近藤昭一の妻・息子は?父・弟との家族関係と趣味、若い頃の素顔

近藤昭一
ひと目でわかるプロフィール 近藤昭一
こんどうしょういち
生年月日
1958年5月26日
出生地
愛知県
血液型
A型
星座
ふたご座
干支
戌年
最終学歴
上智大学法学部法律学科
主な前職
会社員
学生時代の部活動
水泳部
趣味・好きなこと
スキー・プラモデル・水泳
特技
水泳・スキー

国会議員として長く活動してきた近藤昭一さんですが、少年時代から政治一色だったわけではありません。海で泳ぎ、小学校ではアマチュア無線に触れ、高校では舞台に立ち、大学では雪山へ通い続けた若者でした。

家族との関係にも、現在まで続く考え方につながる出来事があります。名古屋市議だった父、父の後を継ごうとしていた弟、母方の実家がある知多半島の内海などから、近藤昭一さんの素顔をたどります。

小学6年生の頃には、小学校のアマチュア無線局の開局にも参加しています。

近藤昭一さんの素顔がわかる3つのポイント
  1. 地域の祭りで太鼓へ飛び入り参加したり、友人の屋台で食事をしたりする姿も紹介されている。
  2. 水泳とプラモデル作りが好き。小学6年時には小学校のアマチュア無線局開局にも参加。
  3. 信念を曲げず、人の意見には耳を傾け、必要なら自分の過ちも認めると自己紹介。

近藤昭一の家族構成

近藤昭一の家族構成 家族・結婚・子ども
家族構成
父・母・弟1人
父親
近藤昭夫
兄弟姉妹
弟1人(たかあき。父の後継者として市政を志したが父に先立って死去)

父・近藤昭夫は名古屋市議を9期36年

父親は近藤昭夫さんです。裕福ではない9人兄弟の長男として生まれ、高校卒業後はいったん国鉄で働きました。それでも大学で学びたいという思いがあり、書生をしながら大学へ通った人でした。

その後は鹿島建設で働き、政治の世界へ。名古屋市議を9期36年務めました。息子の昭一さんは、父が「誰もが平等になれる社会」を目指して政治を志したことを、自身が大切にする考え方の一つとして振り返っています。

昭夫さんは2007年11月2日に亡くなりました。亡くなる直前まで、ベッドから息子の国会質問を見ながら助言していたといいます。長く政治の世界にいた父と息子ですが、最後まで続いていたのは仕事上の関係というより、息子を気にかける父親との会話でした。

弟・たかあきも市政を志していた

近藤昭一さんには、弟・たかあきさんがいました。たかあきさんは父・昭夫さんの後継者として市政を志していましたが、父より先に亡くなっています。

父が亡くなるまでの最後の4年間は、息子を失った後の時間でもありました。昭一さんは父について、弟を失った後も自分を気にかけ続けた「やさしい親父」だったと振り返っています。

妻や息子について公表されていること

結婚の有無や妻の氏名、息子を含む子どもの有無・人数は公表されていません。そのため、検索上で見かける家族情報を推測で補うことはせず、父・近藤昭夫さんや弟との関係など本人が公に語ってきた家族史を中心に扱っています。父は名古屋市議を長く務め、亡くなる直前まで息子の国会質問を見ながら助言していたと本人が振り返っています。弟を失った後の父との時間も含め、近藤昭一さんの家族について確認できる内容は、本人発信と公的記録に限定しています。父と弟との関係については本人自身が具体的に語っている一方、妻や子どもについては公表情報がないため、推測で補っていません。

近藤昭一の実家と家族のルーツ

近藤昭一の実家・自宅・家族のルーツ
育った家庭や暮らしから見える人物像
実家・家族のルーツ地域
愛知県
実家・家庭環境
母方実家は旧内海町の薬局。幼少期から内海で泳いで過ごした。

