石田昌宏の家族は?子ども2人・看護師時代、金魚50水槽とウイスキーの素顔

石田昌宏
ひと目でわかるプロフィール 石田昌宏
いしだまさひろ
生年月日
1967年5月20日
出生地
奈良県
血液型
A型
星座
おうし座
干支
未年
最終学歴
東京大学医学部保健学科
主な前職
国会議員秘書
学生時代の部活動
応援部
趣味・好きなこと
神社巡り・金魚飼育
特技
泡盛マイスター、テキーラ・マエストロ

石田昌宏さんは、看護師・保健師として医療現場で働いた経験を持つ参議院議員です。2013年に初当選し、2025年の参議院選挙で3選しました。

国会では医療や看護に関わる姿が知られていますが、本人が語ってきた家庭での出来事や学生時代、趣味の話には、仕事中とはかなり違う表情があります。

金魚の飼育と水替えを日常的に続ける石田昌宏さん。学生時代は東京大学応援部に所属していました。長い休みが取れたら奈良時代へ行き、藤原不比等に会って話を聞きたいとも答えており、看護師としての経歴とはまた違う興味の広さが見えてきます。

石田昌宏さんの素顔がわかる3つのポイント
  1. 金魚の飼育と水替えを日常的に続けている。
  2. 大学時代は応援部。下駄で街を歩くなど、体を締めつけない装いを好んだ。
  3. 自身の理想は「疎通知遠」。本人は普段から大抵リラックスしていると回答。

石田昌宏の家族構成

石田昌宏の家族構成 家族・結婚・子ども
家族構成
子ども2人
子ども
子ども2人。2019年の国会発言で、2人とも自宅で出産したと本人が説明。

石田昌宏さんには子どもが2人います。

家族について印象的なのが、2019年12月3日の参議院厚生労働委員会で語った出産の話です。石田さんの家庭では、2人の子どもはいずれも自宅で生まれました。

「家で子供二人とも産んでおりまして」

出典:石田まさひろ政策研究会「第200回国会 参議院 厚生労働委員会(令和元年12月3日)」(2020年1月16日)

助産師が出産前から自宅を訪れ、出産時だけでなく産後まで関わっていたそうです。

特に下の子が生まれたときは、出産直後から近所の人たちが家を訪ねてきました。成長して歩けるようになると、子どもが近所の家でご飯を食べたり、別の家のお父さんにお風呂へ入れてもらったりすることもあったと振り返っています。

家庭の中だけで子育てを完結させるのではなく、近所の大人たちも自然に関わっていた時期がありました。石田さんが国会でこの体験を紹介したのは、地域で助産師が活動する意義を話していた場面でした。

石田昌宏の実家と家庭環境

石田昌宏の実家・自宅・家族のルーツ
育った家庭や暮らしから見える人物像
実家・家族のルーツ地域
三重県・兵庫県・東京都・石川県・長野県
実家・家庭環境
奈良県大和郡山市生まれ。父の転勤で三重・石川・東京・長野・兵庫へ移り住んだ。
自宅・暮らし
2024年12月時点で、自宅屋上に金魚用の水槽を約50個設置。

石田昌宏さんは1967年5月20日、奈良県大和郡山市で生まれました。

ただし、子ども時代を一つの土地だけで過ごしたわけではありません。父親の転勤に伴い、三重県、石川県、東京都、長野県、兵庫県と各地で暮らしています。

高校時代を過ごしたのは兵庫県の甲陽学院高校です。その後は東京大学医学部保健学科へ進みました。

奈良に生まれ、父親の仕事の都合で複数の地域を移りながら育ったことが、石田さんの子ども時代の家庭環境で確認できる特徴です。

石田昌宏の若い頃と看護師時代

大学時代は下駄で街を歩く応援部員

スーツ姿の印象とはかなり違うのが、東京大学時代の石田昌宏さんです。

2026年に学生時代の人物像を尋ねられた際、石田さんは下駄を履いて街を歩いていたと答えています。靴だけでなく、時計やネクタイなど身体を締めつけるものが好きではなく、着るものや履くものをできるだけ少なくしていたそうです。

「大学時代は下駄で街を闊歩していました。」

出典:日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -前編-」(2026年4月17日)

