猪口邦子さんは1952年、千葉県市川市生まれ。国際政治学者として長く研究と教育に携わった後、国政へ進みました。
その人生には、10代をブラジルで過ごした経験や、国内外の研究者を自宅へ招いて料理を振る舞った日々など、国会での姿だけでは伝わりにくい場面が数多くあります。
10歳ごろ、父の転勤で家族とブラジルへ渡り、サンパウロで約5年間暮らした猪口邦子さん。料理やガーデニングを楽しみ、研究者や友人を自宅でもてなしてきました。父から「重要なことほど即答しない」と教わったことも、本人が語る若い頃の大切な記憶です。
- 料理やガーデニングを楽しみ、国内外の研究者や友人を自宅でもてなしてきた。
- 10代前半をサンパウロで過ごし、帰国後は桜蔭で学んだ。AFS交換留学で米国でも1年間生活。
- 本人はブラジル時代に「必要に応じて猛勉強する」習慣がついたと振り返り、父からは重要なことほど即答しないよう教わったと語る。
猪口邦子の現在|2026年も参議院で活動
猪口邦子さんは、2026年も千葉県選挙区選出の参議院議員として活動しています。参議院の役職名簿では、2026年7月14日現在、環境委員長を務めています。
2024年11月の自宅火災では夫と長女を亡くしました。その後、2025年6月には参議院本会議で調査会の報告を行い、同年11月には環境委員長に就任。2026年の参議院名簿にも名前が掲載されており、議員活動を続けていることが分かります。
火災後の様子を気にする人は少なくありませんが、少なくとも公的な活動の面では国会へ戻り、委員長として職務にあたっています。
猪口邦子の家族構成
夫・猪口孝さんとは研究者同士の夫婦
夫の猪口孝さんは国際政治学者で、東京大学名誉教授や新潟県立大学初代学長などを務めた人物です。猪口邦子さんがまだ大学院で学んでいた時期に結婚し、結婚後まもなく邦子さんは海外へ留学しました。
二人はともに国際政治を研究する学者でした。若い頃には海外から研究者が来ると自宅へ招き、邦子さんがフルコースの料理を用意して交流することもあったそうです。
仕事と家庭を両立しながら、一緒に楽しい時間を過ごして歩いていこう
出典:日刊スポーツ「自宅火災で死亡確認の猪口孝さん、おしどり夫婦で知られた妻・猪口邦子氏をかつて励ました言葉」(2024年12月1日)
これは、邦子さんが2005年に少子化・男女共同参画担当相へ就任した際、孝さんからかけられた言葉として紹介したものです。政治家になった後も、夫婦の生活を仕事と切り離すのではなく、両方を続けていくという考え方が表れています。
2019年には、土曜日に孝さんの研究室を訪ね、夫の同僚と会話を楽しんだこともXへ投稿しています。夫婦がそれぞれ別の専門家として仕事を持ちながら、研究の世界を共有していた一場面です。
孝さんの海外の同僚による追悼文には、孝さんが妻の邦子さんや双子の娘についてよく話し、自分が台所で果たした役割も誇らしげに語っていたという思い出が残されています。
双子の娘と2024年の自宅火災
猪口夫妻には双子の娘が2人います。2024年11月27日の夜、自宅マンションで火災が発生し、夫の孝さんと33歳の長女が亡くなりました。火災当時、邦子さんは事務所で仕事をしており、次女も外出中でした。
現場検証では、部屋の中央にあった応接室付近から出火した可能性が高いとされました。事件性はなく、ライターなどの着火物やストーブも見つからなかったことから、警視庁は電気火災の可能性も含めて原因を調べていました。
そのため、「電気火災が原因だった」と確定した形ではなく、報道で確認できるのは捜査段階で示された可能性までです。
火災時の映像をめぐって「人影は誰だったのか」という関心も集まりました。近隣住民はバルコニー付近で人が手を振って助けを求めていたと証言していますが、報道では、その人影が誰だったのかは特定されていません。
娘2人は一般人で、氏名や現在の職業、本人の顔写真として信頼できる形で公表された情報は限られています。また、2026年9月時点で、火災後に猪口さんがどこで暮らしているのかという新しい居住先も公表されていません。
猪口邦子の実家と家族のルーツ
猪口邦子さんは千葉県市川市で育ちました。父は東京海上火災保険に勤め、1960年代にはブラジル・サンパウロの支店長を約5年間務めています。
2014年の本人のXには、父が90歳を迎えたこととともに、サンパウロ支店長として働いたこと、退職後も損害保険業界に関わったことが書かれています。さらに、父母には娘が3人いたことも、この投稿から確認できます。
父の転勤によって、邦子さん自身も10歳ごろからサンパウロで暮らすことになりました。父は娘の教育について「女性も学者に」と考えていたと邦子さんは振り返っており、女性が専門職へ進むことを当たり前の選択肢として示してくれた存在でした。
