2026年9月時点で中道改革連合に所属する衆議院議員・菊田真紀子さん。国会で活動する姿とは別に、本人のプロフィールやインタビューには、三姉妹の長女として加茂で育ったこと、高校でバレーボール部の主将を務めたこと、中国で暮らした若い頃など、日常や人柄が伝わる話が数多く残っています。
夫は外務省で勤務した飯田慎一さんです。2021年10月31日に急逝し、死因はくも膜下出血と報じられました。ここでは夫との出来事だけでなく、家族のルーツ、若い頃の中国生活、趣味や好きなもの、周囲から見た人柄まで、菊田さんの素顔につながるエピソードをたどります。
- 家族は夫(故・飯田慎一)・妹2人です。
- 高校ではバレー部主将。中国へ2年間留学し、帰国後は中国語講座や外国人支援に携わった。
- 座右の銘は「泰然自若」。小川淳也氏は誠実さ・温かさ・涙もろい一面を語っている。
菊田真紀子の夫・飯田慎一さん
夫は外務省で働いた飯田慎一さん
菊田真紀子さんの夫は、外務省職員の飯田慎一さんです。2010年にはアジア大洋州局大洋州課長として日・パプアニューギニア投資協定交渉に参加し、その後は国際協力局地球規模課題総括課長などを務めました。
2009年には外務省経済局政策課企画官として、国連政策を扱う研究会にも参加していました。翌2010年には大洋州課長としてパプアニューギニアとの投資協定交渉に入り、担当分野を経済政策から大洋州外交へ広げています。
飯田さんは2010年の投資協定交渉で日本側メンバーを務め、2013年には地球規模課題総括課長としてNGOとの政策協議にも出席しています。国際協力や太平洋島しょ国との外交に携わってきた人物で、菊田さんが外務大臣政務官を務めた時期とも重なります。夫婦はそれぞれ異なる立場から外交に関わる仕事をしていました。
飯田さんは外務省内で大洋州や地球規模課題、経済分野などを担当しました。2006年から2016年までは宮内庁御用掛として、上皇さまが天皇陛下だった時期の通訳も務めています。2021年当時は外務省経済局審議官。国際交渉だけでなく、要人通訳を含む幅広い外交実務に長く携わっていました。
夫の死因はくも膜下出血
2021年10月31日、衆議院選挙の投開票日に飯田さんが亡くなりました。死因はくも膜下出血でした。菊田さんは開票を地元で見守る予定でしたが、訃報を受けて急きょ東京へ戻りました。
その日は妹の伊佐薫さんが会場で代理を務め、菊田さん本人は東京から電話で支援者にあいさつしました。喜びを分かち合うはずだった夜が、家族にとって大きな悲しみの日にもなりました。
私は最愛の人を失いました。
出典:日刊スポーツ「立民菊田真紀子氏、衆院選投開票日に夫の訃報 くも膜下出血で急逝」(2021年11月3日)
菊田真紀子の家族構成
菊田さんは、3人姉妹の長女です。妹が2人いる家庭の一番上として育ちました。
子どもの頃のひな祭りには、母が毎年、立派なひな人形を飾ってくれました。その人形は、遠くで暮らしていた母方の祖母が、苦しい生活のなかで少しずつ貯金をして贈ったものです。三人官女の真ん中の人形は鼻が欠けており、母から「ネズミにかじられた」と聞かされたこともありました。
当時の菊田さんは、友達の家にある新しくきらびやかなひな人形と比べて、古めかしいと感じていたそうです。大人になってからは、祖母から贈られた古い人形を大切に飾り続けた母の気持ちを思い返しています。母と祖母の思い出が、一つのひな人形を通して残っている家族エピソードです。
妹の一人である伊佐薫さんは、2021年の衆議院選挙で姉に代わって地元会場に立ち、支援者へあいさつしています。夫の急逝を知った姉が東京へ向かわなければならない状況で、家族として地元の場を支えた一人でした。
