青山繁晴さんは、共同通信記者、三菱総合研究所の研究員、独立総合研究所の創業者を経て、2016年に国政へ進んだ政治家です。参議院議員を2期務めた後、2026年2月の衆議院選挙では兵庫8区から衆議院議員へ転じて初当選しました。2025年10月から環境副大臣を務め、2026年9月18日の第2次高市改造内閣発足に伴う副大臣人事で退任しています。
公的な経歴だけを見ると、安全保障や海洋資源を専門とする硬派な人物という印象が強いかもしれません。ところが本人のプロフィールを読むと、アルペンスキー、モータースポーツ、スキューバダイビング、乗馬、水泳、映画、音楽、美術、文学など、趣味の幅が非常に広いことが分かります。
妻は海洋研究者の青山千春さんで、2人の息子がいます。政治家になる前から作家として小説やノンフィクションを書き、今も国会議員と執筆活動を並行しています。家族、若い頃、記者時代、スポーツ、音楽や文学から、青山さんの素顔を見ていきます。
- 妻は海洋研究者の青山千春氏。息子2人の父。政治家になった後も作家活動とスポーツを続けている。
- 少年時代に友人と「Z団」を作り、世の中を良くしたいと考えていた。中学高校では陸上部で中長距離を走った。
- 本人は少年時代から世の中を良くしたいと考えていたと振り返る。関心分野が広く、70代でもスポーツや執筆を続ける活動的な一面がある。
青山繁晴の家族構成|妻・青山千春と息子2人
青山さんの妻は、海洋研究者の青山千春さんです。八重洲ブックセンターの講演会案内では、千春さんを「青山繁晴氏の配偶者」であり「二人の息子の母」と紹介しています。
千春さんは東京水産大学大学院で学び、水産学博士を取得。メタンハイドレートの調査・研究に長く携わってきました。2021年4月からは、青山さんが創業した独立総合研究所の代表取締役社長を務めています。
「青山繁晴氏の配偶者であり、二人の息子の母でもある」
出典:八重洲ブックセンター
青山さん自身のブログにも、家族について触れた文章があります。2009年には、母親を海外へ連れて行く際、大学院生だった息子を含む家族が同行したことを記していました。
政治活動とは直接関係しない息子たちの私生活については、現在の公式プロフィールで詳しく公表されていません。ただ、妻と2人の息子がいる4人家族であることは、複数の公開資料から確認できます。
妻の1年間の世界一周航海|幼い息子2人がいた時期
青山千春さんの研究生活には、長期間家を離れる調査航海もありました。青山繁晴さんは自身のブログで、まだ2人の息子が小さかった頃、妻が1年間の世界一周航海へ出たことを振り返っています。
当時、青山さんの両親は、幼い子どもを残して長期航海へ出ることに強く反対したそうです。それでも青山さん自身は、妻が研究者として生きることを支持し、家族へ理解を求めました。
その後も千春さんは海外を含む調査航海へ出ています。夫が政治・報道・研究の仕事を続ける一方、妻も研究者として自分の専門を貫いてきた家庭だったことが分かります。
「政治家の妻」という立場だけでは見えにくいですが、青山家は夫婦それぞれが専門分野を持ち、仕事を続けてきた共働きの家庭でもありました。
千春さんの調査航海は、海洋資源研究のため長期間船上で生活する仕事です。青山さんは、幼い子どもがいる時期でも妻の専門性と仕事を尊重する立場を取ったと自ら記しています。夫婦で同じテーマに関心を持ちながらも、片方がもう片方の補助に回るのではなく、それぞれが独立した仕事を続けてきた家庭像が見えてきます。
妻・青山千春は海洋研究者|夫婦で海洋資源に関わる
青山千春さんは、海洋資源、とくにメタンハイドレートの研究者として知られています。東京海洋大学の特任准教授も務め、2026年にも表層型メタンハイドレートの成果報告会で発表しています。
夫の青山繁晴さんも、政治家になる前から海洋資源開発を研究テーマの一つとしてきました。独立総合研究所では、国家危機管理や外交、安全保障と並び、日本周辺海域の資源開発を扱っています。
夫婦がまったく同じ仕事をしているわけではありません。千春さんは自然科学の研究者、繁晴さんは記者・政策研究・政治の側から海洋資源に関わってきました。
2013年には夫妻で『海と女とメタンハイドレート』を出版しており、夫婦それぞれの視点から海洋資源を語る形で共同執筆もしています。
