小野寺五典さんは宮城県気仙沼市の小さな旅館の息子として育ち、東日本大震災では実家も被災しました。東京水産大学を卒業後、宮城県職員などを経て東京大学大学院へ進学。松下政経塾や米国での研究生活も経験し、水生昆虫の分類研究にも取り組んでいます。現在は妻・長男・次男の家族で、趣味はテニスとスキー。家庭での顔も本人公式プロフィールから分かります。子どもの頃から読売ジャイアンツを応援しています。研究者としての一面もあり、若い頃から現在まで、複数の顔が一続きにつながっています。
- 家族は妻・長男・次男です。
- 東京水産大学卒業後、宮城県職員などを経て東京大学大学院へ進学。松下政経塾、米国での研究生活も経験。
- テニス、スキー、朝の散歩、スポーツ観戦。
小野寺五典の家族構成
小野寺五典の家系図|妻・良枝さんと養子・旧姓の関係
小野寺五典さんの家族は、妻・長男・次男です。息子は2人で、長男と次男がいます。
家系資料では、妻は小野寺良枝さん。良枝さんの父は、宮城県議会議長や気仙沼市長を務めた小野寺信雄さんです。
小野寺さん自身は旧姓が「熊谷」で、実父は熊谷安統さん。家系資料には、小野寺信雄さんの養子となった熊谷五典さんとして記録され、信雄さんの長女・良枝さんが妻として記載されています。
「小野寺五典」という名字だけを見ると代々小野寺家で育ったようにも見えますが、出生家は熊谷家です。検索されることの多い「養子」「旧姓」「家系図」は、この家族関係につながっています。
息子は長男と次男の2人
子どもは長男と次男の2人です。2026年6月、衆議院議員在職25年の表彰を受けた際の謝辞では、地元の人々や後援会、党の仲間、事務所スタッフへの感謝とともに、家族への感謝も言葉にしました。
長い政治生活を振り返る場で、支えてくれた人々の最後に家族を挙げています。普段の公式プロフィールでは短い「妻、長男、次男」という家族欄ですが、節目の言葉には家族への思いが表れています。
再起を支えた弟
小野寺さんには弟がいます。議員辞職後、仕事を探したりアルバイトをしたりしていた時期には、政治の道へ戻るか悩んでいました。
そのころ、同級生から政治を諦めたのかと問いかけられます。さらに、弟と元秘書が魚を売り歩きながら以前の支援者を訪ね、再起への協力を求めました。小野寺さんが2026年の国会で自ら振り返った出来事です。
小野寺五典の実家と家族のルーツ
気仙沼の小さな旅館で育った
小野寺さんは宮城県気仙沼市で生まれ育ちました。2026年6月の衆議院本会議では、自分の原点を語る中で、実家が旅館だったことを明かしています。
気仙沼市の小さな旅館の息子として生まれました。
出典:衆議院「第221回国会 本会議 第27号」(2026年6月25日)
子どもの頃、旅館から見える気仙沼の海では、多くの漁船が沖へ向かっていました。魚がたくさん揚がる時期には町に人が集まり、旅館も忙しくなる。そんな漁業の町の日常を見ながら育っています。
一方、漁業が厳しくなると、同級生の家業が立ち行かなくなり、地元を離れる友人も出てきました。家業と地域産業が近い距離にあった家庭環境でした。
東日本大震災で母と弟を探した夜
2011年3月の東日本大震災では、気仙沼の実家も津波の被害を受けました。小野寺さんは地震翌日に気仙沼へ入り、連絡が取れなくなっていた母と弟を夜通し探しました。
避難所でようやく2人を見つけたとき、食べ物は十分ではありませんでした。そこで1個のおにぎりを母・弟・小野寺さんの3人で分けました。
その後は、水道も電気もガスも止まった被災後の実家で母、弟と生活しました。弟も海上で震災に遭い、帰る途中には屋根の上に取り残されていた人を救助しています。
被災地には与党も野党もない。
出典:日本記者クラブ「被災地議員 記者会見 小野寺五典 衆議院議員」(2011年4月7日)
「三世代が一緒に暮らせるふるさと」という言葉
小野寺さんの公式サイトで前面に掲げられているのが、家族と地域を結びつけた言葉です。祖父母から孫まで一緒に暮らせる地域を意識し、その背景には働く場所、教育、医療、福祉など生活全体への問題意識を置いています。
三世代が一緒に暮らせるふるさと
出典:小野寺五典公式サイト(公開日記載なし)
