尾﨑正直さんは高知市で生まれ、長く高知を拠点に活動してきた政治家です。公の場では政策や役職が注目されますが、家族とのやり取りや地元での過ごし方をたどると、家庭人としての姿や肩の力を抜いた一面も見えてきます。
家族は妻の桂子さんと、長男・次男の2人の息子です。父・仁さんは足摺岬の出身で、母は四万十川流域で育ちました。高知市の家庭から、父方の足摺岬、母方の四万十川流域へと、県内の複数地域に家族のルーツがあります。
- 地元の祭りや友人との酒席を楽しみ、2025年には土佐市の大綱祭りで綱引きにも参加。好きな言葉は「至誠通天」で、地元での生活や人とのつながりを大切にしている。
- 高知市で育ち、土佐中学校・土佐高校を経て東京へ。大学卒業後は大蔵省に入り、財務官僚として勤務した。
- 趣味はテニス、スキー、読書、合気道、映画鑑賞。体を動かす趣味と家で楽しむ趣味の両方を持つ。
尾﨑正直の家族構成
妻・桂子さんと2人の息子
尾﨑さんには妻の桂子さんと、長男・次男がいます。2026年の衆議院議員選挙では桂子さんも高知市内で選挙活動を支え、街頭でマイクを握る場面が報じられました。家庭の中だけでなく、公の活動を支える存在としても姿を見せています。
2026年の選挙期間中は、尾﨑さんが官房副長官としての公務や応援演説で高知を離れる日も多く、桂子さんが選挙カーに乗って高知市内を回りました。昼には事務所でスタッフと食事を取り、再び街へ出るという一日を過ごしています。
出発前、尾﨑さんは手を振って訴えることが大切だと桂子さんにアドバイスし、最初は緊張するだろうがすぐ慣れると声をかけました。夫婦で活動に臨む具体的なやり取りが報じられています。
家族にとって大きな転機になったのは2007年です。当時の尾﨑さんは東京で財務省に勤務し、妻と2人の息子と暮らしていました。自宅は購入してまだ数年ほどで住宅ローンも残り、仕事にも手応えを感じていた時期でした。
知事選への出馬要請を受けたのは、その年の9月末ごろ。10月6日、東京の自宅でパソコンに向かっていたところへ高知から電話が入り、強い出馬要請を受けました。尾﨑さんはその場で決断したと回顧しており、家族にとっては準備期間のほとんどない急な話でした。
そこへ高知県知事選への出馬を打診する電話がかかってきます。妻は強く反対し、長男は小学4年生、次男は幼稚園児でした。仕事だけでなく、住まいや子どもたちの生活まで一度に変わる話だったため、家族で向き合う必要がありました。
高知に行ったら子犬を飼おうね
出典:尾﨑正直 Official Site「至誠通天の記 第一回 出馬」(2020年3月18日)
出馬の話を聞いて泣いた長男を、尾﨑さんと妻はこの言葉で慰めました。政治の世界へ進む決断の裏側に、幼い子どもの不安と、それを受け止めようとする夫婦の会話がありました。最終的に妻も高知へ向かう尾﨑さんに同行し、空港まで一緒に移動しています。
財務省を退官して高知龍馬空港へ到着したのは10月18日。尾﨑さんは到着ロビーへ出る前、トイレの鏡の前で深呼吸したことを覚えているといいます。投票日まで約1か月という短い日程の始まりで、隣には妻がいました。
息子たちは成長し、それぞれの道へ
2007年にはまだ小学生と幼稚園児だった2人の息子も、その後は大人になりました。2022年に父・仁さんを見送った際、尾﨑さんは父が亡くなるまでに、自身の国政選挙での当選と、孫たちの就職や進学を報告できたことに触れています。
息子たちの氏名や細かな生活は前面に出していませんが、節目ごとに家族の姿が本人の回顧の中へ現れます。幼かった息子たちを連れて高知へ移った2007年は、尾﨑家全体の暮らしが大きく変わった時期でした。
尾﨑正直の実家と家族のルーツ
父・仁さんは足摺岬の出身
父の尾﨑仁さんは、土佐清水市足摺岬の出身です。若い頃は合気道に没頭し、社会人になってからは営業の仕事を続け、高知県内を広く回っていました。尾﨑さんが2007年に知事選へ出たときには、母とともに息子の活動を支えています。
一人っ子の私を本当に可愛がってくれました
出典:尾﨑正直 Official Site「〈御礼ご挨拶〉」(2022年7月20日)
仁さんは引退後、穏やかに暮らしたいと考えていました。ところが2007年、息子が突然知事選へ出ることになり、生活は一変します。驚きながらも営業時代の経験を生かし、妻と一緒に選挙活動を支えました。その後も約12年間、息子の知事時代を見守りました。