当確後、伊佐さんは支援者への感謝を伝えながら、本来なら姉も会場で一緒に喜びたかったはずだという思いを語っています。菊田さん本人はその場に戻れませんでしたが、妹が地元の会場に残り、姉に代わって言葉を届けました。三姉妹の具体的な関係が表に出た場面の一つです。
菊田真紀子の実家と家族のルーツ
菊田さんの本人公式プロフィールでは、1969年10月24日に群馬県藤岡市で生まれ、新潟県加茂市で育ったとされています。加茂は子ども時代から若い頃までを過ごし、のちに最初の議員活動の舞台にもなった地域です。
一方、衆議院の議員プロフィールには「新潟県加茂市に生まれる」と記載されています。出生地について公式資料同士で表記が分かれていますが、本人サイトの詳細プロフィールは「藤岡市生まれ・加茂市育ち」と、出生と成育地を分けて説明しています。
家族の政治との関わりも深く、祖父と父はともに田中角栄氏の後援会「越山会」の幹部でした。本人が公式プロフィールで「尊敬する人」の一人に田中角栄氏を挙げていることも、菊田家とこの地域の政治文化との長い接点をうかがわせます。
2026年9月時点の本人公式サイトでは、三条市在住とされています。出生地表記には資料差がありますが、本人が長く生活してきた地域として加茂市と三条市が具体的に挙がり、家族のルーツも新潟県央地域と深く結びついています。
菊田真紀子の若い頃
高校ではバレーボール部の主将
若い頃の菊田さんを語るうえで外せないのが、スポーツと中国での生活です。新潟県立加茂高校ではバレーボール部の主将を務めました。卒業年と並んで「バレー部主将」と記録されており、学生生活を示す数少ない具体的なエピソードとして残っています。
高校卒業後の1988年9月から1990年8月までは、中国の黒龍江大学へ留学しました。中国語を学ぶための2年間でした。当時は日本からの留学生が約10人しかおらず、生活環境も日本とは大きく違っていたそうです。
留学先に中国を選んだのは、当時の中国を「近いけれど遠い」存在として感じ、まだ発展の途上にある大国への好奇心を持ったことがきっかけでした。大学進学の延長としてではなく、興味を持った国へ実際に渡り、現地の言葉と暮らしを体験する道を選んでいます。
中国で戸惑った人との距離感
中国に渡った当初は、人との距離感やコミュニケーションの取り方の違いに戸惑いました。知らない環境へ飛び込み、すぐにすべてを肯定できたわけではありません。
最初は好きにはなれない
出典:学生新聞オンライン「衆議院議員 菊田真紀子」(2021年3月4日)
その後、時間をかけて考え方の違う人との付き合い方や、お互いの違いを受け入れる姿勢を身につけていったと振り返っています。最初の違和感を消してしまうのではなく、違う相手とどう付き合うかを覚えていったという話です。
帰国してからは、日本で暮らしているだけでは気づかなかった自由や生活環境を意識するようになったとも話しています。特に、報道や表現をめぐる環境の違いを目の当たりにしたことで、日本に戻ってから日常の見え方が変わったと振り返りました。海外生活を美化するのではなく、戸惑いも苦しさも含めて自分の経験として語っているのが特徴です。
帰国後は中国語講座と外国人支援
留学から帰国した菊田さんは、中国語講座を開き、外国人支援のボランティアにも取り組みました。国際結婚で地域に来た人や働きに来た外国人と接するなかで、生活上の困りごとと行政の対応との間にある距離を実感したと話しています。
この時期は、政治家としての肩書きを得る前に、地域で外国人の暮らしを手伝っていた時代です。本人は2023年の国会質疑でも、20代の頃に中国から結婚して地域へ来た人たちなどへ、ボランティアで日本語を教えた経験を振り返っています。相手の母語だけでなく、中国の習慣や文化を知っていると授業を進めやすいという実感も語りました。中国で学んだ言葉と生活感覚が、帰国後は地域で暮らす外国人を支える場面に使われていました。
