「令和おじさん」として広く知られた菅義偉さん。記者会見では淡々とした表情が印象的でしたが、家族や古くからの友人が語る姿には、照れ屋で親孝行、甘いものが好きという別の顔があります。
秋田の山あいで育った少年時代、家を出て東京で働いた若いころ、妻・真理子さんや3人の息子との家庭、空手や渓流釣り、パンケーキまで。政治の肩書きから少し離れて、一人の人物としての菅さんを見ていきます。
少年時代から渓流釣りを楽しみ、長年ウォーキングも習慣にしてきました。
- 酒は飲まず甘いもの好き。ウォーキングを長く習慣にしていた。
- 高校卒業後に上京し、工場勤務や築地市場のアルバイトを経て進学。
- 旧友から「照れ屋で、親しくなると人懐っこい」と評される。
菅義偉は2026年に政界引退|9月時点は前衆議院議員
菅さんは2026年1月17日、次の衆議院選挙に立候補せず、政界を引退する考えを明らかにしました。77歳の喜寿を迎えたことを節目に、後進へ道を譲るというのが本人の説明です。
同日の報道では、周辺の説明として高齢による体力面への考慮も伝えられました。一方、本人が引退理由として特定の病名を挙げたわけではありません。2026年9月時点の公式サイトは、肩書きを「前衆議院議員」としています。
菅義偉の家族構成
家庭では、妻の真理子さんと3人の息子の父親です。政治家として名前が知られる前から家庭を持ち、秘書として働いていた時代には、幼い子どもたちを抱えてアパートで暮らしていました。
妻・真理子さんは、ゼロからの挑戦を支えた人
真理子さんとは、小此木彦三郎さんの事務所で菅さんが秘書をしていた頃に知り合いました。表に出ることを好まず、家庭を守りながら夫を支えてきた人物として、周囲から語られています。
1987年の横浜市議選へ挑もうとした時、菅さんには地盤も大きな資金もありませんでした。長年一緒に働いた橋本昇さんが真理子さんに「なぜ主人にやらせるのか」と尋ねると、静かな口調ながら、はっきり返したといいます。
「主人には支援して下さる方が、きっと多く出てきて頂けると信じています」
出典:菅義偉公式ウェブサイト「原点―元小此木事務所秘書 橋本昇―」(2001年掲載)
その後、支援の輪は少しずつ広がりました。夫が一軒ずつ家を回る一方、真理子さんは前面に出るより、生活の土台を守る側にいました。市議時代から菅さんを知る関係者も、真理子さんについて「周りに気遣いができる」「家庭を守っている」と振り返っています。
2025年1月、菅さんがカーター元米大統領の国葬へ総理特使として渡米した際には、真理子さんも同行しました。長く家庭を支えてきた妻が、公的な海外日程に寄り添った比較的新しい場面です。
日々の体調管理でも真理子さんが力を貸した時期がありました。旧友の齋藤精二さんによれば、体重が増えた頃には、真理子さんが毎朝手作りのスープカレーを用意し、4か月で76キロから62キロまで落としたといいます。政治活動の表舞台では目立たなくても、暮らしの中では食事を通じて夫を支えていました。
息子は3人。市議への挑戦時は6歳、3歳、6か月
菅さんが横浜市議を目指した時、子どもたちは6歳、3歳、6か月でした。まだ手のかかる時期に、秘書を辞めて選挙へ踏み出しています。
3人はいずれも息子です。長男の正剛さんは、一時期父の秘書を務め、その後は東北新社に勤務したことが広く報じられました。息子たちが幼かった頃は、真理子さんが子育てを担う時間が長く、菅さんは秘書の仕事と政治への準備に追われていました。
子育ての中心を担ったのは真理子さんでした。家族を長く知る人の話では、真理子さんは子どもたちを連れて毎年のように秋田の実家へ足を運んでいたそうです。忙しい夫に代わって、祖父母と孫のつながりも保っていました。
息子たちが大人になってからも、家族が集まる場では父親らしい入り方をしていたようです。菅さんは後年のインタビューで、子どもたちが集まっていると肩を組みながら会話の輪へ入り、勉強しているかと声をかけると話しています。政治の話を家族へ長々とするのではなく、冗談まじりに同じ輪へ入っていく父親でした。
菅義偉の実家と家族のルーツ
生まれ育ったのは、秋田県雄勝郡の旧雄勝町、いまの湯沢市秋ノ宮です。山を越え、秋田杉の間を進んだ先に集落があり、同じ「菅」姓の親戚が多く暮らす地域でした。