母方の内海は幼い頃から親しんだ場所

近藤昭一さんは名古屋市出身です。母親の実家は、愛知県知多郡内海町、現在の南知多町内海で薬局を営んでいました。子どもの頃から内海へ行き、海で泳いで過ごしています。

父・昭夫さんも内海が好きでした。近藤昭一さん自身も、豊かな自然の残る内海を自分の「原点」と表現しています。

そのうち、内海へ移って、ゆっくり暮らしたい

出典:近藤昭一公式サイト「略歴」(公開日記載なし)

海で過ごした時間は、そのまま水泳好きにつながりました。母方の家を訪ねることと、海へ泳ぎに行くことが一つの思い出として重なっている場所です。

名古屋・亀島で過ごした小学生時代

1965年に名古屋市立亀島小学校へ入学しました。クラスの名前が「松」「竹」「梅」で、校舎は木造。プールも本格的な競泳施設ではなく、20メートルの貯水槽を兼ねたものだったといいます。

小学5、6年生では水泳部に所属し、中日スイミングクラブから全国大会にも出場。全国大会のリレーで3位に入っています。

さらに小学6年生のときには、指導する先生や仲間と小学校のアマチュア無線局を開局しました。当時としては全国で2番目という珍しい取り組みです。水泳だけではなく、機械や通信にも触れていた少年でした。

近藤昭一の若い頃は水泳・演劇・スキーに夢中

中学でも水泳を続け、今もつながる友人ができた

笈瀬中学校でも水泳部でした。3年生のときには名古屋市大会の100メートル自由形で2位に入っています。本人は当時の学校を「ワンパク」な生徒が多い学校だったと振り返っています。

この時期にできた友人とのつながりは長く続きました。大人になってからも昔の仲間が手弁当で応援に来てくれると紹介しています。2023年には笈瀬中学校の文化祭へ同窓会長として招かれました。

中学生の頃には、名古屋市とロサンゼルス市の交流を通じてアメリカ人高校生のホームステイも受け入れました。外国の同世代と暮らす体験を、本人は「有意義な出会い」と振り返っています。

高校文化祭では演劇の主役「トム」

愛知県立千種高校に入ると、勉強ではかなり苦労したそうです。それでも友人には恵まれ、高校1年の夏には初めて海外へ渡り、ロサンゼルスを訪れました。部活動は引き続き水泳です。

意外なのは、高校2年の学園祭で劇「ジャズカントリー」の主役「トム」を演じたこと。水泳に打ち込んでいた一方、舞台にも立つ高校生でした。

大学のスキーは「一番下手」から大会優勝へ

上智大学ではアスペンスキークラブに入りました。本人によれば、入部した頃はクラブで一番下手だったそうです。それでも上手な人の滑りを観察し、リフトが止まった後にも山を登って練習を続けました。

大学3年では志賀高原、4年では山形県の天元台で学生スキーインストラクターを経験。努力を続けた結果、オールソフィアスキー大会・基礎の部で2回優勝しています。

順調に上達したというより、うまくできないところから練習量で追いついた経験でした。夕方、山に向かって大声を出したことまで本人の紹介ページに残っており、かなり熱の入った学生生活だったようです。

北京で約1年半、世界各地の留学生と暮らした

1981年9月から約1年半、中国・北京語言学院へ留学しました。大学を休学して中国で生活し、語学だけではなく、さまざまな国から来た留学生と同じ寮で過ごしています。

パレスチナから来ていた留学生が、イスラエルとの紛争激化によって本国へ呼び戻されたこともありました。仲間の壮行会を経験したことが、本人にとって平和について考える大きな出来事になりました。

中国国内だけでなく、シベリア鉄道を使って当時のソ連やヨーロッパにも足を延ばしています。日本とは異なる社会制度の国で暮らし、国境を越えて同世代と付き合った時期でした。

中日新聞では展覧会や博覧会の仕事を担当

大学卒業後の1984年、中日新聞社に入りました。所属は文化事業局です。新聞記事を書く記者ではなく、博覧会や展覧会を形にしていく仕事を担当していました。

名古屋デザイン博の「ガウディの城」、ぎふ未来博の「山東竜館」、黄河文明展などに携わりました。最後に準備していた「パウル・クレー展」では、作品の出品交渉のためスイス・ベルンまで出向いています。