中国語は帰国後も途切れたわけではありません。日本人の中国語作文コンクールの表彰式にも複数年参加し、中国留学や中国語学習について話していました。会場では流ちょうな中国語の発音も評価されたとされ、2年間の留学で身につけた言葉を、その後の交流の場でも使い続けていました。
留学経験は、その後の若者同士の交流にもつながりました。2010年には、31大学の学生らでつくる日本青年上海万博訪問団の総団長として訪中。中国大使館が開いた交流レセプションにも参加し、学生たちと現地で交流しています。政治家としての肩書きが付いた後も、中国で暮らした経験と中国語が、人と人をつなぐ場にたびたび登場しました。
2014年には、国際交流基金が行った中国高校生長期招へい事業の帰国前報告会にも来賓として出席しました。自身が若い頃に中国へ渡った側から、今度は日本で約11カ月を過ごした中国の高校生を見送る側になっています。留学時代だけの思い出ではなく、帰国後も長く日中の若者交流に接点を持ち続けていました。
同じ2014年2月には、延辺大学4人と黒龍江大学7人の学生による訪日研修で、11人が国会見学の際に菊田さんを表敬しました。自分が若い頃に学んだ黒龍江大学の学生と、今度は日本で顔を合わせる機会も生まれていました。
外国人支援を続けるなかでは、地域の行政について「対応が遅い」「開かれていない」と感じる場面があったとも話しています。外側から要望を伝えるだけでなく、自分が行政側へ入って変える必要があると考えたことが、25歳で加茂市議会議員を目指すきっかけになりました。政治家になることを早くから予定していたのではなく、帰国後の地域活動から進路が変わった形です。
市議会へ入った当時は女性議員が一人しかおらず、本人はそれまで経験したことのない女性差別や嫌がらせにも直面したと振り返っています。5年間の市議時代を経て国政へ進みましたが、若い頃の本人の話には、華やかな転機よりも、異文化での戸惑い、地域での支援活動、少数派としての悔しさといった具体的な経験が多く登場します。
楽をして身についたことはあまりなく
出典:学生新聞オンライン「衆議院議員 菊田真紀子」(2021年3月4日)
菊田真紀子の趣味・好きなもの
好きなことは、散歩、料理、大相撲観戦です。国会や選挙のイメージとは少し離れた、かなり生活感のある3つが並んでいます。
食べ物では、カレーライスと麻婆豆腐が好物です。しかも麻婆豆腐には「激辛」という補足つき。中国で2年間暮らした経験とは別に、食の好みとしても辛い中華料理が具体的に挙がっています。料理そのものも好きなことの一つなので、「食べる」と「作る」の両方が日常のプロフィールに登場します。
好きな本は、藤原てい著『流れる星は生きている』。尊敬する人にはマザーテレサと田中角栄氏、憧れの人には大谷翔平さんと松坂桃李さんを挙げています。政治家だけを並べるのではなく、社会活動家、政治家、スポーツ選手、俳優と分野がかなり広い組み合わせです。大相撲観戦も含め、スポーツを見ることは日常の楽しみの一つとしてプロフィールに表れています。
『流れる星は生きている』は、藤原ていさんが終戦後、3人の子どもを連れて満州から日本へ引き揚げた体験を記した作品です。戦争の悲惨さや生きることの尊さ、母の愛を伝える記録です。菊田さんの「好きな本」が作品名まで具体的に示されているのも、趣味の欄から一歩踏み込んだプロフィール情報です。
苦手なこととして堂々と挙げているのは裁縫です。得意分野だけを並べるプロフィールではなく、不得意なものも一つ混ぜているため、かえって日常の姿を想像しやすくなっています。
菊田真紀子の性格・人柄と私生活
黄色がイメージカラー、あだ名は「マッキー」
菊田さんのイメージカラーは黄色です。初めて選挙に出たとき、カメラマンから似合う色として勧められたのがきっかけでした。明るい色と、あだ名の「マッキー」を組み合わせた自己紹介も使っています。
黄色が一番似合う!