幼い頃には、父が本の読み聞かせもしてくれました。邦子さんが2020年に振り返ったのは、まだ喫茶店などが身近ではなかった頃の市川で、休日にナイチンゲールの伝記や樋口一葉の話を読んでもらった記憶です。
本をただ与えるのではなく、子どもの読む速度に合わせて大人が読んでやる。その記憶は、邦子さんが大人になってからも父との思い出として残っていました。
猪口邦子の若い頃|ブラジル生活と帰国後の10代
猪口邦子さんの10代を語るうえで大きいのが、ブラジルでの5年間です。小学4年ごろから中学2年までサンパウロで暮らし、現地のアメリカンスクールへ通いました。
転校を希望した学校では、当初、日本人を受け入れることに消極的な対応を受けました。父が学校側に掛け合った結果、数学の試験を受ける機会を得て、満点を取り入学が認められたと本人は振り返っています。
授業は英語。そこで邦子さんは、教科書を丸暗記するほど勉強しました。必要な時には一気に勉強する習慣は、この時期についたそうです。
必要に応じて猛勉強するという癖はその時につきましたね。
出典:Wedge ONLINE「国語の苦手意識を変えてくれた恩師との出会い」(2020年3月4日)
日本へ戻った後も、すぐに順調だったわけではありません。海外生活が長かったため、日本語と英語の間に大きなギャップを感じ、国語には自信を失っていました。
高校1年の夏休み、日記の宿題にロジェ・マルタン・デュ・ガールの長編小説『チボー家の人々』の読書記録を書き続けました。国語教師の赤星秀子先生は、その日記を名前を伏せて授業中に朗読し、高く評価しました。
邦子さんにとっては、自分の日本語力に自信を取り戻し、「書くことの喜び」を知った忘れられない授業になりました。赤星先生は土曜日の放課後にも古文を個人的に教えてくれたといいます。
高校在学中にはAFSの交換留学で米マサチューセッツ州へ渡り、コンコード・アカデミーでも1年間学びました。ブラジル、日本、米国を行き来した10代は、当時としてはかなり珍しい学生生活でした。
2026年も参議院議員として活動
参議院公式プロフィールでは、猪口邦子さんは千葉県選挙区選出、当選3回。2026年7月時点では参議院環境委員長を務めています。
1952年に千葉県市川市で生まれ、上智大学卒業後、イェール大学で政治学博士号を取得。上智大学教授や軍縮会議日本政府代表部特命全権大使などを経て国政へ進みました。
2024年の自宅火災と家族については、確認された事実と当時の報道を分けて紹介しています。現在の活動については参議院の公式情報をもとに紹介しています。
猪口邦子の趣味・好きなもの
政治家としての姿からは少し意外ですが、猪口邦子さんが長く楽しんできたのが料理とガーデニングです。
まだ夫婦二人で暮らしていた若い頃、夫の孝さんは国際的な共同研究を進めていました。海外から研究者が日本を訪れると、邦子さんは自宅へ招き、前菜からメイン、デザートまでメニューを組み立ててフルコースでもてなしていたそうです。
新婚時代にジュネーブで生活した際には、友人たちからフランス料理のコースの組み立て方も教わりました。一方で本人は「和食も好き」と話し、義母から新潟の郷土料理も習っています。
ガーデニングも好き。
出典:政治チャンネル「趣味【料理】-猪口邦子」(2013年11月16日)
当時暮らしていたマンションのルーフバルコニーには、大きな木や花だけでなくハーブも育てていました。料理をするときには、その庭からハーブを摘んで使っていたそうです。
インタビューでは、鶏肉に塩、こしょう、ガーリックと庭のハーブを使ってローストし、肉汁からグレービーを作る手順までかなり具体的に説明しています。付け合わせの野菜やポテト料理を同時進行で仕上げる話からも、料理を実際に何度も作ってきたことが伝わります。庭で育てたハーブをそのまま料理へ使う暮らし方も特徴的です。
自宅で料理を囲みながら話す時間も好きで、研究者仲間や友人との交流の場になっていました。
猪口邦子の性格・人柄と私生活
本人公式YouTubeには、猪口邦子さん本人がゲストとして長く話す動画も残っています。記事で紹介している若い頃の海外生活や研究者としての歩み、家庭での時間とは時期が異なりますが、本人がどのような話し方で自分の考えや経験を伝えるのかを確認できる一次資料です。現在の肩書きだけでは見えにくい表情や声の調子も含めて、人柄を補足する材料として紹介します。
猪口邦子さんは、自分の判断の仕方にも父の影響が残っていると話しています。2005年、衆議院選挙への立候補を打診された時にも、その教えを思い出しました。