子どもの頃に好きだったプラモデルと同じように、ものを組み立て、試行錯誤しながら形にしていく仕事でもありました。1993年に新聞社を退社するまで約9年間勤務しています。

近藤昭一の趣味・好きなもの

近藤昭一の好きなもの・休日
趣味・好きなこと
スキー・プラモデル・水泳
趣味の詳細
水泳・スキー・プラモデル作り
好きな食べ物
お好み焼き
好きなもの
保坂正康『あの戦争は何だったのか』
あだ名・愛称
コンちゃん

水泳とスキーは若い頃から続く得意分野

近藤昭一さんを長く追いかけると、水泳は幼少期から高校まで何度も登場します。内海の海、小中高の水泳部、全国大会や名古屋市大会と、単なるプロフィール上の「趣味」に収まらない存在でした。

大学では水泳からスキーへ活動の場が広がりました。一番下手なところから大会優勝まで練習を続けた話は、本人が自分の性格を紹介するときにも使っているエピソードです。

子どもの頃はプラモデル作りが大好き

子どもの頃はプラモデル作りが大好きでした。完成させるだけではなく、「どうすればもっと良くなるか」と工夫しながら一つずつ組み立てる作業が楽しかったと振り返っています。

手先を使うことに加えて、アイデアを考えることも好きだったようです。後年、自分でポスターやリーフレットを作る際にも、こうした発想力が生かされていると自己紹介しています。

好きな食べ物はお好み焼き

好きな食べ物はお好み焼き。好きな本には、保坂正康さんの『あの戦争は何だったのか』を挙げています。若い頃からの水泳やスキーとは別に、食べ物や読書の好みもプロフィールに残されています。

地域の祭りでは太鼓に飛び入り参加

地域行事では、少しくだけた姿も見せています。2023年10月、NPO法人のバザーと秋まつりでは、太鼓の演奏へ飛び入り参加しました。

同じ月に各地の区民祭りを回った際には、友人が出していた屋台でラーメンを食べています。式典だけに顔を出すのではなく、太鼓をたたいたり、昔からの知人の店で食事をしたりする時間もありました。

近藤昭一の性格・人柄と私生活

近藤昭一の人柄・私生活
性格・価値観・人間関係から見える素顔
性格・人柄
信念を曲げず、人の意見には耳を傾け、必要なら自分の過ちも認めると自己紹介。
私生活・日常
地域の祭りで太鼓へ飛び入り参加したり、友人の屋台で食事をしたりする姿も紹介されている。
価値観・人生観
父から学んだ社会の公平公正と、平和・人権・環境を大切にしている。
交友関係・人間関係
中学時代からの友人との交流が続く。上智大学では野田聖子と同級生。
意外な一面・こだわり
高校文化祭で演劇の主役。子どもの頃はプラモデル作りが好きだった。

本人が語る「信念を曲げず、されど柔軟に」

近藤昭一さんは、自分の性格を紹介する際、信念を持つことと、人の話を聞くことを並べています。相手の立場や意見を尊重し、必要なら自分の過ちも認めるという説明です。

自分の信念は決して曲げません。

出典:近藤昭一公式サイト「人となり」(公開日記載なし)

大学でスキーを始めたときのように、最初から得意でなくても、繰り返し取り組んで形にするという経験も本人が自分を説明するときによく登場します。言葉だけではなく、学生時代の行動と結びついた自己紹介です。

若い世代とは「おしゃべり会」で向き合う

2026年には、若い世代との小規模な「おしゃべり会」を繰り返し開いています。8月9日には3回目を開催し、参加者とテーマを決めて意見を交わしました。

大きな演説会だけでなく、互いの考えを話せる場を継続しているのは、本人が以前から掲げてきた「話をじっくり聞く」という姿勢と重なる活動です。

近藤昭一の交友関係・価値観と意外な一面

中学時代の仲間とは大人になっても交流

笈瀬中学校時代の友人とは、その後も関係が続いています。本人は昔の仲間について、大人になってからも応援に来てくれる存在だと紹介しています。

新聞社時代からの友人もいます。2023年には、劇団シアター・ウィークエンド創立50周年記念公演を訪れ、代表の松本喜臣さんとは新聞社時代からの付き合いだと紹介されました。

