磯崎仁彦さんは、香川県選挙区選出の参議院議員です。1957年9月8日生まれで、2026年9月時点では3期目。自由民主党の参議院国会対策委員長を務めています。
身長は173cm、体重は55kg。性格や趣味、好きな作家、家族構成なども具体的に明かしています。
香川県丸亀市生まれの磯崎仁彦さんは、両親の死後も墓参りなどで1〜2か月に1回ほど香川へ戻っていた時期がありました。本人は自分を「強情」と表現し、長所は「コツコツと粘り強い・精神はタフ」、短所は「楽観主義のようです」と答えています。
- 昔からメモを取り続け、10年以上分の「磯﨑ノート」は258冊。
- ANAに1983年から2010年まで勤務し、最終役職はCSR推進室リスクマネジメント部長。
- 本人は「強情」と自己紹介。長所は「コツコツと粘り強い・精神はタフ」、短所は「楽観主義のようです」。
磯崎仁彦の家族構成
妻と2人の娘がいる
家族は、妻・長女・次女です。家族写真も公開されています。
母親は小学校教師だった
磯崎さんは2010年の母の日に、亡くなった母親について書いています。母親は小学校の教師で、磯崎さん自身が通っていた小学校にも勤務していました。本人は母を「強い気丈な母だった」と振り返っています。
卒業文集で、母親が卒業生へ贈ったのが次の言葉でした。磯崎さんは、自分にも向けられた言葉として意識してきたと書いています。
他人はできるだけ許し、自分にはできるだけ厳しく
出典:いそよしブログ「母の日」(2010年5月10日)
母親は晩年、約10年間にわたりリウマチで寝たきりの生活を送りました。磯崎さんは母親の最期に立ち会えなかったことを、後になっても悔やんでいました。
政治の道へ進むと決めた頃、磯崎さんは、両親が生きていればその選択には反対しただろうが、最後には理解してくれるはずだとも書いています。さらに、両親なら自分を「自分達に似て、頑固な奴だ」と見ているだろうと想像していました。本人が後に性格を「強情」と記すこととは別に、家族を思い浮かべながら自分の頑固さに触れていた記録です。
父親は母親より7か月早く他界
父親は母親より7か月早く他界しました。父親の死後、母親は養護老人ホームへ入り、その後に亡くなっています。短い期間に両親を相次いで失ったことは、長く故郷を離れていた磯崎さんが香川へ戻る頻度を変えるきっかけになりました。
磯崎仁彦の実家と家族のルーツ
磯崎さんは香川県丸亀市生まれです。丸亀高校を卒業した後は東京へ進み、その後も長く故郷を離れて暮らしました。香川を離れていた期間は「30年近く」だったと振り返っています。
当時は帰省が年に1回あるかないかという時期もありました。それが両親の死後は、墓参りのため1〜2か月に1回ほど香川へ戻るようになります。帰省するたびに中学・高校時代の同級生と酒を飲みながら話す機会も増えました。
本人は、同級生との会話や墓参りを重ねたことが、その後の大きな進路変更に影響した気がすると記していました。
地元で人に会うと、亡くなった父母を知る人から声をかけられることもあったそうです。両親の話になると、自分も涙ぐむことがあると書いています。長く香川を離れていても、本人だけでなく「磯崎家の息子」として覚えていた人がいました。
あの磯崎先生の息子さんな。いい先生やったな。応援するわ。
出典:いそよしブログ「母の日」(2010年5月10日)
本人はこうした言葉を紹介しながら、故郷に戻って両親の思い出に触れる機会が増えたことを書いています。墓参りと同級生との再会に加え、父母を知る世代との会話も、丸亀とのつながりを再び濃くしていきました。
岩黒島で島の人たちと囲んだ茶粥
香川へ足を運ぶようになった2010年5月には、坂出市の岩黒島を訪ねています。瀬戸大橋で本州・四国とつながる小さな島で、当時は約40世帯が暮らし、主な産業は漁業と紹介していました。