父の教えの一つが「重要なことは即答しない」でした
出典:AppleTown「自身の恵まれた才能をフル活用して、社会に貢献することが大事」(2023年12月25日)
その場で返事をせず、「家族と相談します」といったん持ち帰り、翌日に立候補を受けると伝えたそうです。思い切った決断をする時にも、一度考える時間を置くという父の教えを守っていました。
一方で、本人のSNSには少し遊び心のある場面もあります。2020年、菅義偉さんが議員会館の事務所を訪れた際には、以前の写真やSNS画面を準備して迎え、「すが、すぐ、真っすぐ」という言葉も用意していました。
学生時代にも似たような行動力がありました。高校生の頃、大学紛争の動きを見ながら、自分でガリ版刷りの新聞を発行したことがあります。輪転機を使わせてくれたのは、国語を教えてくれた赤星先生でした。
海外で突然英語の授業に放り込まれれば猛勉強し、日本語に自信を失えば読書日記を書き、興味のある出来事があれば自分で新聞を作る。本人の昔話には、状況に応じて具体的に動く場面が繰り返し登場します。
猪口邦子が大切にしてきた身近なつながり
猪口邦子さんの家族のルーツには千葉とのつながりがあります。2014年のXでは、父方の祖母が千葉県大多喜町の出身だったことに触れ、「至誠純真・質実剛健」という言葉とともに、父が娘たちを育てたことを紹介しました。
父とのつながりは晩年まで続きました。2022年のひな祭りには、父が丁寧にひな人形を飾ってくれたことをXに記しています。
本人の公式サイトで掲げている「千葉は宝」という言葉も、地域だけを指しているわけではありません。そこには、地域、友達、家族、学校といった身近なものを大切にするという意味が込められています。
実は、宝は身近なところにたくさんあります。
出典:猪口邦子公式サイト「猪口邦子の考え」(2025年11月17日更新確認)
猪口邦子氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
若い頃に受けた励ましを大切に
友人とゆっくり過ごす時間
勉強好きから研究者へ
また勉強することが好きであったので学者になったんです。
猪口氏は研究者の道を選んだ理由の一つとして、自分自身が勉強することを好きだったと振り返っています。
- 猪口 邦子(いのぐち くにこ) 運営主体:参議院/確認内容:生年月日、出生地、教育歴、当選回数、過去の公職、参議院での役職。
- 環境委員会委員名簿 運営主体:参議院/確認内容:2026年7月14日現在の環境委員長就任。
- 参議院議員 猪口邦子 運営主体:自由民主党/確認内容:所属、選挙区、生年月日、主要職歴、公式サイト・X・YouTube、関連動画。
- 猪口邦子公式サイト 運営主体:猪口邦子事務所/確認内容:「千葉は宝」に込めた価値観、2025年以降の活動状況。
- 応接室が火元か ストーブなどなく電気が原因の可能性も 猪口参院議員自宅火災 運営主体:テレビ朝日/確認内容:夫・長女の死亡、応接室付近からの出火可能性、事件性なし、電気火災の可能性。
- 2人死亡 猪口議員宅で火災 鎮火に9時間 運営主体:テレビ朝日/確認内容:火災当時の家族の所在、娘2人、次女が外出中だったこと、バルコニーで助けを求める人を見たという目撃証言。
- 国語の苦手意識を変えてくれた恩師との出会い 運営主体:Wedge ONLINE/確認内容:サンパウロでの約5年間、父との出来事、猛勉強した経験、帰国後の桜蔭での生活、恩師・赤星秀子とのエピソード。
- 自宅火災で死亡確認の猪口孝さん、おしどり夫婦で知られた妻・猪口邦子氏をかつて励ました言葉 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:結婚当時の状況、夫から妻へかけた言葉、火災当時の家族の所在。
- In Memoriam: Takashi Inoguchi (1944–2024) 運営主体:Springer Nature Japan/確認内容:娘2人が双子であること、夫・猪口孝が家族や台所での役割について同僚に話していたこと。
- 趣味【料理】-猪口邦子 運営主体:政治チャンネル/確認内容:料理、フルコースでのもてなし、和食、ガーデニング、ハーブ、ローストチキンなどの私生活。
- 自身の恵まれた才能をフル活用して、社会に貢献することが大事 運営主体:AppleTown/確認内容:10歳からのブラジル生活、米国留学、父から受けた「重要なことは即答しない」という教え。




































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