大学では応援部に所属していました。身体を縛る服装を好まない一方で、応援部という集団活動には精力的に取り組んでいた学生でした。

看護師を目指す原点になった教授との出会い

大学時代には、看護学者の見藤隆子教授との出会いがありました。

石田さんは、看護とは人がその人らしく生きることを支え、人間そのものを深く追究する仕事・学問だという考えに触れたことを、看護師を目指した原点として挙げています。

東京大学の看護教育には長い歴史があることも学生時代に見藤教授から教わり、その経験は卒業後も職業意識として残りました。

「看護師として高い自覚をもって」

出典:石田まさひろ政策研究会「東大看護の歴史から」(2022年2月18日)

男性看護師がまだ少なかった時代に病棟へ

1990年に大学を卒業すると、聖路加国際病院の内科、東京武蔵野病院の精神科で看護師として勤務しました。当時は男性看護師がまだ非常に少ない時代でした。

精神科では社会復帰病棟に所属した経験があります。2026年のインタビューでは、年間10人も退院しなかった病棟で、看護師が中心になって取り組んだ結果、数百人が退院する病棟へ変わっていく過程を経験したと振り返っています。

患者と接する中で得た経験は、石田さんが今も看護について話すときの原点の一つになっています。

父の転勤で各地を移りながら育った

石田昌宏さんは奈良県大和郡山市で生まれましたが、幼少期から一つの地域だけで育ったわけではありません。参議院公式プロフィールでは、父親の転勤に伴い、三重県、石川県、東京都、長野県、兵庫県で暮らしたことが記されています。

高校は兵庫県の甲陽学院高校。その後、東京大学医学部保健学科へ進学しました。出生地の奈良から始まり、父親の仕事に合わせて複数の地域を移動しながら学生時代を迎えています。

本人が各地で暮らした経験を現在の考え方へ直接結びつけて説明している資料は確認できないため、ここでは「転勤の多い家庭で育った」という生活歴として紹介します。

東京大学時代は応援部、そして看護の道へ

東京大学時代の石田さんは応援部に所属していました。2026年の日本看護連盟のインタビューでは、当時は下駄で街を歩き、時計やネクタイなど身体を締めつけるものを好まなかったと振り返っています。

一方、進路の大きな転機になったのが、看護学者・見藤隆子教授との出会いです。本人は、看護とは人がその人らしく生きることを支え、人間そのものを深く追究する仕事・学問だという考えに触れたことを、看護師を目指した原点として挙げています。

1990年に東京大学を卒業すると、聖路加国際病院の内科、東京武蔵野病院の精神科で看護師として勤務しました。当時は男性看護師が現在ほど多くない時代で、本人プロフィールでも男性看護師として臨床現場へ入った経歴が紹介されています。

精神科病棟で退院支援に関わった

東京武蔵野病院では精神科の社会復帰病棟に勤務しました。2026年のインタビューで石田さんは、当初は年間10人も退院しないような病棟だったと振り返っています。

そこで看護師が中心となって患者の社会復帰を支える取り組みを進めた結果、多くの患者が退院していく過程を経験しました。本人はこの経験を、看護師として大きな「感動」を得た出来事の一つとして語っています。

この記事では、その経験から政治的な評価を導くのではなく、石田さんが国会議員になる前に、病院で患者と直接向き合う看護師として働いていた時期があったことを人物史として扱います。

2人の子どもは自宅出産だった

家族について、石田さんが国会の場で具体的に明かしているのが、2人の子どもの出産です。2019年12月の参議院厚生労働委員会で、2人とも自宅で生まれたことを本人が説明しました。

出産のときだけ助産師に依頼したのではなく、出産前から自宅を訪問してもらい、産後も関わってもらっていたと話しています。下の子が生まれたときには近所の人も家へ集まり、その後、子どもが近所の家庭で食事をしたり、お風呂へ入れてもらったりするような関係があったとも語っています。

配偶者の氏名や子どもの氏名・学校など、本人が公表していない情報は扱いません。家族については、本人が国会で明らかにした「子ども2人」「2人とも自宅出産」という範囲を基準にします。

石田昌宏の趣味・好きなもの

石田昌宏の好きなもの・休日
趣味・好きなこと
神社巡り・金魚飼育
趣味の詳細
金魚の繁殖・品評会、神社巡り・古代史探究
好きなもの
金魚、神社・古代史、熟成酒の文化
ペット・動物
金魚・錦鯉・メダカ(2024年12月時点)
休日の過ごし方
長い休みなら奈良時代へ行き、藤原不比等に会って話を聞きたいと回答。