2013年には夫妻で『海と女とメタンハイドレート』を出版しています。仕事と家庭が完全に切り離されている夫婦ではなく、研究テーマを共有しながら、それぞれ別の専門分野で活動してきた夫婦といえます。
神戸生まれ、兵庫育ち|少年時代は文学と野球も好きだった
慶應を中退して早稲田を受験し直す|20歳前後の迷い
高校卒業後、青山さんは最初から早稲田大学へ進んだわけではありません。まず慶應義塾大学文学部へ入学しましたが、20歳前後に自分の生き方や学ぶ意味に悩み、誰にも相談せず中退したと本人プロフィールで振り返っています。
文学部で哲学などを学ぶ中で、「現実の世の中を少しでも良くするために経済学を学び直したい」と考えるようになりました。当時の慶應には希望する転部制度がなかったため、大学を辞め、早稲田大学政治経済学部を一から受験し直します。
一度入った大学を辞め、別の大学を受験し直すという選択は、現在の経歴だけを見ると見落としやすい若い頃の大きな転機です。
青山さんは1952年7月25日、兵庫県神戸市生まれ。18歳まで兵庫県で育ちました。衆議院プロフィールによると、淳心学院中学校・高等学校を卒業しています。
少年時代について、本人はブログで友人たちと「Z団」というグループを作り、「世の中を良くしたい」と本気で考えていたと振り返っています。
「少年時代に、単なる子供が世の中を本気で良くしたいと思って『Z団』を友だちと一緒につくって」
スポーツでは、中学・高校時代に陸上部で中長距離を走っていました。子どもの頃は草野球も好きだったと本人プロフィールに書かれています。
現在の印象につながるのは、文学への関心です。本人プロフィールでは文学を趣味として挙げ、政治家になる前から小説やノンフィクションを出版してきました。
早稲田ではスキーで大けが|卒業まで5年
早稲田大学では政治経済学を学ぶ一方、アルペン競技スキーにも打ち込みました。ただし競技生活は順調なことばかりではなく、本人プロフィールではスキーで大けがをし、卒業まで5年かかったと記しています。
それでもスキーそのものを嫌いになることはなく、長い中断を挟んで復帰しました。2008年には13年ぶりにゲレンデへ戻り、2025年末にはスキー歴が51年目に入ったと書いています。
若い頃に大けがを経験しても、70代になってなお短時間の「弾丸スキー」へ出かけるほど続けている点に、競技としてだけではなく、生涯スポーツとしての愛着が表れています。
大学時代はアルペン競技スキー|50年以上続く生涯スポーツ
青山さんを語るうえで欠かせない趣味がアルペンスキーです。大学時代にはアルペン競技スキーヤーとして滑っていました。
2008年のブログでは、13年ぶりにスキーをした際、「大学時代はアルペン競技スキーヤーだった」と自ら記しています。2025年末のブログでは、スキー歴が51年目に入ったと書いています。
「大学時代はアルペン競技スキーヤーだった」
仕事が忙しくても、短時間だけスキー場へ行くことを本人は「弾丸スキー」と呼んでいます。2025年には、アルペンスキーが体力や気力を支えているとも書きました。
74歳となった2026年現在も、若い頃から続けてきたスキーを現役の趣味として楽しんでいる点は、青山さんの素顔を知るうえでかなり特徴的です。
モータースポーツにも復帰|A級ライセンスを取り直した
スキーと並ぶ大きな趣味がモータースポーツです。本人プロフィールによると、20歳前後にモータースポーツへ関わり、50歳を過ぎてから再び始めました。
一度失効していたA級ライセンスを取り直したことも本人が明らかにしています。仕事以外で一番やりたいこととして、モータースポーツを含む「するスポーツ」を挙げたこともあります。
「自分はモータースポーツとアルペン競技スキーが好きなんだなぁ、ホントに好きなんだなぁと実感もしました。」
忙しい国会議員生活の中でも、自分で車を運転した日の操作感を後から振り返るほど、運転そのものを楽しんでいる様子をブログで語っています。
政治家の趣味としては珍しい部類ですが、機械を操りながら自分の身体も使うスポーツへの強い好みが一貫しています。
スキューバ・乗馬・水泳まで|「するスポーツ」が好き
青山さんの公式プロフィールに並ぶスポーツは、スキーとモータースポーツだけではありません。スキューバダイビング、乗馬、水泳も挙げています。
スキューバダイビングではPADIのライセンスを持っていると本人プロフィールに記載されています。長く中断しているスポーツについても、「再開したい」と書いています。