尾﨑さんは一人っ子です。父について振り返った文章では、仕事に向き合うときの考え方を教わったことにも触れています。父は2022年7月11日に亡くなり、尾﨑さんは葬儀後に感謝の言葉を公表しました。
父が好きだった景色として、尾﨑さんが紹介したのは故郷・足摺岬の空と海です。家族の思い出を語る場面で、父の職歴や性格だけでなく、故郷の風景まで添えているところにも、足摺岬が仁さんにとって大切な場所だったことが表れています。
本人の趣味にも合気道が挙げられています。父も若い頃に同じ武道へ熱中していましたが、尾﨑さん自身は、その理由を父の影響だとは説明していません。親子に同じ趣味があるというところまでが、公開情報で確認できる事実です。
母は四万十川流域で育った
母方のルーツは四万十川流域です。尾﨑さんは、幼い頃から大人たちが沈下橋の不便さを話すのを耳にしていました。後年、その沈下橋が観光資源として見直されるようになったことを、地域の見方が変化した例として振り返っています。
私の母は四万十川流域の育ちだ。
出典:尾﨑正直 Official Site「至誠通天の記 第六回 産振計画③」(2020年3月24日)
子どもの頃の学校では、高知は平野の割合が全国最低だから不利だ、という趣旨の説明を受けたことも覚えているといいます。大人になってからは、逆に森林の多さそのものを地域の特徴として生かす取り組みに触れ、同じ土地でも見方によって価値が変わることを実感しました。
本人は高知市で生まれ育ち、父の故郷は足摺岬、母は四万十川流域育ち。県内でも異なる地域の暮らしが、家族の背景としてあります。「高知出身」という一言だけでは収まらない、県内各地との家族のつながりを持つ人物です。
尾﨑正直の若い頃と同級生とのつながり
高知から東京へ移った若い頃
尾﨑さんは高知市で育ち、土佐中学校・土佐高校を経て東京へ移りました。大学卒業後は大蔵省に入り、20代の頃までは将来政治家になることも考えていたと振り返っています。ただ、仕事を重ねるうちに財務官僚としての生活にやりがいを感じるようになりました。
2007年の出馬打診時には40歳。東京では家を購入し、妻と子どもたちとの生活もでき上がっていました。若い頃から抱いていた政治への関心がそのまま一直線に続いたのではなく、いったんは官僚としての仕事と家庭を中心にした生活があったことが分かります。
東京だけでなく、若い時期には海外で暮らした経験もあります。外務省の在インドネシア日本大使館で一等書記官を務めた時期があり、高知市で育った後に東京、海外へと生活の場所を広げていきました。
学生時代からの縁も長く続いています。2007年には東京にいた高知県職員の同級生とともに、中央省庁の職員が地方の実情を学ぶ場として「なぶら会」を立ち上げました。仕事の立場が変わっても、同級生とのつながりが途切れていません。
40年来の同級生と今も続く交流
2023年には、関東高知県人会の集まりで「40年来の付き合いの同級生」と酒席を囲んだことを紹介しています。翌朝は午前5時から動く予定だったのを忘れてつい遅くまで飲み、軽い二日酔いになったという、かなり日常的な失敗談まで明かしました。
久々に楽しかった‼️
出典:尾﨑正直 Official Site「(2023年11月10日(金))」(2023年11月13日)
早朝の予定があるのに昔からの仲間との時間を優先してしまった、という話は、きっちりした公務の場とは違う表情を伝えています。翌朝は予定どおり動き、その日の出来事を自分で笑い話として記しました。
尾﨑正直の趣味・好きなもの
テニス・スキー・読書・合気道・映画鑑賞
趣味はテニス、スキー、読書、合気道、映画鑑賞です。体を動かす趣味と、家で楽しめる趣味の両方が並びます。父・仁さんも若い頃に合気道へ打ち込んでいたため、親子のプロフィールに同じ武道が登場するのも印象的です。
好きな言葉は「至誠通天」。これは後の価値観にもつながる言葉ですが、趣味の項目と合わせて見ると、尾﨑さんのプロフィールはスポーツ、読書、映画、武道とかなり幅があります。特定の一分野だけに偏った余暇の過ごし方ではありません。
また、高知の好きなところとして挙げているのは「人が明るく、元気なところ」です。景色や名産品ではなく人の雰囲気を選んでいるのは、趣味や食の話とは別の、本人が地元に感じている魅力の一つです。
カツオのたたきとうつぼ料理が「推しメシ」
