勝俣孝明さんは、静岡県沼津市出身の衆議院議員です。2026年9月24日時点で静岡6区選出、当選6回です。政治家としての活動とは別に、家族との関係、祖父と過ごした子ども時代、学生時代のアルバイト、スポーツや読書、料理など、日常に近い話も具体的に残しています。
勝俣孝明さんは妻と3人の子どもの家族です。本人は静岡県沼津市生まれで、父も沼津市、母は伊豆市修善寺の出身。読書、サーフィン、グランドゴルフ、スポーツ観戦を楽しんでおり、家族と地元、外で体を動かす趣味が身近にあります。
- 壁にぶつかっても根を伸ばして進む姿勢を、自ら「雑草魂」と表現。公に掲げる座右の銘とあわせて、本人が示している人物像が分かる。
- 沼津東高校、学習院大学経済学部、慶應義塾大学大学院を経てスルガ銀行などで勤務。
- 座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」。2026年のインタビューでは、自身の歩みを「雑草魂」と表現している。
勝俣孝明の家族構成
勝俣孝明さんの家族は、妻と、長男・長女・次男の3人の子どもです。本人も2021年の自己紹介で「3児の父」と記しています。
子どもは男の子2人と女の子1人で、長男、長女、次男の順です。2013年の発行物では、父親が育児に関わる役割を広げていくべきだという考えにも触れ、超党派のイクメン議員連盟に参加していました。
勝俣孝明の実家と家族のルーツ
父は沼津、母は修善寺の出身
父親は沼津市出身、母親は伊豆市の修善寺出身です。勝俣孝明さん自身も沼津で生まれ育っており、家族のルーツは静岡県東部にまとまっています。
父親の職業について、本人はサラリーマンだったと明かしています。政治家の家に生まれたわけではなく、親戚にも政治とのつながりはなかったという説明です。
父はサラリーマンでしたし、家族・親戚すべて政治とはまったく無縁。
出典:かつまた孝明オフィシャルブログ「かつまた孝明ってどんな人?」(2021年10月25日)
祖父の小さな商店で覚えた「働くこと」
家族の中で、勝俣孝明さんが特に具体的な思い出を残しているのが祖父です。祖父は沼津市で小さな商店を営んでいました。幼い勝俣さんは、店のわずかな売り上げを麻袋に入れ、祖父と一緒に銀行へ預けに行くことを楽しみにしていたそうです。
その祖父の姿から、一生懸命に働くこと、毎日こつこつ努力すること、そして働いた対価としてお金を受け取ることを学んだと振り返っています。祖父は7人の子どもを育て、15人の孫に恵まれた人物でもありました。
本人は、祖父が示した姿勢を次の世代へ伝えていくことを自分の役割のように感じているとも記しています。祖父との思い出の中で、仕事観やお金に対する感覚まで具体的に語っています。
そして、子どもの頃の夢は、銀行員でも政治家でもありませんでした。
小さい頃になりたかった職業はお坊さんです。
出典:かつまた孝明公式サイト「孝明ヒストリー」(公開日記載なし)
祖父の商店と銀行の往復という生活感のある記憶のすぐそばに、「お坊さんになりたかった」という子どもらしい夢も残っています。
勝俣孝明の子ども時代・学生時代
小学校3年から陸上、中学では野球部
小学校3年から陸上少年団で陸上競技を始めています。主な種目は100メートル走。本人は後年の自己紹介でも「足はけっこう速かった」と書いています。
中学校では野球部に入り、守備位置はショートでした。市内3位になった記録も残っています。高校と大学では再び陸上競技に取り組み、体育会陸上部に所属しました。子どもの頃から大学まで、競技は変わりながらもスポーツを続けていたことになります。
大学時代は「アルバイト三昧」
大学時代について、本人は率直な振り返りを残しています。東京の大学へ進ませてくれた親に申し訳ないとしながら、学校の勉強を積極的にした記憶はあまりなく、むしろアルバイトを通じて社会に触れることが楽しかったそうです。本人の表現では「アルバイト三昧」の学生生活でした。
地元では門池小学校、門池中学校で過ごし、中学では野球、高校からは再び陸上へ移っています。大学進学で東京へ出た後も体育会陸上部に所属したため、学校が変わっても走ることは続けていました。一方で、本人が大学生活の思い出として詳しく語っているのは、部活動だけではなく、学外で人と接したアルバイトの時間です。
中でも印象に残っているのが、ラジオニュースの原稿を作るアルバイトです。渡された単語をもとに、アナウンサーがリスナーへ伝えやすい短いニュース原稿を作っていました。
野球のスコアブックをつけられたため、試合の記録を担当することもありました。原稿づくりやスコア記録をしながら、解説者やアナウンサーから、限られた時間で考えを伝える方法を学んだとしています。
授業や試験の話より、アルバイト先で出会った仕事の仕方を詳しく覚えているのが、本人の学生時代の語り方です。後年まで具体的に残している経験は、教室の中よりも、放送の現場で文章を書いたりスポーツを記録したりした時間でした。
