ&Q』にも出場しました。
人前でも物おじしない子どもで、雫石小学校では児童会長を務めました。卒業文集の同級生による人物評には、将来について「銀行員、弁護士、政治家?」と書かれていたといいます。実際に大人になってから経験した仕事が、子ども時代の文集に三つとも並んでいたのは珍しい話です。
小学3年から野球、中学では新聞配達も続けた
野球を始めたのは小学3年生。6年生からリトルリーグで硬球を握り、ピッチャーで4番を任されたこともありました。野球は一時的な習い事ではなく、その後の高校、大学、そして50代になってからの休日まで続いていきます。
中学1年の終わりからは新聞配達を始め、卒業まで継続しました。雫石は冬になると厳しい寒さに包まれます。本人の紹介では、マイナス20度にもなる朝に早起きして配達した時期がありました。
クイズ番組に出る好奇心、児童会長を務める積極性、野球で身体を動かす毎日、寒い朝の新聞配達。少年期のエピソードは、一つの型に収まりません。
階猛の学生時代|二浪中の神宮観戦が野球への情熱を戻した
盛岡第一高校では硬式野球部に入り、投手として甲子園を目指しました。放課後は日が暮れてからも走り込みやトレーニングが続き、朝練もある厳しい環境。雪でグラウンドが使いにくくなる冬は、勉強の遅れを取り戻す時間にしていました。
高校3年の夏、県大会3回戦では一関商工を相手に5回まで無安打に抑えましたが、試合には敗れました。高校野球を終えると、次は東京での受験生活に入ります。
最初の受験では合格に届かず、東京で2年間の浪人生活を送りました。地方にいたころは東大受験の情報が少なく、本人は難しい問題に時間をかけ過ぎるなど遠回りもしたと振り返っています。東京の予備校に通い始めてから、求められる水準を現実的に捉えられるようになりました。
受験生活の中で効いていたのが、高校まで続けた野球で身についた体力と集中力でした。
野球をしていなければ合格できなかったと思います。
出典:東大新聞オンライン「野球が導いた東大合格 衆議院議員 階猛さんインタビュー」(2014年9月14日)
「大学では野球をやめる」予定を変えた東京六大学野球
もともとは大学に入ったら勉強へ力を入れ、野球は高校で終えるつもりでした。ところが1浪目に合格できず、気持ちが沈んでいた時期に神宮球場へ東京六大学野球を見に行ったことで考えが変わります。
東大が他大学と競る姿を見て、「自分も神宮で野球をしたい」と思うようになりました。2026年のインタビューでは、二浪中にジムへ通い、ゲームセンターのスピードガンで139キロを記録したことも明かしています。高校時代より球威が増したことが、自信につながったそうです。
1987年に東大へ入ると硬式野球部へ入部。2年春から先発投手を任されました。同じ投手陣には、のちにプロ野球ロッテでもプレーした小林至さんがいました。
一方で、大学野球は成功だけではありません。明治大学戦では終盤まで1点を守りながら逆転本塁打を浴び、勝利を逃しました。肩を痛めた後は投手を続けられず、4年時は野手に回っています。チームも200勝を目前にしながら長い連敗を経験しました。
高校時代は「勝つための野球」を強く意識していたものの、東大には高校で硬式野球をしていなかった選手など、さまざまな背景の部員が集まっていました。野球との付き合い方は一つではないと知ったのも、大学時代でした。
相手投手の「マウンドの足跡」まで見ていた
2026年に大学野球を振り返ったとき、階さんが細かく覚えていたのが早稲田大学の小宮山悟さんとの投げ合いです。驚いたのは球速や変化球だけではなく、相手が投げ終えた後のマウンドでした。
小宮山さんの1歩目のスパイク跡が、ほとんど同じ場所に重なっていたといいます。そこからフォームの再現性の高さを感じたそうです。何十年たってもマウンドの足跡を覚えているところにも、投手として野球を見てきた視点が残っています。
階猛の友人・人間関係|浪人時代の仲間との縁も続く
二浪というと受験の結果ばかりに目が向きますが、その2年間には人とのつながりも残りました。東京で通った予備校の寮で苦楽を共にした仲間とは、大学へ進んだ後も交流が続き、本人の紹介でも長く付き合う友人として触れられています。
大学では、小林至さんをはじめ全国から集まった野球部員と出会いました。高校までの常識がそのまま通じる集団ではなく、野球への考え方も経験も違う人と一緒にプレーする環境でした。勝敗だけではなく、人によって競技との距離の取り方が違うことを知った場でもあります。
国会で活動をともにする相手についても、個人の強みを具体的に言葉にする投稿があります。2026年6月には中谷一馬さんを「国会のファーストペンギン」と紹介し、AIやデジタル分野の知識に触れたうえで、国会に必要な人材だと本人に伝えたことを明かしました。
階猛の趣味・好きなもの|野球とボクシング
本人のプロフィールに挙げられている趣味は、野球とボクシングです。なかでも野球は「昔やっていたスポーツ」という範囲を超え、見ることも含めて今も生活の中に残っています。
2026年5月のインタビューでは、時間があると神宮球場へ足を運ぶと話しています。好きなのは試合結果だけではなく、球場の雰囲気、応援、周囲の景色。東京六大学ならではの熱のこもった応援を聞くと、心が躍るとも語りました。
