原口一博の妻・家族は?再婚しているのか、子どもや若い頃の素顔も紹介

原口一博
ひと目でわかるプロフィール 原口一博
はらぐちかずひろ
生年月日
1959年7月2日
出生地
佐賀県
血液型
A型
星座
かに座
干支
亥年
最終学歴
東京大学文学部心理学科
配偶者(死別)
原口直子
趣味・好きなこと
バレーボール・将棋・絵画・詩歌・読書

原口一博さんというと、総務大臣などを務めた政治家としての姿がよく知られています。一方、本人が長年残してきた文章や発信には、妻や3人の子ども、両親、恩師との時間が数多く登場します。

建築を仕事にした父、源氏物語を語った母、20歳ごろに出会った妻・直子さん。そして少年時代のバレーボールから演劇、ロックバンド、詩や絵画まで、政治活動だけでは分からない話も少なくありません。

20歳ごろには演劇やロックバンド、柔道にも熱中していました。

原口一博さんの素顔がわかる3つのポイント
  1. 朝5時台から複数のSNS LIVEを配信する生活を続け、自炊の様子も発信。
  2. 中学時代にバレーボールで全国3位。重い肺炎による病床生活も経験。
  3. 師や家族との言葉を長く記録に残し、近年も早朝の情報発信を継続。

原口一博の家族構成

原口一博の家族構成 家族・結婚・子ども
父親
原口端夫
母親
原口照代
結婚
死別
妻・夫
原口直子
子ども
娘2人・息子1人

原口一博さんの公式プロフィールには、家族として「二女一男」と記されています。妻は直子さん。父は一級建築士だった端夫さん、母は照代さんです。

家族についての本人の文章を読むと、名前や人数だけではなく、一緒に過ごした時間や、家族から受け取った言葉を何年たっても大切にしていることが伝わってきます。

妻・直子さんは2013年に死去

妻の直子さんは、2013年7月に突然病気で倒れました。原口さんは翌8月4日、病院で妻に付き添いながら文章を書いています。

出産と盲腸以外では入院経験がなかったという直子さん。原口さんは、突然訪れた家族の時間を振り返りながら、妻が日ごろ口にしていた言葉を記しました。

「今日が、一番、幸せです。ありがとう。」

出典:原口一博公式「第77回 妻直子と感謝の言葉」(2013年9月13日)

直子さんが倒れた当時、一番下の子どもは14歳の中学3年生でした。母と過ごせる時間が短いことに涙を流したことも、原口さん自身が書き残しています。

直子さんは2013年8月5日に53歳で亡くなりました。本人の文章には具体的な病名は記されておらず、「病気で倒れた」とされています。

それから13年がたった2026年9月にも、直子さんとの時間は原口さんの日常に残っています。9月5日の朝には月命日の祈りから一日を始め、誕生月には直子さんが好きだったチョコレートケーキを買うと話しました。

「月命日なんで祈りを捧げてスタートします。」

出典:原口一博note「さとうさおり議員 議員辞職撤回」(2026年9月5日)

再婚している?2026年9月時点の公表状況

2026年9月時点で、原口一博さんは再婚を公表していません。同月の発信でも、直子さんを「妻」と呼び、月命日の祈りや誕生日の思い出について話しています。

そのため、2026年9月時点で公式に確認できる「再婚相手」はいません。直子さんとの思い出は、現在も本人の発信の中にたびたび登場しています。

子どもは娘2人・息子1人

子どもは娘2人と息子1人の3人です。2013年に直子さんが倒れた時、一番下の子どもが14歳だったことも本人の文章に残されています。

家族の中で受け継がれたものの一つがラグビーです。2026年9月、原口さんは父が佐賀工業のラグビー部で「8番」、自分が「10番」、息子が「15番」だったと明かしました。