銀行員時代に見ていた地元の暮らし
大学を出た後に選んだのは、地元の銀行でした。就職活動はバブル崩壊後の景気低迷期で、友人や知人も厳しい状況に置かれていたと振り返っています。そんな時期に実家へ戻ると、子どもの頃から知っていた店がなくなり、人通りも減っていました。生まれ育った地域の変化を目にしたことから、地元で働く道を選びました。
銀行員として働いた期間は約11年。仕事では会社の決算書を見て融資に関わり、経営者の話を聞き続けました。そこで耳にしたのは、事業の夢や将来の話だけではなく、経営が苦しいという声や、従業員と家族を抱える経営者の悩みも含まれていました。
仕事上の実績としては、入社2~3年目に中小企業向け融資額で全店1位となり、社長賞を連続受賞したと記しています。その後は企業経営研究所の研究員として地域経済・産業の分析に携わり、スルガ銀行では人事担当マネージャーも務めました。
銀行員として働いていた2007年には、慶應義塾大学大学院経営管理研究科を修了し、経営学修士(MBA)を取得しています。慶應義塾大学の学術情報リポジトリには、2006年度の修士学位論文として「地方パブリック・ビジネス市場における金融機関の役割―自治体・住民・地銀の三位一体型ビジネスを探る―」が登録されています。日々の銀行実務と並行して、地域と金融の関係を大学院でも研究していました。
2010年に銀行を退職した後、本人は銀行員として地域の経済や産業を見てきた経験を、自分の進路を考えた理由の一つとして説明しています。家族や親戚に政治家がいたわけではなく、それまでとは異なる世界へ移った形でした。
勝俣孝明が地元を歩き始めた頃
銀行を辞めて新しい活動を始めた頃は、それまで経験したことのない毎日だったと振り返っています。朝は駅や街頭に立ち、昼は地域を歩いて人の声を聞き、夜は会合へ出るという日々を送っていました。
始めたばかりの頃は、街頭に立っていても周囲の反応が分かりにくかったそうです。それでも活動を続けるうちに、少しずつ声をかけられるようになったと記しています。本人にとっては、政治の肩書きを得る前に、地元の人と直接顔を合わせ続けた時期でした。
特に伊豆半島を歩いた時間について、人の温かさを感じたと振り返っています。沼津で生まれ育ち、銀行員として静岡東部の企業と接してきた後も、地域を歩いて住民と話すことが日々の中心になりました。
その頃の文章では、伊豆半島の人たちの温かさに触れ、「ここに生まれ、育ち、本当に良かった」と感じたことも記しています。同時に、伊豆半島のことをもっと多くの人に知ってほしいという思いも書いていました。
地元の子どもたちとの接点も長く続いています。2026年5月には、地元の小学生を国会へ案内する取り組みが「14年目」になったとブログで報告しました。その年も小学生の国会見学を受け入れ、自ら案内しています。大人の地域行事だけでなく、子どもたちを迎える機会も継続してきました。
この時期の記録には、役職名や制度の説明よりも、「声を聞いて歩く」「声をかけてもらう」といった人とのやり取りが多く登場します。初めての環境で、顔を覚えてもらうところから始めた時期として本人の記憶に残っています。
勝俣孝明の趣味・好きなもの
読書は村上春樹と司馬遼太郎
趣味の一つが読書です。好きな作家として挙げているのは、村上春樹さんと司馬遼太郎さん。ジャンルの異なる2人の作家を名前まで具体的に挙げています。
サーフィンからグランドゴルフまで幅広いスポーツ
スポーツ系の趣味は複数あります。サーフィンはショートボード、スノーボード、フットサル、ゴルフ、グランドゴルフを挙げています。陸上と野球に取り組んだ学生時代だけでなく、大人になってからも複数のスポーツに親しんでいます。
中でもサーフィンは、ボードの種類を「ショートボード」と明記する趣味です。
2023年9月には、福島県南相馬市の北泉海岸で開かれた「KITAIZUMI SURF FESTIVAL 2023」に足を運びました。イベントでは国内外のサーファーが集まり、勝俣さんもサーフィンに関わる立場から会場の熱気についてコメントしています。会場で味わった福島の海産物「常磐もの」についても、おいしかったと率直な感想を残しました。競技を見るだけでなく、海辺の食や地域の雰囲気まで楽しんだ一日でした。
2026年夏にもサーフィンに関する動きは続いています。沼津の海水浴場に足を運んだ週には、サーフィンに関する議員連盟の会合を開き、福島での国際大会誘致などを話し合っていました。個人的な趣味として始まったサーフィンが、50歳になった2026年にも身近な競技として登場しています。
ゴルフについては、始めた頃のスコアが150で、その後116まで縮めたという数字も記しています。グランドゴルフも含め、趣味として続けてきた競技は一つに絞られていません。
サッカー日本代表を地元で応援
2026年6月には、キラメッセぬまづで行われたサッカーワールドカップ日本代表のパブリックビューイングにも参加しています。
みんなの気持ちが届き、快勝です!