島の公民館では、住民と一緒に魚や野菜料理を囲み、サツマイモとソラマメが入った茶粥も食べています。新鮮な魚を味わい、茶粥についてはお茶のだしにサツマイモとソラマメが入った「素朴な味」と記しました。
磯崎仁彦の若い頃|ANAで働いた会社員時代
大学卒業後の1983年、磯崎さんは全日本空輸株式会社(ANA)へ入社しました。2010年3月に退社するまで長く勤務し、最終的にはCSR推進室リスクマネジメント部長を務めています。
リスクマネジメントは、問題が起きてから対応するだけではなく、起こり得る事態を想定し、情報を集め、先回りして備える仕事です。後年の国会で危機管理を語った際にも、民間企業で関連する役職に就いた経験に触れています。
浪人時代に読んだ本の言葉を30年近く覚えていた
若い頃の読書について、後年まで記憶に残っていた一冊があります。2010年、磯崎さんは浪人時代に外山滋比古さんの『知的創造のヒント』を読み、そこで知った「啐啄の機」という言葉を覚えていたと書いています。
「啐啄」は、卵の中のひなが殻を破ろうとする動きと、親鳥が外から殻をつつく動きが呼応することを表す言葉です。磯崎さんは、何かを始めるときの「まさにこの時」というタイミングを示す言葉として受け止めていました。
学生になる前の時期に読んだ本の一節を、その後も覚えていて、自分の大きな決断を説明するときに引き出しています。好きな作家として4人を挙げる一方、若い頃に読んだ本の言葉も長く記憶に残っていました。
その言葉を思い出したのは、2010年1月25日の朝刊を読んだ朝でした。香川県で候補者公募の締め切りが延長されたという記事を見て、自分にとっての「啐啄の機」だと受け止めたと記しています。浪人時代の読書から約30年後に、一つの言葉が実際の決断の場面でよみがえっていました。
退職時に後輩から贈られた「YELL」
ANAを退職するとき、後輩から贈られた曲が、いきものがかりの「YELL」でした。2010年5月には、この曲が「毎日の励み」になっていると書いています。
同じ時期には、街宣車で流す音声も録音していました。周囲から「棒読みになっている」「もっと抑揚を」と遠慮のない指摘を受け、目の前に人がいるつもりで語りかけるよう求められていました。政治家になる前後の話し方を、周囲の助言を受けながら作っていた時期の一場面です。
磯崎仁彦の友人・昔の仲間との関係
丸亀高校の後輩が振り返る東京時代
丸亀高校の2年後輩にあたる弁護士の大平昇さんは、東京で司法試験の勉強をしていた頃、磯崎さんに世話になったと振り返っています。選挙後に高松駅付近で偶然会ったとき、磯崎さんの方から車を降りて声をかけ、握手を交わしたというエピソードも残っています。
大変お世話になった人です。
出典:大平昇法律事務所「参議院議員選挙が終わって」(2016年7月11日)
大平さんはさらに、司法試験に合格できたのは磯崎さんのおかげと言っても過言ではないほどだったと記しています。
前職の仲間約30人とハーフマラソン
会社を離れた後も、前職の仲間とのつながりは続いていました。2017年2月には香川丸亀ハーフマラソンへ出場し、前職の仲間約30人と一緒に走って完走しています。
ネットタイムは2時間14分51秒。しかも本人によれば、その年も練習をせずに本番へ臨んでいました。
今年も練習なしで臨みましたが、完走できたことに満足です。
出典:いそよしブログ「第71回香川丸亀ハーフマラソン 完走しました!」(2017年2月8日)
相撲との意外な接点もある
スポーツでは、ハーフマラソン以外に相撲との接点もあります。2011年度から香川県相撲連盟の会長となり、同年5月には香川県春季少年相撲大会と香川県中学校相撲選手権大会で、会長として初めて大会に臨みました。