フォワードの8番、司令塔役の10番、最後尾を守る15番。偶然ながら、親子3代でラグビーのセンターラインに並ぶ番号になっています。

父・端夫さんは一級建築士

父の原口端夫さんは一級建築士として建築一筋に歩んだ人でした。佐賀工業ではラグビーに打ち込み、仲間から「ロングさん」と呼ばれていたと原口さんが振り返っています。

口数は多くなかった父が、幼い原口さんに一度だけ語った夢がありました。行き先は、当時新しい首都として建設が進められていたブラジルのブラジリアです。

「首都ブラジリアで建築の勉強をしたい。」

出典:原口一博公式「第88回 太陽の国で佐賀の人たちに出会う」(2014年8月26日)

原口さんは後年、この言葉を「父から聞いた唯一の夢らしい夢」と振り返っています。建築への憧れと海外への関心が一緒になった、端夫さんらしい夢でした。

母・照代さんと源氏物語

母は原口照代さんです。2025年2月に亡くなり、多久市の市長交際費記録にも「原口一博衆議院議員の母」として弔意の記録が残されています。

原口さんが母を見送った日に公式YouTubeへ公開した動画には、「母の源氏物語講座から」という言葉が付けられました。政治家の母というだけではない、照代さん自身の文化的な一面が残る記録です。

原口一博の実家と家族のルーツ

原口一博の実家・自宅・家族のルーツ
育った家庭や暮らしから見える人物像
実家・家族のルーツ地域
佐賀県
実家・家庭環境
佐賀市高木瀬で育ち、家の菩提寺には高木一族が祀られていると本人が記している。
自宅・暮らし
佐賀の食材を使った自炊を「漢の5分クッキング」などで発信。

原口一博さんは佐賀市で育ち、高木瀬小学校に通いました。「高木瀬」という地域名は、本人が家のルーツを語る時にもたびたび登場します。

家の菩提寺には、佐賀藩の源流の一つともいわれる高木一族が祀られていると原口さんは書いています。家紋は「花剣菱」です。

興味深いのは、亡くなった妻・直子さんの西村家も同じ花剣菱だったことです。原口さん自身、家紋を入り口に家族のつながりをたどる文章を残しています。

父・端夫さんが佐賀工業で学び、原口さん自身も佐賀で少年期を過ごし、息子へラグビーの縁が続いたことまで考えると、原口家では佐賀という土地と家族の記憶が長く重なっています。

原口一博の子ども時代と若い頃

中学時代はバレーボールで全国3位

中学時代の原口さんはスポーツ少年でした。公式プロフィールには、バレーボールで全国3位となり、スポーツ賞を受けたことが記されています。

一方、この頃には重い肺炎も経験しました。元気にコートを走っていた時期から一転して、病床生活を余儀なくされています。

本人のプロフィールでは、この療養経験を、周囲と助け合うことを考えるきっかけになった出来事として位置づけています。スポーツの結果と病床生活という対照的な出来事が、同じ中学時代に重なりました。

高校では生徒会長、数学の試験には中原中也の詩

佐賀西高校では、学校の100周年にあたる時期に生徒会長を務めました。ただ、本人が後年楽しそうに振り返るのは役職だけではありません。

数学を担当した寺田先生は、試験問題に中原中也の詩を添えていたそうです。それまで数学を「無味乾燥」だと感じていた原口さんは、ある時、数学にも詩と似た美しさがあることに気づきました。

別の先生からは、自分の小さな枠を壊して世界を見る面白さを教わったと書いています。高校時代の記憶には、数字、詩、笑い、海外への好奇心が同居しています。

20歳ごろは演劇・ロックバンド・柔道に夢中

20歳ごろの姿は、堅い政治家のイメージとはかなり違います。2025年の本人発信では、心理学や社会学を本格的に学ぶ前の自分について、演劇、ロックバンド、柔道などに熱中していたと振り返りました。

「演劇やロックバンドに夢中になったり、柔道をやったり」

出典:原口一博note「2025年12月10日 原口一博代議士『つながることの大切さ。教育の大切さ。』」(2025年12月10日)

