尾身朝子さんは、国会議員としての肩書きだけを見ると、科学技術や外交に関わってきた人物という印象が先に立つかもしれません。2026年9月時点では衆議院議員4期目で、北関東ブロックから選出されています。
尾身朝子さんには2人の息子がいます。東京都生まれで、小学校3年生から中学1年生までは米国ニュージャージー州で生活しました。編み物や料理、スポーツ観戦、オペラ鑑賞が好きで、家族の歩みと海外生活の経験が人物像を知る手がかりになります。
- 編み物・料理・スポーツ観戦・オペラ鑑賞を趣味とし、群馬の地域行事にも継続的に参加している。
- 東京大学法学部卒業後、日本電信電話株式会社に勤務。結婚・出産・育児休業を経験し、その後ITコンサルタントとして独立。
- 座右の銘は「運命を拓く」。地元では「朝子さん」と呼ばれ、地域行事へ継続的に足を運んでいる。
尾身朝子の家族構成
夫との結婚後、2人の息子を育てた
尾身朝子さんはNTT勤務時代に結婚し、長男と次男の2人の息子に恵まれました。出産後には育児休業も経験しています。
その後はシングルマザーとなり、仕事と子育てを並行。待機児童の問題にも直面しました。子どもが中高生だった時期には、仕事が夜遅くなっても家庭の朝は早く始まっていました。
その後シングルマザーになったことは本人が明らかにしていますが、離婚・死別など、その経緯は公表されていません。
本人は、働きながら子どもを育てる中で地域や職場に支えられてきたとも振り返っています。育児を家庭の中だけで完結させた経験ではなく、周囲の助けを受けながら仕事を続けた時期でした。
朝五時には起きて朝食を作って学校に送り出し
出典:東京新聞「小選挙区 候補者の横顔(1区)」(2017年10月12日)
子どもを送り出した後は洗濯を済ませて仕事へ向かい、帰宅が夜遅くなる日もありました。
息子は2人|次男は芸人「ラパルフェ」の尾身智志
2人のうち次男は、お笑いコンビ「ラパルフェ」の尾身智志さんです。1994年7月10日生まれで、早稲田大学を卒業。中学時代からの同級生・都留拓也さんとコンビを組み、コントやものまねを軸に活動しています。
智志さんは2024年のYouTube出演で、祖父が国会議員だったため、小学生くらいまで千代田区の議員宿舎で過ごしたと話しています。母の政治活動が始まるより前から、祖父の仕事を通じて国会に近い生活環境が身近にありました。
学生時代は「リレンザ」というコンビ名で活動し、大学時代には学生のお笑い大会で優勝した経験もあります。養成所の所属審査をきっかけに「ラパルフェ」へ改名し、2018年にプロのコンビとして結成。2019年にはTikTokへ投稿したものまね動画が注目を集めました。智志さん自身の趣味は映画観賞とスポーツ観戦、特技は目隠しチャンバラです。
「リレンザ」はインフルエンザ治療薬の商品名でもあるため、養成所の所属審査で改名を求められました。締め切りが翌日だったことから2人で一晩かけて案を出し、元の名前と語感が近い「ラパルフェ」に決めたといいます。
芸人の仕事が増える前は、コールセンターで週5回アルバイトをしていました。2023年の取材時点では勤務が週2、3回まで減り、芸人の仕事との比重が変わりつつあると話しています。
2021年のM-1グランプリ準々決勝では、阿部寛さんを題材にしたネタがインターネット上で大きな反響を呼びました。智志さんはそれ以前に芸人を辞めることも考えていましたが、この反響がお笑いを続ける原動力になったと取材で語っています。
2024年12月の「しくじり先生」では、相方・都留拓也さんとの知名度差がテーマになり、番組が業界人100人へ行ったアンケートで智志さんの名前を知っていたのは2人という結果が示されました。
長男については、2017年10月に山本一太さんがXで「真志さん」と紹介しています。当時25歳で、東京都内の電子機器メーカーに勤務していると記されていました。これは2017年時点の情報です。
息子二人は一番の支援者
出典:尾身朝子公式サイト「家族」(公開日記載なし)
息子の話を自分から笑いに変えることも
家族について語るとき、尾身朝子さんは堅い話ばかりをするわけではありません。2022年12月、都内で開かれた「2023年消防団入団促進サポーター『和牛消防団』お披露目&任命式」に総務副大臣として登壇した際には、芸人が並ぶ会見の空気に合わせて、次男の話を自分から持ち出しました。