このとき本人は、相撲を日本の伝統として捉え、競技人口を増やしたいという考えを記しています。地元で子どもたちの競技を支える立場も経験していました。
相撲とのつながりはその後も続きました。2013年4月、三豊市の吉祥寺花祭りで小学生相撲大会に立ち寄った際には、前年の「子ども国会」で会っていた平尾勇登さんと再会。6年生になった平尾さんが相撲大会に参加しており、磯崎さんは「思いがけずうれしい再会」だったと記しています。
磯崎仁彦の趣味・好きなもの
趣味は世界遺産をテレビや本で見ること
本人が趣味として挙げているのは、世界遺産をテレビで見たり、本で眺めたりすることです。「旅行して世界遺産を巡る」と限定しておらず、映像や本を通して楽しむのが本人の紹介の仕方です。
2016年には、東かがわ市引田の古い町並みで開かれた「世界の人形祭」に足を運びました。井筒屋敷を中心に世界各国の人形が並ぶ催しで、多くの人形に目を奪われていたと記しています。
香川の季節の風景を短い文章に残すことも
行事や仕事とは離れて、香川の景色だけを短く書いた日もあります。2013年5月の「走り梅雨」では、久しぶりの雨に濡れた木々の緑、水を張った田んぼに映る景色、空気の中に感じる雨の匂い、黄色く色づいた麦を順に記しました。
写真に選んだのは、まんのう町の田園風景でした。世界遺産のような大きな景観をテレビや本で楽しむ一方で、身近な季節の変化にも目を向け、数行の文章と写真で残しています。
好きな作家は4人
好きな作家として挙げているのは、宮部みゆき、東野圭吾、佐伯泰英、司馬遼太郎の4人です。ミステリー、時代小説、歴史小説で知られる作家が並びます。世界遺産を本で眺めることも趣味にしており、読書は身近な楽しみの一つです。
好きな本の題名ではなく、好きな作家としてこの4人を挙げています。
磯崎仁彦の性格・人柄と私生活
本人が挙げる性格は「強情」
磯崎さんが自分の性格として挙げるのは「強情」です。さらに長所は「コツコツと粘り強い」「精神はタフ」、短所は「楽観主義のようです」としています。
「いそパラ」というパラパラ漫画も公開していた
2010年5月、ホームページで公開したのが「いそパラ」です。磯崎さん自身を題材にしたパラパラ漫画で、名前の「いそざき」と「パラパラ漫画」を組み合わせた呼び名でした。
当時の案内では「いそざき仁彦の素顔が見られる」と紹介し、ホームページで毎日少しずつ公開すると告知していました。翌月には「いそざきch」も開設し、街頭演説や公開討論会だけでなく「何気ない日常の一言」や後援会事務所の様子まで動画で公開しています。
258冊になった「磯﨑ノート」
日々の習慣として続けているのが、出来事を書き留めるノートです。10年以上にわたり記録した「磯﨑ノート」は258冊に達しています。
記録する内容は、会議や政策だけではありません。地元で会った人の発言も細かく残し、正確さを保つことや、後で忘れないために使っています。大量のノートは、突然始めた仕事術ではなく、昔から続く癖の延長にあります。
私は、昔から何でもメモをとります。
出典:いそよしブログ「メモ魔」(2010年5月10日)
2010年当時に使っていたのは、無印良品の単行本ノートと、100円ショップで10本100円だった青いボールペンでした。本人は道具の値段まで書いたうえで、気取らない言い方で紹介しています。小さなノートへ、その日の行動や会った人、聞いた話を次々と記録していました。
同じ時期、約40日間にわたって香川県内を回った際には、地元で聞いた意見や離島の暮らしに関する話も書き留めています。瀬戸内国際芸術祭に合わせた船の運賃割引をめぐっては、観光客だけでなく、日常的に船を使う島民から運賃やダイヤへの声を聞いたと記しました。
会社員時代にも、顧客に近い現場の声が重視されていたと振り返り、退社後は自分で歩いて話を聞くようになります。「どこへ行き、誰に会い、何を聞いたか」を後からたどれるようにすることが、メモの具体的な使い方でした。