金魚は約50水槽、品評会の入賞も目指す

石田昌宏さんの趣味で特に規模が大きいのが、金魚の繁殖と飼育です。

2024年12月時点のプロフィールでは、自宅屋上に水槽を約50個設置。らんちゅうを中心に、土佐錦、出雲なんきん、蝶尾、鉄魚、彩錦、大阪らんちゅうなどを飼い、錦鯉やメダカも卵から育てていました。

単に眺めて楽しむだけではありません。らんちゅうは品評会での入賞を目指して育てており、繁殖期には早起きして頻繁に水を替えます。

「1日の心身のバランスをとる時間。」

出典:自由民主党「『私のいやし』石田 昌宏 参議院議員」(2024年3月19日)

水替えは手間のかかる作業ですが、石田さんにとっては金魚の成長を見ながら身体を動かす時間でもあります。本人はこの時間を「1日の心身のバランスをとる時間」と表現しており、単なる飼育作業ではなく、日常のリズムを整える時間として位置づけています。

永田町の議員事務所にも小さな水槽を置き、自宅で生まれた和金や天青の子どもを飼っていました。自宅だけでなく仕事場にも金魚がいるため、趣味が日常生活の中にかなり深く入り込んでいることが分かります。自宅では約50水槽規模で飼育し、水替えの時間を本人は心身のバランスを整える時間として紹介しています。看護師として働いた経歴や東京大学応援部での学生生活とは異なる、現在の日常を知るうえでかなり具体的な趣味の記録です。金魚は自宅だけでなく議員事務所にも置いており、仕事中にも目に入る存在になっています。本人が水替えを身体を動かす時間として語っていることからも、飼育が一時的な趣味ではなく生活のリズムに組み込まれていることが確認できます。

「仕事をしながら見ている風景」

出典:石田まさひろ政策研究会「金魚の時間 ~金魚で癒しの時間を~ Part1」(2023年7月22日)

神社巡りは古代史まで調べる

もう一つ長く続けているのが全国の神社巡りです。

参拝するだけではなく、神社の場所や向き、祭事、ほかの神社との位置関係まで調べます。そこから地域の人々が昔から抱いてきた思いや、日本の古代史を考えることを楽しんでいます。

調べた内容をいつか一冊の本にまとめたいという希望も持っています。

2026年に「長い休みが取れたらどこへ行きたいか」と聞かれたときの答えも独特でした。選んだのは観光地ではなく奈良時代。日本の形が作られた時代へ行き、藤原不比等に直接話を聞いてみたいと答えています。

歴史上の出来事を表面だけで見るより、起点までさかのぼって考えたいという興味の持ち方が、神社巡りにも表れています。

ウイスキーと古酒に向ける探究心

酒にもかなり専門的な関心を持っています。取得している資格は泡盛マイスターとテキーラ・マエストロです。

興味の中心にあるのは、単に飲むことだけではありません。酒造りには、その土地の地理、文化、歴史が反映されるところに面白さを感じています。時間を重ねることで価値が増す熟成酒にも関心を寄せてきました。

ウイスキーについては、最初は複雑な香りや味がよく分からなかったものの、経験を重ねるうちに違いを感じるようになったと書いています。泡盛も次第にストレートやロックで味わうようになりました。

2026年の「明日、世界が滅亡するとしたら最後に何を口にしたいか」という質問では、食事ではなく、ウイスキーの原酒を一滴だけ舌にのせるという答えを選びました。

石田昌宏の性格・人柄と私生活

石田昌宏の人柄・私生活
性格・価値観・人間関係から見える素顔
性格・人柄
自身の理想は「疎通知遠」。本人は普段から大抵リラックスしていると回答。
私生活・日常
金魚の飼育と水替えを日常的に続けている。
価値観・人生観
現場の声を自分のものとし、大局と遠い将来まで見通す「疎通知遠」を理想に掲げる。
交友関係・人間関係
大学時代の見藤隆子教授との出会いを、看護師としての原点に挙げる。
意外な一面・こだわり
大学時代は下駄で街を歩いた。最後に口にするものを問われ、ウイスキー原酒一滴と回答。