自己紹介では、自分を「ラパルフェの“じゃない方”の母」と表現。任命状がなかなか開かなかったり、上下を逆さまにしたりと小ボケを交え、会場の芸人たちからツッコミを受けています。息子が芸人であることを、母親自身が公の場で笑いに変えた珍しい場面です。
誕生日を「親への感謝の日」として振り返る
2022年4月の誕生日には、健康で新しい年齢を迎えられたことを報告するとともに、誕生日は親への感謝を深める日だという思いをXにつづりました。家族の話題では、息子だけでなく自分を育てた親へ視線を向ける投稿もあります。
尾身朝子の実家と家族のルーツ
父・尾身幸次は群馬県沼田市出身
尾身朝子さんは1961年、東京都で生まれました。父は、衆議院議員を8期務め、第1次安倍内閣で財務大臣を務めた尾身幸次さんです。
幸次さんの出身地は群馬県沼田市。朝子さん自身は東京生まれですが、父の地元だった群馬とのつながりを長く持ってきました。
幸次さんは通商産業省などで26年間官僚として働いた後、1983年に衆議院議員へ初当選。国会議員としても26年間活動しました。
私も群馬が大好き。
出典:尾身朝子公式サイト「5分でわかる尾身朝子」(公開日記載なし)
父とは科学技術の分野でも接点があった
父・尾身幸次さんは政治家としてだけでなく、科学技術政策にも長く関わった人物でした。2004年には、科学技術と社会の課題を議論する国際組織STSフォーラムを創設しています。
STSフォーラムは京都で年次総会を開き、科学者だけでなく政策担当者、企業経営者、大学・研究機関のリーダーらが集まる場として発展しました。2006年にはNPO法人となっています。
幸次さんは科学技術政策担当大臣も務め、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の創設にも関わりました。政治家としての活動の中で、科学技術を長期的なテーマとして扱っていた人物です。
朝子さんは2007年12月にSTSフォーラムの秘書室長となり、2013年1月には事務局長を務めました。親子の接点は家庭や地元だけではなく、科学技術をめぐる国際的な交流の場にもありました。
幸次さんは2022年4月14日に89歳で亡くなりました。朝子さんは自らのXで父の歩みを振り返り、生前に寄せられた厚情への感謝を記しています。
尾身茂との関係は?
尾身朝子さんの父は尾身幸次さんです。 医師の尾身茂さんとの親族関係を示す公表情報は確認されていません。
尾身茂さんは、WHO西太平洋地域事務局長などを務めた医師です。自治医科大学卒業後は地域医療に従事し、WHOでは感染症対策に携わりました。のちに地域医療機能推進機構(JCHO)理事長も務めています。
尾身朝子の若い頃|小学生から中学生まで米国で生活
尾身朝子さんには、子ども時代に海外で暮らした経験があります。1970年、小学校3年生のときにアメリカへ渡り、中学校1年生までニュージャージー州で生活しました。
会社員時代は情報通信の仕事に没頭
1986年4月から2002年7月までNTT系企業に勤務し、科学技術振興機構が運営する電子ジャーナル等の情報発信サイト「J-STAGE」の企画・開発・運用プロジェクトでプロジェクトリーダーを務めました。政治の世界へ入るよりずっと前から、情報通信と科学技術が仕事の中心にありました。
2002年にNTTを退社すると、ITコンサルタントとして独立。書籍や資料の電子化などに携わり、株式会社ブライトホープを設立しました。子育てに追われる時期と、デジタル分野で専門性を築く時期が重なっていたことになります。
2004年には東海大学総合科学技術研究所の教授(非常勤)となり、同大学で「科学と工学からみた情報の最前線」と題した公開講座の講師も務めました。
2007年には株式会社ブライトホープの代表取締役となり、情報通信分野の事業を続けています。衆議院議員として初当選する2014年まで、会社員を離れた後もIT、大学、企業経営、子育てに関する会議など複数の現場で活動していました。
2026年4月時点でも株式会社ブライトホープの代表取締役を務めています。議員になる前に立ち上げた会社との関わりは、国会議員4期目となった後も続いています。
2013年には内閣府の「子ども・子育て会議」委員となりました。会議には東京商工会議所人口政策委員会委員の立場で参加しています。シングルマザーとして待機児童を経験した後、国会議員になる前から子育て制度を議論する場にも加わりました。
2013年6月には麹町法人会の常任理事・女性部会長、同年12月には東京商工会議所の労働委員会委員・女性会理事も務めました。2014年4月には日本商工会議所の若者・女性活躍推進専門委員会委員となり、会社経営だけでなく、働く人や女性の活動に関わる場にも参加しています。
