小渕優子さんには、公の場で見せる落ち着いた姿とは少し違う、生活感のある記録が数多く残っています。若い頃の本人の文章は、ときに自虐的で、ときに家族への愛情がそのまま伝わる率直な語り口です。
夫や2人の息子との家庭、父・小渕恵三さんとの距離感、テレビ局で働いていた頃の日常。そこには、公の場とは違う小渕優子さんの表情があります。
東京・王子の築100年以上の家で、家族5人と秘書らに囲まれて育った小渕優子さん。子どもの頃は男の子のような服装を好み、父から「優太郎」と呼ばれていました。現在も「誠実」「謙虚」を大切にし、父から受け継いだ姿勢を意識していると語っています。
- TBS時代の一人暮らしで料理・掃除・洗濯を身につけた。
- 男の子のような服装で、父から「優太郎」と呼ばれた。
- 好きな言葉は「誠実、謙虚」。若い頃は苦手なことにもあえて挑戦する傾向があると自己分析していた。
小渕優子の家族構成
旦那は瀬戸口克陽|TBS同期から夫婦へ
小渕優子さんの旦那は、テレビドラマ制作などで知られる瀬戸口克陽(せとぐち・かつあき)さんです。2人はともに1996年にTBSへ入社した同期で、交際を続けた後、2004年12月に結婚しました。
出会いの原点は1996年のTBS同期入社です。小渕さんは営業局勤務を経て番組制作へ進み、瀬戸口さんもテレビ制作の世界でキャリアを重ねていきました。
結婚を発表した際、小渕さんは瀬戸口さんを、誠実で一緒にいると安心できる相手という趣旨で紹介しています。政治家とテレビマンという別々の道を歩みながら、社会人生活を始めた同じ会社で出会った夫婦です。
瀬戸口さんはその後、『花より男子』『99.9-刑事専門弁護士-』など数々の映像作品に関わりました。2026年にはTBSホールディングス執行役員を務める一方、THE SEVEN代表取締役社長・CEO、THE SEVEN US CEOとして、日本発コンテンツの海外展開にも携わっています。
息子は2人|母になって変わった視点
小渕優子さんと瀬戸口克陽さんの間には、長男と次男がいます。2026年9月時点では長男18歳、次男16歳です。
初めて母になって約10カ月だった2008年、小渕さんは、つかまり立ちを始めた子どもの成長の速さに驚いていました。仕事で子育て支援に関わっていても、自分で育児を経験すると、それまで見えていなかった部分があったと振り返っています。
正直に言うとこんなに子育てが大変だとは思わなかったです。
出典:小渕優子公式サイト「今村雅弘先生と対談!」(2008年7月28日)
時間も体力も使う一方、母親になったことを幸せに感じ、両親への感謝もあらためて強くなったと語りました。子どもには、さまざまな人と接し、楽しいことも難しいことも経験しながら「たくましく育ってほしい」と考えていました。
育児は夫婦で支え合っていました。2008年に小渕さんが高熱を出した時には、夫がいつも以上に育児を担当し、息子の保育所への送り迎えもほとんど任せたと本人が記しています。
政治の仕事と子育てが重なる日々の中で、親になる前とは時間の使い方も物事を見る角度も変わりました。子どもを持ったことで、自分の世代だけでなく次の世代を意識するようになったと率直に話しています。
父・母・姉・兄と暮らした「雑居家族」
小渕優子さんは、小渕恵三さんと千鶴子さんの次女です。6歳上の姉、2歳上の兄がいて、本人は3人きょうだいの末っ子。幼い頃は「相当生意気で元気な子供だったのだろう」と振り返っています。
姉とは今では友達のようで、正反対の性格のため、よく助けてもらっている。
出典:小渕優子公式サイト「1970年代プロフィール」(公開日記載なし)
家庭は両親と子ども3人だけではありませんでした。家には常時2人ほどの秘書も一緒に暮らしており、小渕さん自身が「雑居家族」と表現しています。家族5人に秘書が加わる、にぎやかな生活でした。
両親が選挙などで長く家を空ける時には、祖母や親戚が子どもたちの面倒を見ました。同居する秘書たちも小渕さんには年上の兄のような存在で、父に叱られる姿や一緒に酒を飲む様子まで日常の風景として見ていたそうです。
父・恵三さんは、幼い優子さんを「優太郎」と呼んでいました。ジーパンやTシャツ姿で活発に動き回る末娘に付いた呼び名です。「サッチャー首相のように」との思いから「ユッチャー」と呼ばれた時期もありました。