出典:菊田まきこ公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
座右の銘は「泰然自若」
座右の銘は、落ち着いて物事に動じないことを表す「泰然自若」です。本人が座右の銘として掲げている四字熟語です。
泰然自若
出典:菊田まきこ公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
20年来の同志が語った「涙もろい」一面
2026年2月、新潟放送の取材では、小川淳也さんが菊田さんを「20年来の同志」と紹介しました。長い期間を同じ政治の場で見てきた人物からの評価として、筋を通すこと、誠実さ、温かさが挙げられています。そのうえで、強さだけではない一面にも触れました。
時に涙もろくて
出典:BSN新潟放送「中小企業支援や地域経済はどうする?それぞれの青写真【衆議院選挙 2026】地場産業が盛んな『新潟2区』」(2026年2月5日)
本人の話し方が分かる公式動画
本人公式サイトではYouTube動画も継続して公開しています。次の動画は2026年の公式発信で、菊田さん本人の話し方や表情を直接見られる映像です。
菊田真紀子の公式Xで見る本人の発信
菊田真紀子さんの公式Xから、記事本文で触れた地元との関わりや人柄、現在の活動につながる投稿を5件掲載します。本人側が発信した内容を、本文とあわせて確認できます。
菊田真紀子氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
退院後は部屋をクリスマス仕様に
部屋のなかをクリスマスムードに変えて気分転換しています。
菊田氏は退院後、議員宿舎で静養する中、部屋をクリスマス仕様にして気分転換していると記しています。
リハビリ中は文章や絵を
午前中は、リハビリのために、文章を書いたり、絵を描いたりして過ごしています。
菊田氏は退院後のリハビリ期間、午前中に文章を書いたり絵を描いたりして過ごしていたと紹介しています。
退院後に見舞いへ来てくれた甥との時間
4歳の甥っ子がお見舞いに来てくれました。
菊田氏は退院後の静養中、4歳の甥が見舞いに来てくれたことを本人ブログに記しています。治療やリハビリの合間に家族との時間を過ごした一場面です。
- 菊田まきこ「プロフィール」 運営主体:菊田まきこ公式サイト/確認内容:生年月日、藤岡市生まれ・加茂市育ち、三姉妹、黒龍江大学留学、趣味、好きな本、座右の銘、黄色、あだ名、裁縫など。
- 菊田まきこ公式サイト 運営主体:菊田まきこ事務所/確認内容:加茂高校バレー部主将、三条市在住、趣味、公式X・YouTubeへの公式導線。
- 「ひな祭り。」 運営主体:菊田まきこ公式サイト/確認内容:三姉妹、母が毎年飾ったひな人形、母方祖母が贈った人形、母と祖母との家族エピソード。
- 菊田真紀子君 運営主体:衆議院/確認内容:生年月日、加茂市表記、衆議院議員9期、加茂市議2期、主な公職、2026年4月時点の所属等。
- 「日・パプアニューギニア投資協定交渉第1回会合の開催」 運営主体:外務省/確認内容:飯田慎一氏が外務省アジア大洋州局大洋州課長として投資協定交渉に参加。
- 第211回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号 運営主体:国立国会図書館/衆議院/確認内容:20代の頃、中国から地域へ来た人などにボランティアで日本語を教えた本人の経験。
- 「2014年2月 延辺・ハルビンふれあいの場運営学生訪日研修」 運営主体:国際交流基金/確認内容:延辺大学4人・黒龍江大学7人の計11人が訪日し、国会見学時に菊田氏を表敬したこと。
- 「衆議院議員 菊田真紀子」 運営主体:学生新聞オンライン/確認内容:中国留学の生活、人との距離感、異なる価値観、帰国後の外国人支援、好きな食べ物、本人発言。
- 「立民菊田真紀子氏、衆院選投開票日に夫の訃報 くも膜下出血で急逝」 運営主体:日刊スポーツ/確認内容:夫の死亡日、死因、菊田氏が東京へ戻った経緯、本人発言。
- 「小差で勝利の菊田真紀子氏 急逝した夫が『身をもって教えてくれた』」 運営主体:ケンオー・ドットコム/確認内容:妹・伊佐薫さんが代理を務めたこと、投開票日当日の家族の状況。
- 「#302 『選挙に強い』ってどういうこと? あの越山会直系、菊田真紀子さんに聞いた」 運営主体:朝日新聞ポッドキャスト/確認内容:祖父・父がともに田中角栄氏の後援会「越山会」幹部だった家族のルーツ。
- 「足利高校 華麗なる卒業生人脈」 運営主体:ダイヤモンド・オンライン/確認内容:飯田慎一氏が2006~2016年に宮内庁御用掛として当時の天皇陛下の通訳を務めたこと、2021年に54歳で急逝したこと。





































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