大人になってからも海外を行き来した
2019年9月に外務大臣政務官へ就任し、海外へ出向きました。ジュネーブの国連人権理事会では日本を代表して英語でスピーチしたこともあります。
外務大臣政務官の時期には、北米・中南米の34か国と、女性・人権・軍縮・科学技術の分野を担当しました。5度の海外出張では、地球約3周半分にあたる距離を移動したと振り返っています。コロンビアでは日本人移住90周年の式典にも参加し、現地の日系人が日本の文化と言語を大切にしている姿が印象に残ったと振り返っています。
訪問先には、2019年のコロンビア、ノルウェー、パラグアイ・ブラジル、2020年の米国、スイスなどがあります。短期間に複数の地域を行き来する日程が続きました。
尾身朝子の趣味・好きなもの
編み物は「至福」の時間
尾身朝子さんの趣味の中で、特に生活感が伝わってくるのが編み物です。忙しいときでも編み棒を手に取り、一目ずつ編み進める時間を大切にしています。
そんなことが私の至福です。
出典:尾身朝子公式サイト「私の趣味・編み物」(公開日記載なし)
作品は自分用だけではありません。息子たちへセーターやマフラーを編んで贈ることもありました。幼い頃に手編みの帽子をかぶった写真も公開しています。
料理と息子たちのお弁当
料理も長く続く好きなことの一つです。息子たちが学校へ通っていた時期には、毎日のお弁当作りにも力を入れていました。
お弁当おいしかったよ
出典:尾身朝子公式サイト「私の趣味・料理」(公開日記載なし)
子どもから返ってくるその一言が、何よりの喜びだったと記しています。料理は「趣味」と「子育て」が重なる、尾身さんらしい生活の一場面でした。
スポーツ観戦とオペラ鑑賞も趣味
編み物と料理のほか、スポーツ観戦やオペラ鑑賞も趣味に挙げています。
尾身朝子の性格・人柄と私生活
地域行事へ足を運ぶ「朝子さん」
2023年11月には沼田の恒例行事「ゑびす講」、同じ月には4年ぶりに開かれた昭和村の秋まつりを訪ねています。父の故郷というだけでなく、季節の行事へ顔を出すことが地域との付き合い方の一部になっています。
同年9月には、前橋市で手話言語の国際デーに合わせて臨江閣とグリーンドーム前橋を青くライトアップする催しにも参加しています。祭りや農作業だけでなく、地域で開かれるさまざまな催しへ足を運んでいます。
本人は、群馬の地元では「朝子さん」と呼ばれていると紹介しています。
座右の銘は「運命を拓く」
尾身朝子さんが掲げている座右の銘は、短い四文字です。
運命を拓く
出典:自由民主党「2021年衆院選特設サイト 尾身朝子」(2021年)
尾身さんが初めて国政選挙に当選したのは53歳のときです。その後、中央政治大学院では「幸福度世界一の国へ」をテーマにした講座にも関わりました。
2022年4月12日の講座では古川康さんと対談し、女性の意見が意思決定へ反映されることや、日本社会の価値観などを取り上げています。
その後もウェルビーイングへの関心は続き、2023年にはパリでOECDの担当者と会い、幸福度をどのように測るか、統計の国際比較をどう進めるかについて意見交換しています。
「自分ごと」で考えるという感覚
尾身朝子さんは、自身が経験した課題を説明するときに「自分ごと」という言葉を使っています。本人が価値観を語る場面で繰り返し現れる表現です。
節目で「ご縁」を大切にする
2023年9月に総務副大臣を退任した際には、在任中に各地で得た人とのつながりや経験についてXへ記しました。
尾身朝子氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
息子2人との家族関係
群馬への思い
編み物の時間
- 衆議院「尾身朝子君」 生年月日・学歴・職歴・現在の議員プロフィールを確認
- 尾身朝子公式サイト 家族・経歴・趣味・本人プロフィールを確認
- 尾身朝子公式サイト「5分でわかる尾身朝子」 本人の人物像・活動歴を確認
- 自由民主党 第49回衆院選候補者情報 党公式プロフィールを確認
- 尾身朝子公式X 投稿 本人発言を確認
- 東京新聞 衆院選候補者記事 家族・人物関連の公開情報を確認

















































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