出典:かつまた孝明オフィシャルブログ「心一つに応援!」(2026年6月22日)
競技として続けてきた陸上や野球、2026年時点でも続くサーフィンなどとは別に、スポーツ観戦を地元の人たちと一緒に楽しむ場面もあります。
勝俣孝明の地元での一日
2026年6月15日の日曜日は、朝から地元の行事を回りました。最初に訪れた門池地区のソフトボール大会では始球式を行っています。35年前に門池中学校野球部で汗を流したグラウンドでした。
当時を思いながら投げました!
出典:かつまた孝明オフィシャルブログ「充実の日曜日!」(2026年6月15日)
続く清水町のグランドゴルフ大会でも始球式を行い、一打を「緊張」と表現しています。その後は江原素六先生顕彰会の総会、沼津・山王公園のフリーマーケットへ移動しました。
その後は伊豆長岡温泉の「おさんぽ市」へ。そこで足湯に入り、本人は「ホッとひと休み」と短く記しています。さらにFMいずでは、ひなた公園を眺めながら「かつまた孝明マル勝通信」を収録しました。
続いて伊豆稲取キンメマラソンの会場へ移動しています。本人は初回から関わってきた大会だと記しており、2026年の第9回には3400人を超えるエントリーがあったと紹介しました。夜は沼津へ戻り、会合に出席して一日を終えています。
この日は、式典や会合だけでなく、かつて野球をしたグラウンド、グランドゴルフの一打、足湯、ラジオ収録、マラソン会場と、場面が次々に変わりました。地元の行事を回る途中で足湯に入る短い休憩も挟んでいます。
勝俣孝明の料理と日常
趣味の一覧とは別に、得意料理も具体的です。挙げているのは野菜炒めと味噌汁。野菜炒めには「おススメ」と添え、味噌汁にはひと手間について短く書いています。
味噌汁(出汁からとります)
出典:かつまた孝明公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
2026年2月には、本人の公式YouTubeで「\最後の選挙メシ/」というショート動画も公開されました。食事をテーマにした短い映像で、文章とは違う雰囲気を見ることができます。
勝俣孝明の性格・人柄と大切にする言葉
勝俣孝明さんが自分を表すために使っている言葉はいくつかあります。その一つが、座右の銘として掲げる「人事を尽くして天命を待つ」です。
この言葉は、2018年に環境大臣政務官を務めた際の首相官邸の人物紹介にも座右の銘として掲載されています。少なくともその時点で、本人が公に掲げていた言葉です。
また、2026年2月の衆議院選挙後のインタビューでは、政治の世界に入ってから何度も壁にぶつかったと振り返り、自分の歩みを「雑草魂」という言葉で表しました。
踏まれても踏まれても、根をしっかりと伸ばし、花を開く雑草魂
出典:静岡新聞アットエス「【喜びの声】衆議院選挙 静岡6区・勝俣孝明氏」(2026年2月9日)
勝俣孝明氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
父親と政治とは無縁だった家庭環境
父はサラリーマンでしたし、家族・親戚すべて政治とはまったく無縁。
勝俣氏は自身の家庭について、父親は会社員で、家族や親戚も政治とは無縁だったと説明しています。
- 衆議院「勝俣孝明君」 生年月・学歴・銀行勤務・現在の議員プロフィールを確認
- 勝俣孝明公式プロフィール 本人プロフィール・家族関連情報を確認
- 勝俣孝明公式サイト「これまでの歩み」 若い頃・経歴・人物像を確認
- 勝俣孝明公式ブログ 本人発信・家族や活動のエピソードを確認
- 静岡新聞SBS 記事 本文で扱う人物情報を確認
















































コメントを残す