後援会で長く菅さんを支えた西郊由美子さんは、秋田の実家を訪ねた時の様子を、「全く普通のおうちで平屋」と振り返っています。玄関を入ると、選挙で使った菅さんの顔のパネルが貼られていたそうです。
父は農業、姉2人と弟1人の4人きょうだい
父の和三郎さんは戦後、故郷の秋田で農業に取り組み、いちごの産地化にも力を注いだ人物です。菅さんは姉2人、弟1人がいる4人きょうだいで、男子では長男でした。
少年時代は家の手伝いもしていました。ただ、農家の後継ぎとしてそのまま地元に残る道は選びませんでした。家族のいる秋田を離れ、自分で進路を探す選択が、のちの上京につながります。
両親の前では「息子」に戻った
政治家として多忙になってからも、両親との関係は続きました。西郊さんによれば、菅さんは何かあると秋田へまめに電話を入れ、時間をつくって両親を旅行へ連れていったそうです。
札幌の雪まつりを見せようと急に旅を決めたこともありました。普段は表情を大きく変えない菅さんが、父母と一緒の時には子どものような表情を見せていたといいます。
後援会の旅行では、両親が内緒で会場へ現れるサプライズもありました。母親が参加者の前で「岸壁の母」を踊ると、菅さんは照れながらも嬉しそうにしていたそうです。政治家としての顔より、故郷の家族の前で見せる素の反応が伝わる場面です。
菅義偉の若いころ|秋田から東京へ、自分の道を選んだ日々
歴史小説が好きだった少年時代
子どもの頃は読書が好きで、歴史小説を夢中になって読んでいました。特に惹かれていた人物は織田信長。小学校3年生から中学校卒業まで級長を務めたといい、目立って騒ぐタイプというより、要点をつかんで物事を進める少年だったと同級生も振り返っています。
高校時代は通学にも時間がかかりました。バスと徒歩をつないで、順調でも片道およそ1時間半。終バスを逃せば、長い道のりを歩いて帰ることになります。冬になると深い雪で交通が不安定になり、学校の近くに下宿して通った時期もありました。スポーツは得意でしたが、通学時間の長さから高校では部活動を断念しています。
一方、釣りは幼い頃から身近でした。秋ノ宮を流れる役内川で、渓流釣りに明け暮れたと本人が後年振り返っています。いま公式プロフィールに「渓流釣り」が趣味として残っているのは、少年時代から続く一本の線です。
高校卒業後、家出同然で東京へ
高校を卒業すると、菅さんは秋田を出ます。農家を継ぐのではなく、自分の力を試したいという気持ちが強くなっていました。
「東京で自分の力を試してみたい」
出典:菅義偉公式ウェブサイト「菅義偉物語」(公開日記載なし)
上京後は工場で働きましたが、そこで一生を終える将来像には納得できず、進学を考えるようになります。築地市場で台車を運ぶ仕事などをしながら入学金を貯め、アパートへ戻れば受験勉強。働きながら約2年間、進学の準備を続けました。
大学では空手部。鍛錬は会見の落ち着きにもつながった
法政大学では空手部に所属しました。生活費と学費を得るためのアルバイトと並行しながら、道場で稽古を続けています。
後年、大学関係者の集まりに出席した際、空手部の先輩を前にして、官房長官らしい淡々とした話し方の原点を冗談交じりに語りました。
「先輩の高津師範には頭が上がらない。今日、官房長官として冷静に発言できるのは空手のおかげ」
出典:法政大学「3月20日(月)」(公開日記載なし)
若い頃の菅さんは、家族から与えられた一本道を歩いたというより、働きながら選択肢を増やしていった人でした。卒業後はいったん民間企業に勤め、その後、政治の世界に関心を持つようになります。
菅義偉の趣味・好きなもの
渓流釣りは少年時代から続く趣味
公式プロフィールに挙げられている趣味は、渓流釣りとウォーキングです。渓流釣りは大人になってから始めたものではありません。秋田にいた少年時代から、役内川で魚を追っていました。
漫画『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄さんが亡くなった2020年、菅さんは同郷の矢口さんを悼むコメントの中で、自分も「大の釣り好き」だと明かしました。政治日程とは切り離された、故郷の川の記憶と結びついた趣味です。
パンケーキと甘納豆。実はかなりの甘党
堅い印象とのギャップで知られるのが甘いものです。旧知の友人・齋藤精二さんは、パンケーキや甘納豆を好み、仲間内の誕生会では大きなイチゴのケーキも食べ切ると語っています。