野田聖子とは上智大学時代の同級生

野田聖子さんは上智大学時代の同級生です。近藤昭一さんがアスペンスキークラブに所属し、スキーインストラクターをしていた学生時代を説明するプロフィールの中でも紹介されています。

父から受け継いだ「社会の公平公正」

父・昭夫さんから受けた影響として、近藤昭一さんが繰り返し挙げるのが、社会を良くすることと公平公正を目指すことです。新聞社を目指した理由についても、本人は次のように話しています。

社会の不正を正したい

出典:シトワイヤン編集委員会「近藤昭一衆議院議員インタビュー〔上〕」(2024年10月6日)

2026年2月の衆議院選挙で議席を失った後も、本人は政治活動を続ける意向を示しました。そのときに示した政治に対する考え方も、父から聞いてきた社会観とつながっています。

政治の役割は「生命と生活を守る」

出典:近藤昭一公式サイト「2026年2月15日発行準備号」(2026年2月15日)

写真と自分の言葉で活動の背景を説明

2026年8月には、沖縄の関係者らと小川淳也代表へ申し入れを行った際の写真について、自身のXで背景を説明しました。写真だけを載せるのではなく、誰と、何のために行った場面なのかを文章で伝えています。

組織が揺れる時期にも自分の考えを言葉にした

2026年8月末には、中道改革連合をめぐる再編の動きが進む中、自分がこれから進む方向について長文で説明しました。党の形だけでなく、自分が何を大切にするかをあらためて言葉にしています。

私は新たな道を歩んでいきたい。

出典:近藤昭一公式サイト「中道改革連合をめぐる局面を前に―」(2026年8月31日)

公式動画では本人の話し方も分かる

文章やプロフィールとは違い、動画では近藤昭一さん自身の話し方や表情も確認できます。2026年2月に公式チャンネルで公開された動画「平和をまもる」では、選挙期間中に本人が自分の言葉で考えを語っています。

近藤昭一氏の「本人の言葉」から素顔を見る

家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。

本人の言葉を深掘り

学生時代から環境問題に関心

2024年10月6日 シトワイヤン編集委員会「近藤昭一衆議院議員インタビュー〔上〕」
学生時代から、経済成長とともに環境が破壊されていることに危機感を持っていました。
この発言で語っていること

近藤氏は大学生の頃から、経済成長の一方で自然環境が失われていくことへ関心を持っていたと振り返っています。

元の発言を確認する

自然に触れて守りたい気持ちが強くなった

2024年10月6日 シトワイヤン編集委員会「近藤昭一衆議院議員インタビュー〔上〕」
好きだから触れた自然が触れたことによってさらに好きになって、そうしたものを守っていかなければならないという気持ちがより強くなりました。
この発言で語っていること

スキーや沖縄の海など自然へ触れた経験が、近藤氏の自然を守りたいという気持ちを強めたと語っています。

元の発言を確認する

スキー部で一番下手から練習を重ねた学生時代

近藤昭一公式サイト「人となり」
入部したときは一番ヘタクソでしたが、ひたすら練習に打ち込み、がむしゃらに上手な人の滑りを頭の中に焼き付けました。
この発言で語っていること

近藤氏は大学時代のスキー同好会で、入部当初は一番下手だったものの、上手な人の滑りを観察しながら繰り返し練習したと振り返っています。努力を重ねて後に大会で連続優勝した学生時代の本人回想です。

元の発言を確認する
参考・出典
この記事で参照した主な資料
公式・公的資料
その他の資料
素顔データ最終確認日 2026年9月16日
この記事の更新履歴
  • 「本人の言葉」から素顔を見るセクションを追加
  • 新規記事作成。家族、実家・家族のルーツ、若い頃、学生時代、趣味、性格・人柄、交友関係、公式X・YouTube、所属状況を確認。

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