幼稚園の頃には、食事の前に父から「演説」を求められ、「わたくし、ご紹介に与りました小渕優子でございます」と話して父を喜ばせていたといいます。一方、友達を家に連れてくれば、父はステテコ姿のまま会話に加わるような人でもありました。
母・千鶴子さんは、小学生になった優子さんに琴を勧めました。姉と兄も同じ学校に通っていた頃には、3人分の弁当を十数年にわたって作り続けたという家庭の姿も残っています。
小渕優子の実家と家族のルーツ
小渕優子さんが長く暮らしたのは、東京・王子にあった家です。本人によれば築100年以上で、冬はとても寒く、夏は暑い家でした。それでも父も優子さんも、その家を気に入っていました。
好きだった場所として挙げているのは縁側、木の門、急な階段、そして自分の4畳半の部屋です。新しく快適な住宅とは違いますが、本人の文章からは建物の一つ一つに強い愛着があったことが伝わります。
1998年に父が首相になると両親は首相官邸へ移り、忙しいADだった小渕さんも会社の近くで初めて一人暮らしを始めました。24年間暮らした王子の家を離れ、料理、掃除、洗濯を自分でこなす生活に変わります。
一方、小渕家と深く結び付いているもう一つの地域が群馬県です。小渕さんの本籍地も群馬県で、父・恵三さんが長く活動してきた土地でもあります。幼い頃から父の仕事に伴って群馬の人々と接する機会があり、中学生になると父が出席できない地元行事へ顔を出すこともありました。
東京の古い家での日常と、父を通して触れてきた群馬の人々。小渕さんにとって家庭の記憶は、一つの場所だけに収まるものではありませんでした。
小渕優子の若い頃|演劇、琴、ゴルフに夢中
小学生から演劇部、中学ではハードな合宿も
子どもの頃の小渕優子さんは、珍しいことがあると手を出してみたくなるタイプでした。小学3年ではブラスバンドでユーフォニアムに挑戦しましたが、早朝練習で起きられず途中で断念しています。
小学4年からは演劇部に入り、中学でも再び演劇部を選択。中学の合宿ではマラソン、発声、ストレッチ、ダンスまでこなしました。学校生活そのものも、2kmの遠泳、白馬登山、毎年の20kmマラソンがあるなど、本人にとってかなり鍛えられる3年間だったようです。
友人関係については、きれいな思い出だけにはしていません。互いに未熟な時期だからこそ、傷つけたり傷ついたりしながら付き合ったと率直に振り返っています。
右往左往しながら築いた友情は今も健在。
出典:小渕優子公式サイト「1980年代プロフィール」(公開日記載なし)
中学から高校にかけては、1学年上のバスケットボール部の先輩へ5年間片思いをしていました。恋は実らなかったものの、その先輩とは後に良い友人になったと書いています。
高校でゴルフ部へ|琴では「秀優華」の名取りに
高校に進むと演劇部をやめ、ゴルフ部へ入りました。理由は、運動が苦手な自分を何とかしたかったから。結果については本人も「たいして目的達成ならず」と笑っていますが、ゴルフを通じて父との会話が増えたことは大きな収穫でした。
その一方で、小学1年から続けていた琴では本格的な成果を残します。高校2年の時、毎晩11時頃まで練習と勉強を続け、準師範試験に合格して「秀優華」の名を得ました。
高校生の頃の服装は、紺色のブレザーにチェックのパンツ、ブーツという、本人いわく「男の子のような格好」。夜遅くまで友人と過ごしたことも含め、優等生らしい話だけで飾らず、自分の若い頃をかなり率直に書き残しています。
大学では苦手なものへ、あえて挑戦
大学で経済分野を選んだ理由も独特です。本人はもともと文学系の方が自分に近いと感じていましたが、「自分から一番遠いもの」だからこそ選択しました。苦手な方向へあえて行きたがる傾向がある、と自分自身を分析しています。
部活動でも同じ発想でした。高校で克服できなかった運動への苦手意識に再挑戦するため、体育会女子ゴルフ部へ。厳しい練習の中でゴルフ場を走り回り、本人によると上達以上に「体力とキャディーさんの腕前」が身についたそうです。
TBS時代の小渕優子|Tシャツ・ジーンズで走り回ったAD生活
1996年にTBSへ入社すると、3カ月の研修後に営業局へ配属されました。約1年半を経て念願だった制作局へ移り、情報番組『はなまるマーケット』のADとして働き始めます。