小野寺五典の若い頃
少年野球からテニスへ
子どもの頃に夢見ていた職業は、プロ野球選手でした。少年野球に取り組みましたが、自分の力を考えて途中で競技を変えます。
次に力を入れたのがテニスでした。少年野球からテニスへ転向し、テニスでもプロを目指して真面目に練習したと、2024年のインタビューで振り返っています。
大人になってから趣味として挙げているテニスは、単なる最近の余暇ではなく、少年期から続く長い付き合いです。
水生昆虫を分類していた研究者時代
若い頃の小野寺さんには、現在の政治家という姿からは想像しにくい専門分野があります。大学卒業後に宮城県職員となった時期、主に水産資源の試験研究に携わりました。
川へ入り、石をひっくり返してトビゲラなどの虫を探し、その種類や生態から川が元気なのか、汚れているのかを調べる仕事です。本人が特技として挙げるのは、水生昆虫の分類です。
研究を続けるうち、環境や水産資源の課題は研究だけでは解決できない場面があると感じるようになりました。その後、政策を学ぶ道へ進むきっかけの一つになります。
松下政経塾で「同じ屋根の下」にいた仲間
研究の世界から政策を学ぶために進んだのが松下政経塾でした。第11期生として研修生活を送り、その時代には後に宮城県知事となる村井嘉浩さんもいました。
2024年のインタビューでは、村井さんについて「同じ屋根の下」で一緒に研修していた仲間と説明しています。政治の世界へ進む前から続く人間関係の一つです。
小野寺五典の英語力は?米国で約2年を過ごした研究生活
「英語力」も関心を集めるテーマですが、TOEICや英検など、語学力を点数や資格で示した公表データは見当たりません。
確認できるのは、2000年9月から2002年6月まで、米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所の客員研究員だったことです。ワシントンで国際問題を研究する生活を約2年間経験しました。
英語をどの程度話せるかを数値化することはできませんが、米国の研究機関に長期間在籍した経験は公表されています。
2026年時点の公式プロフィールで確認できる基本情報
2026年時点の衆議院公式プロフィールでは、小野寺五典さんは1960年5月5日生まれ、宮城県気仙沼市出身、宮城5区選出、当選10回です。東京水産大学を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科を修了しています。
本人公式プロフィールでは、家族構成は妻・長男・次男、趣味はテニスとスキー、座右の銘は「一隅を照らす」と明記されています。本文の家族・趣味欄は、この本人公表情報をもとに紹介しています。
「養子」「旧姓」は家族関係を説明するための情報
小野寺さんについて検索される「養子」「旧姓」は、妻・良枝さんとの結婚によって小野寺家に入った経緯を知りたいという検索意図につながっています。ただし、家族の現在の私生活や息子2人の勤務先など、本人が公表していない情報まで広げることはしません。
この記事では、本人や家族が公にしている範囲と、過去のインタビュー・公的資料で確認できる範囲を区別して扱っています。
記事内のYouTubeは小野寺五典本人への選挙インタビュー
記事に埋め込んでいるYouTubeは、2024年衆院選で小野寺五典さん本人へ行われた候補者インタビューです。別人や本人不在の一般動画ではありません。
現在の役職や当選回数は2026年時点の衆議院・自民党公式プロフィールを優先し、過去動画は本人の話し方や人柄を確認する補助資料として残しています。
本人公式YouTubeには、気仙沼で自ら訴える様子を収めた動画も残っています。旅館を営む家に生まれ、宮城県職員や研究生活を経て地元へ戻った小野寺さんが、現在どのような話し方で地域の人へ語りかけているのかを確認できる一次資料です。
小野寺五典の趣味・好きなもの
テニスとスキー、そして朝の散歩
趣味はテニスとスキーです。ただ、役職が忙しくなると十分な時間を取れないため、2024年には別の気分転換を挙げていました。
それが朝の散歩です。警護が付く立場になってからは一人で自由に歩けるわけではありませんが、朝に体を動かす時間をストレス解消にしていました。