球技にはあまり縁がなかったとしながらも、テニスやゴルフも練習してみたいと書くほど、身体を動かすことへの興味が強い人物です。
本人プロフィールの最後には、やりたいことが多すぎることを笑いながら表現しています。仕事だけで一日が埋まりがちな生活の一方で、スポーツへの好奇心は若い頃からほとんど衰えていないようです。
音楽はクラシックからロックまで|ライブも経験
青山さんは音楽も幅広く聴きます。本人プロフィールでは、交響楽、オペラなどのクラシックから、ジャズ、ロック、ポップス、ボサノバまで、ほとんどすべてのジャンルに関心があると書いています。
さらに、自分自身がライブを行った経験も紹介しています。京都や福岡などでライブをしたことがあると明かしており、単に聴くだけではない点が特徴です。
音楽番組を担当していた時期には、音楽が自分の意識を広げてくれるとブログで語りました。
「この音楽番組は、ぼくの意識のウィングを広げてくれる」
政治・安全保障を語る場面の印象からは想像しにくいですが、音楽、美術、映画を日常的に楽しむ文化系の一面もかなり強く持っています。
好きな音楽はクラシックからサンタナまで
「音楽好き」といっても、青山さんの場合はかなり具体的です。本人プロフィールでは、世界中のクラシックから一曲選ぶならシューベルトの「未完成交響曲」、作曲家ならベートーベンを挙げています。
ジャズではジョン・コルトレーン、ポップスではサンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」を挙げています。交響楽、オペラ、ジャズ、ロック、ポップス、ボサノバまで聴くため、一つのジャンルに偏っていません。
さらに京都や福岡では自らライブを行った経験も公表しています。聴くだけではなく、自分で演奏・歌唱する側にも回ることがあるのが、青山さんの音楽趣味の特徴です。
映画は「三度のごはんより好き」|原稿を書きながら観ることも
映画について、青山さんは本人プロフィールで「三度のごはんより好き」と表現しています。自宅で原稿を書く時は、洋画や邦画を流しながら執筆することも多いそうです。
現実には、新幹線や飛行機、タクシーの中で原稿を書くことの方が多いとも書いています。移動の合間でも執筆を続ける一方、自宅では映画を身近に置いて仕事をしています。
美術についても、絵画や彫刻から現代美術まで幅広く関心があるとしています。スポーツだけでなく、文学・音楽・映画・美術を横断して楽しむのが青山さんの趣味の特徴です。
年末年始も小説執筆|「休み」と仕事の境目が薄い生活
青山さんは、国会が閉会した時期や年末年始にも執筆を続けています。2025年末のブログでも、新しい小説を書き進めながら、短時間だけスキーへ出かける生活を紹介していました。
本人にとって小説は、政治活動の合間に気分転換で書くものではありません。ノンフィクションと並ぶ長年の仕事であり、移動中でも原稿を書くことが多いとプロフィールに記しています。
自宅では立ち机、移動中は新幹線や飛行機、タクシーでも執筆。そこへ短時間のスキーや音楽、映画が入ります。仕事・創作・趣味が完全に分かれておらず、日常の中で行き来しているのが青山さんの生活スタイルです。
作家として小説とノンフィクションを執筆
青山さんは政治家であると同時に、現在も作家です。衆議院の公式プロフィールにも、著書として『ぼくらの祖国』『絶望を撃つ』などのノンフィクションと、『平成紀』『わたしは灰猫』などの小説が記載されています。
2019年と2024年には、作家として咢堂ブック・オブ・ザ・イヤー大賞を受賞しました。国会議員になった後も執筆活動をやめず、政治と文学を並行しています。
共同通信記者から研究員、シンクタンク経営者、政治家へと職業は変わってきましたが、文章を書くことだけは長く続いていることが分かります。
2025年末のブログでも、年末年始に小説を書き進めることを明かしていました。スキー場へ行く時でさえ、執筆の仕事を抱えたままという生活です。
自宅では椅子をやめて立ち机|原稿中心の生活
スポーツ好きの青山さんですが、日常では原稿を書く時間が非常に長く、本人は座り続けることで股関節が硬くなった経験も明かしています。
スキー仲間から右ターンの腰の入りを指摘されたことをきっかけに、自宅で原稿を書く時の椅子をなくし、立ち机だけにしたとブログで説明しました。仕事環境そのものを身体に合わせて変えています。