理想の言葉は「疎通知遠」

石田昌宏さんが、自分のありたい姿を示す言葉として挙げているのが「疎通知遠」です。

さまざまな現場の声を聞き、それを自分の中へ取り込み、大きな視点から遠い将来まで見通せるようになりたいという意味を込めています。

一方、「心も身体もリラックスできるのはどんなときか」と聞かれると、特別なリラックス方法を探しているわけではなく、普段から大抵リラックスしていると回答しました。

看護師時代から残っている癖もあります。周囲で特徴的な行動をする人を見ると、「何がそうさせているのだろう」と、つい看護師のように相手をアセスメントしてしまうそうです。

全国を移動する合間には景色を撮影

仕事で日本各地を訪れる機会が多く、移動先では景色をスマートフォンで撮影しています。公式サイトでは、そうした写真を載せるInstagramを少しくだけた調子で紹介しています。

Xでは医療や制度など仕事に関わる情報発信が中心です。2026年9月17日には、長く続いた大雨による被害を受けた医療機関について、国の復旧支援制度を案内していました。

石田昌宏にとって「看護」とは

学生時代に見藤隆子教授から看護の考え方を学び、男性看護師がまだ少なかった時代に臨床へ入り、患者と接してきた石田さん。

2026年の「あなたにとって看護とは何か」という問いでは、長い説明ではなく一語だけを選びました。

「感動」

出典:日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -後編-」(2026年4月20日)

石田昌宏氏の「本人の言葉」から素顔を見る

家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。

本人の言葉を深掘り

家族と子ども2人の自宅出産

2020年1月16日 第200回国会 参議院 厚生労働委員会
実は、私の家庭では家で子供二人とも産んでおりまして
この発言で語っていること

石田氏は、家庭で2人の子どもを自宅出産した経験を紹介し、助産師が出産前から産後まで関わったことや、近所の人々も子育てに関わった当時の様子を語っています。

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学生時代の下駄と応援部

2026年4月17日 日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -前編-」
大学時代は下駄で街を闊歩していました。
この発言で語っていること

石田氏は大学時代、身体を締めつけるものを好まず、下駄を履いて街を歩いていたと振り返っています。同じ回答の中で、大学では応援部に所属していたことも明かしています。

元の発言を確認する

金魚と仕事中の風景

2023年7月22日 金魚の時間 ~金魚で癒しの時間を~ Part1
いつも僕が仕事をしながら見ている風景をおすそ分けしますね。
この発言で語っていること

石田氏は、永田町の議員事務所に小さな水槽を置き、自宅で生まれた金魚を飼っている様子を紹介しています。金魚が仕事中にも身近にいることが本人の言葉から分かります。

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長い休みなら奈良時代へ

2026年4月17日 日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -前編-」
奈良時代にタイムスリップしたい。
この発言で語っていること

長い休みが取れた場合の行き先を問われ、石田氏は奈良時代を選びました。藤原不比等に会って話を聞きたいとも答え、物事の原点を追究したいという関心を語っています。

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看護師を目指した原点

2026年4月17日 日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -前編-」
大学での見藤隆子先生との出会い。
この発言で語っていること

石田氏は、看護師を目指した原点として大学時代の見藤隆子氏との出会いを挙げています。そこで、人がその人らしく生きることを支える看護の考え方を知ったと説明しています。

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大切にしている「疎通知遠」

2026年4月17日 日本看護連盟「看護職国会議員に20の質問! -前編-」
「疎通知遠」。キャッチフレーズというより、「自分がそうありたいと思っていること」です。
この発言で語っていること

石田氏は、自分を表す言葉として「疎通知遠」を挙げています。現場の声を自分のものとし、大局的に見ながら遠い将来まで見通す力を磨きたいという、自身が目指す姿として説明しています。

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参考・出典
この記事で参照した主な資料
公式・公的資料
素顔データ最終確認日 2026年9月28日
この記事の更新履歴
  • 石田昌宏さんの家族・子ども、家庭環境、学生時代、看護師時代、金魚・神社・酒の趣味、人柄、公式SNS情報を確認し、新規記事を作成。本人公式発信などをもとに「本人の言葉から素顔を見る」情報も追加。 2026-09-28|本文を拡充。空の引用ブロックを修正し、父の転勤による幼少期、東京大学応援部、看護師時代、子ども2人の自宅出産を一次情報中心に再整理。YouTube埋め込みが本文に残っていないことも確認。

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