2010年には、航空会社での仕事を「空」の仕事、退職後の活動を「地」に足をつけて生の声を聞く仕事と表現したこともあります。ANAで身につけた現場の声を重視する感覚を、退職後も自分なりの言葉でつなげていました。
2022年6月には、参議院議員会館の事務室を「演出無し、片付け無し」で見せる動画も公開しました。机や棚に資料が置かれたままの執務室を「突撃訪問」する構成で、説明には「いそざきノート」「書類の山」という言葉も添えられています。
磯崎仁彦が大切にしている考え方
本人が掲げる信条は、「信賞必罰 自分に厳しく」です。
「三つの鏡」と「楕円の哲学」
2020年の国会で代表質問に立った際、磯崎さんは意思決定の心構えとして「三つの鏡」を取り上げました。自分を見る「銅の鏡」、歴史に学ぶ「歴史の鏡」、部下の厳しい直言や諫言を受け入れる「人の鏡」という考え方です。
もう一つ挙げたのが、香川県出身の大平正芳元首相が用いた「楕円の哲学」でした。相対立する考えを排除せず、緊張関係を保ちながら均衡を取るという発想です。磯崎さんは、異なる意見を受け止めて合意形成することの大切さを、この二つの言葉に重ねています。
いろいろな話に直に耳を傾けなければなりません。
出典:自由民主党「第203回臨時国会における磯崎仁彦参議院自民党政策審議会長代理代表質問」(2020年10月30日)
「次代への責任を果たす」という言葉を掲げ、価値観が多様化する中で「選択肢のある社会」を目指すとしています。また、事務所ページでは、時代に応じて変えるべきものは変え、維持するものは守り、次世代へ残すことを自分の使命として説明しています。
磯崎仁彦氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
母親から受け取った言葉
私は、自分に向けられた言葉として、常に意識しているがなかなか実践は難しい。
磯崎氏は、小学校教師だった母親が卒業文集に記した言葉を、自分自身にも向けられたものとして意識してきたと書いています。
世界遺産を眺めるのが趣味
自分を「強情」と表現
- 本人公式プロフィール 生年月日、家族、性格、趣味、好きな作家、長所・短所、信条、258冊の「磯﨑ノート」
- 参議院「磯崎 仁彦」 氏名読み、出生地、最終学歴、ANA勤務歴、香川県選挙区、当選回数
- 自由民主党「いそざき仁彦」 当選3回、主な現職、公式サイト・SNS確認
- 自由民主党「新たな党役員人事」 2026年9月16日の参議院国会対策委員長再任確認
- いそよしブログ 2010年5月アーカイブ 母親、両親との関係、メモ習慣、浪人時代の読書、退職時の「YELL」、「いそパラ」、岩黒島など
- いそよしブログ「香川県相撲連盟会長としての初仕事です。」 香川県相撲連盟会長としての活動、少年相撲との関係
- いそよしブログ「子ども国会 平尾勇登議員との再会!」 2013年の小学生相撲大会での再会エピソード
- いそよしブログ「走り梅雨」 まんのう町の田園風景、季節の景色を文章に残したエピソード
- いそよしブログ 2017年2月アーカイブ 香川丸亀ハーフマラソン、前職仲間との交流、完走タイム
- いそざき仁彦 公式ホームページ 丸亀市生まれ、ANA勤務、メッセージ等
- 自由民主党・2020年代表質問掲載ページ 「三つの鏡」「楕円の哲学」、本人発言、価値観
- 大平昇法律事務所「参議院議員選挙が終わって」 丸亀高校の後輩・大平昇氏から見た東京時代の人物像






































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