小説、ノンフィクション、ブログ、講演用の資料などを書き続ける一方で、運動不足を感じるとスキーやトレーニングで身体を戻す。執筆とスポーツを相互に支え合う生活になっています。
共同通信記者時代|ペルー事件が人生の転機に
早稲田大学政治経済学部を卒業した青山さんは、1979年に共同通信社へ入社しました。事件記者、経済記者、政治部記者として取材を続けました。
人生の転機になったと本人が振り返るのが、1996年のペルー日本大使公邸人質事件です。現地取材などを経験した後、1997年末に共同通信社を退社しました。
「ペルー事件が起きていなければ、ぼくは共同通信を辞めず、転身も無かった」
その後は三菱総合研究所へ移り、研究員として危機管理や安全保障などを扱いました。2002年には独立総合研究所を創立します。
記者から研究者へ転じる際には、他者を批評するだけではなく、自分で実務を行うという意識があったと語っています。
「ひとのなさることを批評する前にみずから実務を遂行すると決めました。」
63歳で初めて国政へ|政治家としては遅いスタート
青山さんが初めて国政選挙へ出たのは2016年。63歳の時でした。参議院比例代表で初当選し、2022年に再選しています。
2026年には参議院から衆議院へ転じ、兵庫8区から立候補。衆議院議員として初当選しました。参議院2期を経てから小選挙区へ移るという、珍しいキャリアです。
自民党の候補者ページでは、政治家としての考え方を次のように表現しています。
「ひとのために生きる。脱私即的、私心を脱して本来の目的に即くことです」
2026年は参院から衆院へ|環境副大臣は9月まで
2026年2月の第51回衆議院議員総選挙で、青山さんは兵庫8区から当選しました。衆議院公式の議員一覧では、自由民主党所属、兵庫8区選出、衆議院当選1回・参議院当選2回と掲載されています。
政府では2025年10月から環境副大臣を務め、第2次高市内閣でも再任されました。その後、2026年9月18日の改造内閣の副大臣人事で交代しています。
現在は環境副大臣ではなく、兵庫8区選出の衆議院議員として活動しています。環境副大臣時代に担当していたのは、気候変動、地域脱炭素、自然環境などでした。
仕事だけではない青山繁晴|趣味の数がとにかく多い
青山さんのプロフィールを通して最も意外なのは、趣味や関心の数です。文学、音楽、美術、映画、モータースポーツ、アルペンスキー、スキューバダイビング、乗馬、水泳まで並びます。
その多くは「昔やっていた」で終わらず、年齢を重ねてから復帰したり、現在も続けたりしています。50歳を過ぎてモータースポーツへ戻り、70代でもスキーを続けているのがその代表例です。
政治家になる前から作家として文章を書き、現在も小説を執筆。妻は海洋研究者で、2人の息子を育ててきました。
さらに、記者時代には海外取材、研究者時代には安全保障や海洋資源、現在は国会活動と執筆を並行しています。一つの分野だけに自分を固定せず、仕事と趣味の両方で新しいことへ入り続ける点も、長い経歴を通して変わらない特徴です。
70代になってもスキーや執筆を続け、映画や音楽への関心も保っています。年齢を重ねるほど活動範囲を狭めるというより、興味のあることをできる範囲で続ける生活スタイルが見えてきます。
記者、研究者、経営者、政治家、作家、スポーツ愛好家という複数の顔を同時に持っていることが、青山繁晴さんの人物像を最もよく表しています。
青山繁晴氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
少年時代の原点
少年時代に、単なる子供が世の中を本気で良くしたいと思って『Z団』を友だちと一緒につくって
子どもの頃から社会や世の中への関心を持っていたと本人が振り返っています。
アルペンスキー
モータースポーツへの情熱
自分はモータースポーツとアルペン競技スキーが好きなんだなぁ、ホントに好きなんだなぁと実感もしました。
忙しい仕事の合間でも、運転や競技スキーを純粋に楽しむ気持ちを本人が率直に語っています。
仕事に対する考え方
ひとのなさることを批評する前にみずから実務を遂行すると決めました。
記者から研究者へ転じた際、批評だけではなく自ら実務を担うことを選んだと説明しています。
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