さらに本人は、当時パチンコに並んだことまで笑い交じりに振り返っています。そして妻の直子さんと出会ったのも、この20歳前後の時期でした。

のちに長い時間を共にする夫婦の出会いと、演劇や音楽、武道に夢中になっていた青年期が同じ時期に重なっていたことになります。

原口一博の学生時代と恩師・友人

松下幸之助から直接受けた薫陶

大学を卒業した1983年、原口さんは松下政経塾の第4期生となりました。そこで直接指導を受けたのが松下幸之助です。

何十年もたった本人公式プロフィールでも、尊敬する人物の筆頭に松下幸之助を挙げています。若い時に受けた教えが、一時的な思い出ではなかったことが分かります。

末次一郎から最も叱られた弟子

もう一人、原口さんが繰り返し名前を挙げている恩師が末次一郎です。初めて会ったのは23歳の時でした。

末次さんは若者を育てることに厳しく、原口さんも一対一で何度も叱られたと振り返っています。本人が自分の立場を表した言葉は、少しユーモラスでもあります。

「一番叱られた不肖の弟子だった私。」

出典:原口一博公式「第81回 アフリカの国から」(2014年1月号)

末次さんは、原口さんが苦しい時期を迎えると手紙も送りました。その書簡を大切に保管していたのが妻の直子さんです。

原口さんが立ち直れずにいた時、直子さんは保管していた末次さんの手紙を取り出し、恩師の思いを胸に前へ進むよう促しました。妻の遺品を片づけた時、原口さんは初めて、直子さんが書簡をどれほど大事にしていたのかを知ったと書いています。原口一博さんには二女一男の3人の子どもがいることが公式プロフィールで確認できます。20歳前後で妻・直子さんと出会い、家族を築き、2013年に妻を亡くした後も本人の発信には直子さんとの思い出が繰り返し登場します。2026年9月時点で再婚を公表していないため、再婚の有無について推測で補うことはしていません。妻・直子さんとの出会いは20歳前後までさかのぼり、二女一男の子どもたちとの家庭を築きました。父母や恩師との関係も本人の文章にたびたび登場しており、家族の思い出と若い頃の経験が長く本人発信に残っています。現在まで続く人物像を知る材料です。家族史としても確認できます。本人発信が基準です。公開情報の範囲で、丁寧に確認しています。

恩師との縁と夫婦の関係が、一通の手紙を通じてつながっていた出来事です。

原口一博の趣味・好きなもの

原口一博の好きなもの・休日
趣味・好きなこと
バレーボール・将棋・絵画・詩歌・読書
趣味の詳細
読書・詩歌・絵画・バレーボール・将棋
好きなもの
詩歌・絵画・将棋

公式プロフィールに並ぶ趣味は、読書、詩歌、絵画、バレーボール、将棋。スポーツから文学、芸術、盤上のゲームまで幅があります。

詩を書く一面もある

「詩歌」はプロフィールだけに書かれた趣味ではありません。原口さんは自作の詩を自身の国会通信にも掲載してきました。

高校時代に数学の試験へ中原中也の詩を添える先生と出会い、数学の中にも美しさを感じたという話も残っています。文学と数学をまったく別のものとして見ていないところは、原口さんの若い頃から続く特徴的な関心です。

ジャズの巨匠アート・ブレーキーとの夜

音楽では、サンフランシスコでジャズドラマーのアート・ブレーキーと会った思い出も記しています。ブレーキーが夜中までドラムを演奏してくれた夜を、原口さんは後年「宝物」と表現しました。