2020年のインタビューでも、菅さん自身がパンケーキについて店を食べ歩くと話していました。「パンケーキ好き」は作られたキャラクターではなく、本人の発言と長年の知人の証言が重なる好みです。
酒は対照的で、公式プロフィールには「アルコール:全然ダメ」とあります。宴席でも飲酒より人と話す側で、古くからの支援者も「お酒も飲めないのに大勢の人の所をまわっていた」と振り返っています。
体を動かす習慣も長く続けていました。2020年の取材では、毎日40分歩き、腹筋運動を100回していると本人が説明しています。公式プロフィールにウォーキングが趣味として掲げられているのも、こうした日課とつながっています。
市議時代はサウナ、旅行、野球も
横浜市議時代には、仲間とサウナへ行ってマッサージを受けたり、私的にハワイへ旅行したりしたこともありました。議員の野球団では三塁手。田野井一雄さんは、瞬発力があり、バッティングも良かったと振り返っています。
官房長官になってからは休みをほとんど取らないほど仕事中心の生活になりました。昔からの友人と過ごしたサウナや野球の話は、長く続いた「仕事人」のイメージとは少し違う一面です。
菅義偉の性格・人柄と私生活
旧友が語るのは「照れ屋」と「人懐っこさ」
会見の無表情な印象だけで人柄を決めると、古くから知る人の証言とは少し違って見えます。横浜で6回、選挙事務局長を務めた齋藤精二さんは、長い付き合いの中で見た菅さんをこう表現しています。
「すごく照れ屋で、親しくなると、人懐っこい方です」
出典:週刊女性PRIME「菅義偉氏、旧知の友人が語った『令和おじさん』の私生活と『菅夫人の正体』」(2020年9月9日)
親しい人の前では演歌を歌うこともありました。うまさについて田野井さんから冗談を言われるような関係で、車の中で一緒に歌ったこともあったそうです。テレビ会見の短い映像だけでは見えない距離感です。
友人と争う選挙区を避けた
市議への挑戦を考えていた頃、引退する議員から後継者として選挙区を譲る話が持ち込まれたことがありました。地盤のない菅さんにとっては、大きな助けになる提案です。
ところが、その選挙区には若い自民党市議が2人いました。2人は「菅ちゃんだったら選挙で争っても本望だ」と歓迎したそうですが、菅さんは話を断ります。元同僚の橋本昇さんは、その理由を「友情のある二人とは戦えなかった」と振り返っています。
代わりに選んだのが、有力な現職議員がいて、周囲からも厳しいと言われた横浜市西区でした。楽に見える道より、人間関係を壊さない道を選び、その分を一軒一軒歩く行動量で埋めようとしました。
友人の選挙資金を差し出し、背広まで贈った
人付き合いを物語る強いエピソードが、横浜市会議員だった福田進さんとの関係です。2人はそれぞれ政治家秘書だった頃からの友人で、将来は一緒に議員になろうと話していました。
「誠意たっぷりの不器用者」
出典:菅義偉公式ウェブサイト「宝物の背広―横浜市会議員 福田進―」(公開日記載なし)
1983年、福田さんが市議選へ挑む時、菅さんは自分が将来出馬するために貯めていた金を「選挙資金として使ってくれ」と差し出しました。当時は自分にも小さな子どもがおり、アパート暮らし。それでも落選後に返金しようとした福田さんから、金を受け取りませんでした。
その年の夏には、自分のボーナスで福田さんに紺の背広まで作っています。「その服を着て町を歩けば、応援した人が安心する」という考えでした。相手の次の挑戦に必要なものを、言葉だけでなく具体的に差し出すところに、菅さんの付き合い方が表れています。
約束したら、すぐ動く
おもちゃコレクターとして知られる北原照久さんは、横浜のまちづくりについて相談した時、菅さんが話を忘れず、すぐに行動へ移したと振り返っています。大げさに自分を見せるより、頼まれたことを処理して結果を返すタイプでした。
一方で、自分の苦労を前面に出すのは好まなかったようです。元同僚の橋本昇さんは「照れ屋で、自分の苦労や努力を人に見せるのを嫌う」と記しています。目立つ言葉より、黙って続ける方を選ぶ姿勢は、学生時代のアルバイトや選挙前の戸別訪問にも共通していました。
座右の銘は「意志あれば道あり」
公式プロフィールに掲げる座右の銘は「意志あれば道あり」。横浜市議選へ初めて挑んだ時、一日300軒を歩き、選挙までに3万軒を回った経験から生まれた言葉です。靴は6足が履けなくなるほど傷み、昼に入ったそば店で一度倒れたこともありました。