本人にとって同期との出会いはかなり刺激的だったようで、「動物園のようだった」と表現するほど個性的な仲間が集まっていました。その後も連絡をくれたり助けてくれたりする、情に厚い仲間だったと振り返っています。
AD生活は華やかとはほど遠いものでした。Tシャツ、ジーンズ、スニーカーが定番で、化粧も苦手。眠くなると会社のトイレで隠れて寝ることもあり、食事がお菓子中心になってしまうほど忙しく働いていました。
仕事が夜遅くなると、父から毎晩のように電話がかかってきました。「どこにいるんだ」と聞かれ、「会社だよ」と答えると父は安心して切る。その電話を、小渕さんは父の名前になぞらえて「ブッチホン」と呼んでいました。
両親が首相官邸へ移った頃には会社近くで一人暮らしを始め、料理を覚え、掃除や洗濯も自分でするようになります。親元を離れてみて、それまでどれだけ両親に甘えていたのかを実感したそうです。
制作の仕事を続けたい気持ちは強くありました。しかし首相となった父が疲れ切り、長いすでつぶれるように眠る姿を見た時、遠くから心配するだけではいられなくなります。
今、やらなければ一生後悔する。会社を辞めよう。
出典:小渕優子公式サイト「1990年代プロフィール」(公開日記載なし)
父に「仕事を手伝いたい」と申し出ると、恵三さんは意外にもすぐ喜ばず、「おまえにはつらいと思うよ」と答えました。それでも後日、「で、お前いつから勤められるんだ?」と父から電話があり、1999年春にTBSを退社しました。
社会人として過ごした約3年間について、小渕さんは会社に何かを返せたというより、自分の方が多くのものをもらったと記しています。先輩、同期、後輩との出会いを強く覚えているのも、この時期の特徴です。
小渕優子の趣味・好きなもの
小渕優子さんが2026年のプロフィールに挙げている趣味は、料理と読書です。料理はTBS時代に一人暮らしを始めた際にも「たくさん覚えた」と書いており、若い頃の生活ともつながっています。
好きな食べ物として過去の自民党候補者プロフィールに挙げていたのは、卵かけご飯(納豆付き)。肩肘を張らない、かなり身近な一品です。
一人でも楽しめるよう始めたダイビング
TBS勤務時代には、休日が友人と合わないことが多かったため、一人でも楽しめるようダイビングのライセンスを取得しました。特に沖縄の海が好きで、青色のグラデーションの中にいると、ずっとそこにいたくなると記しています。
観劇も長く楽しんできました。母と劇団四季へ行き、中学時代には夢の遊眠社を好み、その後もNODA・MAPや下北沢の劇場、WAHAHA本舗などへ足を運んでいます。予定を組むのが難しい時には当日券を利用していました。
アマチュア無線局「JA1LXG」も開局
もう一つ意外なのがアマチュア無線です。父・恵三さんは長年の無線愛好家で、母、姉、兄も免許を取得していました。小渕さん自身は国会議員になってから免許を取り、コールサイン「JA1LXG」で開局しています。
ハムフェアでモールス信号を体験した時には、見ているよりはるかに難しかったそうです。その経験から出てきた言葉も、小渕さんらしいものでした。
何事も見かけだけで判断してはいけない
出典:日本アマチュア無線連盟「新春対談 父、小渕恵三氏から受け継いだもの」(2020年冬号)
無線そのものだけでなく、年齢や職業を越えて人とつながれる点にも魅力を感じていました。父から教わった趣味を、家族や親戚にも背中を押されながら自分でも始めた形です。
小渕優子の性格・人柄と私生活
小渕優子さんが好きな言葉として挙げているのは、「誠実、謙虚」です。若い頃の文章にも、自分を必要以上によく見せようとしない書き方が目立ちます。
高校時代を振り返った文章では、自分を「善人」と決めつけず、嫌な部分もある人間だとかなり率直に記しました。一方で、多少羽目を外しても道を外さなかった理由として、親や友人、自分自身から「愛されている」感覚を挙げています。
苦手な運動を克服したくてゴルフ部へ入り、自分から遠いと感じた分野をあえて大学で選んだことにも、自分の弱いところから逃げずに試してみる姿勢が表れています。