20歳ごろにロックバンドへ夢中になっていたことを考えると、音楽は若い時だけの一過性の遊びではなく、長く記憶に残るものだったようです。

「漢の5分クッキング」で自炊も発信

近年の発信では、朝の配信と一緒に料理をする姿も見せています。「漢の5分クッキング」と題し、佐賀産の肉や玉ねぎを使った手製カレーなどを作ってきました。

料理を紹介した事実だけから好物とは決められませんが、佐賀の食材を日常の食卓へ取り入れている様子はたびたび確認できます。

原口一博の性格・人柄と私生活

原口一博の人柄・私生活
性格・価値観・人間関係から見える素顔
性格・人柄
師や家族との言葉を長く記録に残し、近年も早朝の情報発信を継続。
私生活・日常
朝5時台から複数のSNS LIVEを配信する生活を続け、自炊の様子も発信。
価値観・人生観
尊敬する人物は松下幸之助、マザーテレサ、ガンジー。
交友関係・人間関係
末次一郎を師と仰ぎ、松下幸之助から直接薫陶を受けた。
意外な一面・こだわり
20歳ごろは演劇・ロックバンド・柔道に夢中だった。

朝5時台から始まる配信生活

2026年の原口さんの日常で目立つのが、かなり早い時間から始まる配信です。9月10日は朝5時4分から6時47分まで4本、9月13日には朝5時3分から7時40分まで5本の配信を行いました。

一度だけ早起きしたという話ではなく、朝5時台からの発信を継続しているのが近年の生活リズムです。

テーマを変えながら何本も続ける日もあり、その日の予定が早ければさらに開始時刻を前倒しすることもあります。2026年9月5日は朝4時38分から話し始めていました。

少年期に聞いた原爆の記憶が残る

原口さんは、幼い頃に長崎の原爆による被害を受けた人たちの話を聞いた経験を書き残しています。一瞬で人の命が失われる惨禍を聞いた記憶は、その後も残りました。

のちに心理学を学んだ理由や政治を志した原点について、本人は次のような言葉で表現しています。

「人を人でなくする力と戦いたい」

出典:原口一博公式「第38回 カリブ海の光 光となりて 勇気となりて」(2010年6月号)

公式プロフィールで尊敬する人物として挙げているのは、松下幸之助、マザーテレサ、ガンジーの3人です。若い頃に直接教えを受けた人物と、長年価値を見いだしてきた人物の名前が並んでいます。

家族の月命日から一日を始める朝、恩師の手紙を何十年後まで覚えていること、早朝から何本も配信を続ける生活。原口一博さんの公開記録には、政治上の役職名とは違う時間の積み重ねも数多く残されています。

原口一博氏の「本人の言葉」から素顔を見る

家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。

本人の言葉を深掘り

当たり前の日常への感謝

2014年8月30日 原口一博「死線を彷徨う」
当たり前だとおもっていたことも本当は、とんでもないくらいに有難いことだったことがわかります。
この発言で語っていること

骨折で入院した原口氏は、自由に動ける日常が決して当たり前ではないと実感したことを記しています。

元の発言を確認する

病院のベッドでも仕事を続ける

2014年8月30日 原口一博「死線を彷徨う」
幸いなことにネット環境が整っており陳情処理や法案作成を病院のベッドで行っています。
この発言で語っていること

入院中の原口氏は、ネット環境を使いながら病院のベッドでも陳情対応や法案作成を続けていたと記しています。

元の発言を確認する

子どもの頃から感じていた「自分の変」

2022年11月28日 原口一博note「3つの平和の理念 水島広子さんへの返信」
私は、小さい頃から「変なこと」を言い出すと言われてきました。数字が色に見えると訴えた時、何かに取り憑かれたかとまで言われた事もありました。
この発言で語っていること

原口氏は子どもの頃から周囲と違う感覚を持っていた経験を振り返り、後に心理学を専攻した背景にも触れています。

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参考・出典
この記事で参照した主な資料
公式・公的資料
素顔データ最終確認日 2026年9月17日
この記事の更新履歴
  • 「本人の言葉」から素顔を見るセクションを追加
  • 2026年9月17日、妻・子ども・両親・家族のルーツ・若い頃・趣味・恩師・私生活・公式SNS・2026年の最新公開情報を確認して新規作成。

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