それでも休まず家を回り続け、当選しました。本人にとってこの言葉は、きれいな標語というより、足で動いた経験から残ったものです。
2025年末には、官邸での意思決定を振り返った著書『官邸の決断』も刊行しました。子どもの頃は歴史小説を読み、若い頃は仕事と勉強を並行し、長い政治生活の終盤には自分の判断を文章として残す側にもなりました。
引退直前の言葉を、本人の声で見る
政界を離れる直前の2026年1月、菅さんはTBS NEWS DIGのインタビューで、長い政治生活を振り返りました。無表情に見られがちな話し方や、言葉を区切りながら答える間合いまで含めて確認できる映像です。
菅義偉氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
若い頃の決断
「どうせいつかは死ぬわけですから、一度の人生思いっきり生きてみたい」
菅義偉氏が「若い頃の決断」について語った本人の言葉です。公開された本人発言を出典付きで紹介しています。
寝る時はきちんと着替える
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- 前衆議院議員 菅義偉 公式ウェブサイト 運営主体:菅義偉事務所/確認内容:2026年9月時点の肩書き「前衆議院議員」、不出馬・後継者への引き継ぎ、趣味、公式SNS。
- 菅義偉公式ウェブサイト「プロフィール」 運営主体:菅義偉事務所/確認内容:生年月日、最終学歴、上京後の生活、アルバイト、妻、息子3人、市議初挑戦、両親、秋田の実家、友人・支援者証言、座右の銘。
- 内閣総理大臣 菅義偉 運営主体:首相官邸/確認内容:生年月日、秋田県出身、法政大学法学部卒、国会議員秘書、横浜市議、衆議院議員、総務大臣、官房長官、第99代内閣総理大臣。
- 2026年1月 活動報告 運営主体:新堀史明公式サイト/確認内容:2026年1月17日の引退報告会・記者会見に菅義偉が夫人とともに出席したこと。婚姻状況の最新確認補助。
- 法政大学「3月20日(月)」 運営主体:法政大学/確認内容:法政大学で空手部に所属していたこと、本人の空手に関する発言。
- 菅元総理が政界を引退「国民のための政治を」 次の衆院選に出馬せず 運営主体:テレビ朝日/確認内容:2026年1月17日の政界引退表明と、喜寿を迎え後進に道を譲るという本人説明。
- 菅元総理、次の衆院選不出馬 「高齢のため体力に考慮」 運営主体:テレビ朝日/確認内容:引退表明前後に周辺から伝えられた年齢・体力面の説明。特定の病名を本人の引退理由として扱わないための照合。
- 「自民党の悪いところは全て見た」政治家・菅義偉 異例のロングインタビュー 運営主体:デイリー新潮/確認内容:姉2人・弟1人、歴史小説と織田信長、小学校3年から中学卒業まで級長、雪深い高校時代、家出同然での上京。
- 菅氏出た「政権突き」スポーツから戦国武将まで語る 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:O型、パンケーキ好き、毎日40分のウォーキングと腹筋運動、妻と3人の息子。
- 菅首相「私も大の釣り好きで…」同郷の矢口さん悼む 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:少年時代に役内川で渓流釣りをしていたこと、『釣りキチ三平』への思い。
- 菅義偉氏、旧知の友人が語った「令和おじさん」の私生活と「菅夫人の正体」 運営主体:週刊女性PRIME/確認内容:照れ屋で人懐っこいという人物評、甘党、パンケーキ・甘納豆、サウナ、ハワイ旅行、野球、真理子夫人、3人の子ども、スープカレーによる食生活管理。
- 菅義偉 元総理「国民にとって当たり前の政治を心がけてきた」【引退議員に聞く】 運営主体:TBS NEWS DIG Powered by JNN/確認内容:2026年1月26日の引退直前インタビュー。本人の声、表情、政治生活の振り返り。











































築地市場の台車運び、警備員、新聞社の使い走り、食堂でのカレーの盛りつけなど。大学へ入った後も仕事を続け、学費を自分で賄っていました。