今は朝の散歩、これがストレス解消かな
出典:NPO法人メディアージ「宮城5区 小野寺五典候補(自民)インタビュー全文書き起こし」(2024年10月26日)
読売ジャイアンツを子どもの頃から応援
野球では読売ジャイアンツを応援しています。理由は少年時代のテレビ事情でした。当時、気仙沼でテレビをつけてプロ野球を見ると巨人戦が中心で、YGマークの帽子を「野球の帽子」だと思っていたそうです。
宮城にはまだ楽天球団がなかった時代です。子どもの頃に自然と巨人を応援するようになり、2024年のインタビューでも、今も変わらず応援していると話しました。
ロサンゼルスでゴジラを見つけて「嬉しい」
海外出張中のXには、仕事とは少し離れた表情も残っています。2023年にロサンゼルスのジャパン・ハウスを訪れた際、歩道にある映画作品のプレートからゴジラを見つけました。
苦手なのはカラオケとナマコ
好きなことだけでなく、苦手なものもかなり具体的です。2024年のインタビューで聞かれた際には、カラオケを歌うことと、ナマコを食べることを挙げました。
水産資源を研究し、気仙沼で育った人物だけに「ナマコが苦手」という答えは少し意外です。抽象的なプロフィールだけでは見えにくい、本人自身が語った好みの一つです。
小野寺五典の性格・人柄と私生活
若い頃から「普通の感覚」を大切にした
初当選から半年ほどの1998年、小野寺さんは議員らしい黒塗りの車を使わず、近い場所へは歩いて移動していました。車を持っておらず、運転担当の秘書を雇う余裕もなかったためです。
一度、支援者から借りた白いカローラで国会周辺へ行くと、国会議事堂やホテルで場違いな車を見るような反応をされたこともあったと振り返っています。
そのころから掲げていたのが、政治に「普通の感覚」を持ち込むという考え方でした。政治家だけの特殊な基準ではなく、普段の生活で自然に感じる基準を忘れないというものでした。
普通の政治家です(笑)。
出典:松下政経塾「当たり前のことを当たり前に」(1998年6月28日)
「万事研修」「素直な心」「一隅を照らす」
松下政経塾時代から心に置いてきた言葉には、「万事研修」「素直な心」があります。知らないことを叱られたときは「万事研修」、腹が立つことがあったときには「素直な心」を思い出したと語っています。
公式プロフィールに載せている座右の銘は「一隅を照らす」。2026年の永年在職表彰の謝辞でも最後にこの言葉を紹介しました。長く使い続けている言葉です。
移動の合間には空港で一杯
出張の移動中には、肩の力が抜けた投稿もあります。2023年5月、ワシントン・ダレス国際空港から帰国する直前の様子をXに残しました。
河野克俊さんとの共演で見せた仲間との距離感
2023年5月には、櫻井よしこさんの番組に出演し、元統合幕僚長の河野克俊さんと同席しました。小野寺さんは自身のXで河野さんを、同じ分野で長く仕事をしてきた仲間として紹介しています。
小野寺五典氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
実家と子どもの頃
趣味と気分転換
気仙沼でサンマを拾った子ども時代
子どもの頃、私たちは朝起きると「サンマ拾いに行ってくる」と言って家を出て
小野寺氏は港町・気仙沼で育った子ども時代、漁船や魚市場が身近で、道に落ちたサンマを拾いに行った思い出を語っています。
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- 衆議院会議録・衆議院公式資料 記事本文で参照
- www.jnpc.or.jp 記事本文で参照
- www.itsunori.com 記事本文で参照
- note記事 記事本文で参照
- www.mskj.or.jp 記事本文で参照
- 小野寺五典に関するX投稿 記事本文で参照
- 小野寺五典に関するYouTube動画 記事本文で参照















































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