野球は「人生の教師」みたいなものでした
出典:日刊スポーツ「東大OBの中道・階猛幹事長『ふらっと神宮へ』2浪目転機訪れ入学」(2026年5月1日)
同じ月には、東大が優勝争いをしていた法政大学から連勝して勝ち点を挙げたことをXで喜びました。卒業から30年以上たっても母校の野球部を追い続けています。
階猛の性格・人柄と私生活|逆境を長く引きずらない
若いころから順調なことばかりではありませんでした。銀行勤務中には市場関連の仕事、労働組合の中央執行委員、司法試験の勉強を同時に抱え、体調を崩して1か月入院したことがあります。
入院中は仕事と生活のバランスについて考える時間になりました。その後も肩の故障、試験への長い挑戦、勤務先の大きな変化などを経験しています。本人の公式ストーリーで、これらを貫く言葉として置かれているのが「逆境」です。
逆境があるからこそ、夢がかなう。
出典:しなたけし公式サイト「しなたけし物語」(2021年9月18日)
失敗した場面も自分の言葉で出す
2026年4月のXには、記者会見で資料配布が間に合わず、手元を見ながら説明した場面を自ら取り上げています。投稿の冒頭は「うつむき加減ですみません」。事情を説明したうえで、最後は記者に謝っています。
息子との動画でも、晴紀さんから進行の硬さやSNSでの伝え方を指摘されると、そのまま会話を続けています。親子だからこその遠慮のなさを、配信でも隠さないスタイルです。
「正しいと思う道」を選ぶという価値観
大学時代や銀行勤務を振り返るインタビューでは、周囲と違う意見を持つときに、自分の考えを言葉にする力が必要だと話しています。政治の話に限らず、簡単な方へ流れないことを、自分の行動基準として表現してきました。
2026年4月、党事務局の発足式では、足りないものを数えるより、今ある人材や力を生かす考え方を職員に伝えました。
「ないもの」に捉われるのではなく、「あるもの」に目を向けてほしい
出典:中道改革連合「中道改革連合の事務局が発足『「あるもの」を生かし、新たな政治の道を』階幹事長」(2026年4月1日)
2026年8月には、政策判断に使うデータや根拠をテーマに専門家と対談し、「エビデンスの罠に注意」とXで紹介しました。数字や資料をそのまま受け取るのではなく、その根拠自体が妥当かを考えるという話です。
階猛氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
高校時代から東京で学ぶことを目指す
東京で暮らし、東京で勉強がしたいと思っていました。
階氏は岩手の高校生だった頃から、東京で暮らし学ぶことを望み、その思いが東大受験につながったと振り返っています。
努力できる環境そのものに感謝
努力をさせてもらえる環境にあることはありがたいことだと自覚しましょう。
階氏は受験生へのメッセージで、努力できる環境を当然と思わず感謝することの大切さを語っています。
東大野球部で意識した「試合を作る」投球
相手に先制点を与えず、競り合いに持っていくということを心がけていましたね。
階氏は東大野球部で投手を務めた頃、試合序盤で崩れず、接戦へ持ち込むことを強く意識していたと振り返っています。
- しなたけし公式サイト「プロフィール」 運営主体:階猛事務所/確認内容:生年月日、家族構成、学校・野球歴、趣味、職歴。
- しなたけし公式サイト「しなたけし物語」 運営主体:階猛事務所/確認内容:父母、弟、雫石町、少年時代、新聞配達、浪人生活、東大野球部、入院、価値観。
- 衆議院「階猛君」 運営主体:衆議院/確認内容:選挙区、当選回数、所属、主要役職、最終学校、前職。
- 中道改革連合「役員一覧」 運営主体:中道改革連合/確認内容:2026年8月時点の幹事長兼選挙対策委員長。
- 階晴紀プロフィール 運営主体:ニチエンプロダクション/確認内容:次男・階晴紀さんの俳優活動、『下剋上球児』『人事の人見』等の出演歴。
- 日刊スポーツ「【中道代表選】階猛氏の俳優次男、衆院選中は父にズバリ助言」 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:次男・晴紀さんとの親子共演、家族内の会話、選挙活動を手伝ったエピソード。
- 日刊スポーツ「東大OBの中道・階猛幹事長『ふらっと神宮へ』2浪目転機訪れ入学」 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:二浪時代、神宮球場、東大野球部、小宮山悟さんとの対戦、現在まで続く野球好き。
- 東大新聞オンライン「野球が導いた東大合格 衆議院議員 階猛さんインタビュー」 運営主体:東京大学新聞社/確認内容:両親の支援、高校野球、浪人生活、大学野球部、友人、本人の価値観。
- ねとらぼ「階猛氏の息子・階晴紀」関連記事 運営主体:アイティメディア/確認内容:2024年10月の親子YouTube共演と採用動画。














































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