父から受け継いだものの一つが、沖縄への思いです。小渕恵三さんは沖縄を「第二の故郷」と呼ぶほど強い思いを持っており、娘の優子さんも、その思いを引き継ぐと語っています。
父の遺志を継ぎ、私も沖縄の発展のために尽くしたいと思っています。
出典:自由民主党「沖縄本土復帰50周年、さらなる振興に向けて」(2022年2月号)
2026年8月にも、自民党広報の公式Xで、小渕さんが沖縄振興調査会長として沖縄側から要望を受ける様子が紹介されました。本人の公式X投稿ではありませんが、父から語り継いできたテーマが、その後も活動の中に続いていることが分かります。
2026年3月には公式YouTube「おぶちゃんねる」で、初めての質問コーナー動画も公開しました。文章だけでは分かりにくい話し方や表情を見られる一本です。
小渕優子氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
ゴルフ部副将で学んだ組織運営
副将をしていたこともあり、多くの部員をまとめ、チームをマネジメントするという経験ができたことですが、この際に組織を動かす大変さを実感しました。
小渕氏は大学ゴルフ部の副将経験から、組織をまとめる難しさを学んだと語っています。
心を穏やかに前向きに
父の看病で家族が寄り添った時間
家族が皆で寄り添って過ごしたことは、私たちにとって初めてと言ってもよい体験でした。
小渕氏は父・小渕恵三氏が倒れた後、母と姉を中心に看病した時期を振り返り、忙しかった家族が一緒に寄り添って過ごした貴重な時間だったと語っています。
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- 小渕優子 プロフィール 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:生年月日、血液型、家族、趣味、好きな言葉、TBS勤務、最終学歴、当選回数等。
- 1970年代プロフィール 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:姉・兄、祖母・親戚、秘書と暮らした家庭、ピアノ、幼少期の人物像。
- 1980年代プロフィール 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:演劇部、ゴルフ部、琴の準師範「秀優華」、友人、片思い、母の弁当、父との家庭内エピソード。
- 1990年代プロフィール 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:大学時代、体育会女子ゴルフ部、アルバイト、TBS営業局・AD時代、一人暮らし、王子の実家、ダイビング、観劇、TBS退社時の心境。
- 今村雅弘先生と対談! 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:初めての育児、子どもへの思い、母親になって変わった視点。
- 2003年活動報告・クロスロード巻頭Interview 運営主体:小渕優子公式サイト/確認内容:「優太郎」「ユッチャー」の愛称、幼少期の演説、家族との関係。
- 役員一覧 運営主体:TBSホールディングス/確認内容:瀬戸口克陽氏が2026年6月26日時点でTBSホールディングス執行役員であること。
- THE SEVEN 会社情報/THE SEVEN US 運営主体:株式会社THE SEVEN/確認内容:瀬戸口克陽氏がTHE SEVEN代表取締役社長・CEOであること。THE SEVEN USでもCEOを務めること。
- 新春対談 父、小渕恵三氏から受け継いだもの 運営主体:日本アマチュア無線連盟(JARL)/確認内容:アマチュア無線、コールサインJA1LXG、父や家族と無線との関係。
- 月刊誌「りぶる」特集 2月号より 沖縄本土復帰50周年、さらなる振興に向けて 運営主体:自由民主党/確認内容:父・小渕恵三氏が沖縄を「第二の故郷」と呼んだこと、父の遺志を継ぐという本人発言。




































大学時代にはいろいろなアルバイトを経験しました。両親は働くことに賛成しながらも、時折こっそり仕事ぶりを見に来て、最後は普通の客を装って買い物までして帰ったそうです。