食の好みで具体的に確認できるのが、カツオのたたきとうつぼ料理です。カツオは鮮度のよいものをわら焼きにし、生ニンニクとゆずポン酢で食べる高知らしいスタイルを紹介しています。一本釣りの新鮮なカツオを軽く炙ったときの香ばしさも魅力として挙げ、良いカツオなら塩と生ニンニクだけでも楽しむそうです。
私は東京の友人・知人を土佐料理の店によく誘います。
出典:自由民主党「思わず食べたい 私の推しメシ 尾﨑 正直 衆議院議員 カツオのたたきとうつぼ料理」(2022年8月18日)
うつぼは、たたきや唐揚げを勧めています。食事に合わせるのは、冷やした辛口の土佐酒。自分が食べるだけでなく、東京の友人や知人を土佐料理店へ連れて行き、初めて食べた人の反応を見ることまで楽しんでいました。
うつぼについては、見た目とのギャップにも触れながら、たたきや唐揚げを食べれば翌朝の肌がつやつやになるほどだとユーモアを交えて紹介しています。料理の説明だけでなく、相手の驚く顔や自分の感想まで加える話し方です。
「好きな食べ物」がそのまま高知の食文化を人に紹介するきっかけになっているところに、地元との距離の近さが表れています。
尾﨑正直の性格・人柄と私生活
「よく怒っていた」と振り返る知事就任当初
性格については、本人自身が知事就任当初をかなり率直に振り返っています。当時は官僚機構と県庁の仕事の進め方の違いにいら立つことがあり、新聞の回顧記事で「短気」といった見方をされたことにも触れました。
就任後1、2年は確かに私はよく怒っていた。
出典:尾﨑正直 Official Site「至誠通天の記 第三回 県政スタート」(2020年3月19日)
一方で、いつも怒っている人物のように見られることには違和感も示しています。ここから言えるのは、尾﨑さんが自分の若い時期の振る舞いを美化せず、仕事の中で感情を強く出した時期があったことを本人の言葉で認めている、という点までです。
当時いら立った理由として本人が挙げているのは、住民との対話で感じた課題を庁内へ持ち帰っても、話がかみ合わない場面が多かったことでした。単に「短気だった」とだけ切り取るのではなく、どんな状況で感情が強く出たのかまで本人が説明しています。
祭りではサラシ姿で大綱引きに参加
私生活に近い姿が見えるのが、地元の祭りです。2025年8月には土佐市の大綱祭りに参加し、地元の人たちとの酒席を楽しんだ後、サラシを巻いて綱引きへ加わりました。男衆およそ800人が南北に分かれる大きな催しです。
祭りの大綱には、地場産業である不織布が使われていました。尾﨑さんは準備を担った地元商工会青年部への感謝も記し、自分が加わった側が勝ったことまで報告しています。大きな地域行事を、来賓として見るだけではなく参加者として楽しんでいました。
本気で綱を引いた翌日は、かなりの筋肉痛になったと本人が記しています。スーツ姿ではなく、サラシ姿で地元の祭りへ飛び込む場面もあるのが尾﨑さんの日常の一コマです。
公式プロフィールの趣味にはスポーツが複数並びますが、この祭りの話は競技として体を動かすのとは別の楽しみ方です。見物する側ではなく、自分も輪の中へ入って参加しています。
尾﨑正直が大切にする「至誠通天」
尾﨑さんが好きな言葉として挙げているのが「至誠通天」です。本人は、誠を尽くし続け、それが世の中を動かすところまで取り組むという意味合いで受け止めています。自身の回顧録の題名にも、この四字熟語を使いました。
この言葉は、単なるプロフィール上の座右の銘ではなく、本人が仕事への向き合い方を説明するときに繰り返し使ってきた言葉です。家族の転居を伴った2007年の決断や、その後の活動を一つの美談へまとめる必要はありませんが、本人が何を基準に自分の行動を説明しているかは、この言葉から読み取れます。
家族との場面、昔からの友人との酒席、高知の食や祭り、そして「至誠通天」という言葉。尾﨑正直さんの人柄は、こうした家族や友人、地元での生活に近い記録にも表れています。
2025年にはニコニコニュースの独占インタビューにも出演しました。文章だけでは分からない話すテンポや受け答えの雰囲気を知りたい場合は、本人が長く話している動画も参考になります。
尾﨑正直氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
出馬を伝えた家族への思い
妻子には申し訳ないことをした。
尾﨑氏は、2007年の知事選出馬を決めた当時、妻と幼い2人の息子がいる東京での生活が大きく変わることについて振り返っています。
父・仁さんとの関係
父は、幼少の頃、一人っ子の私を本当に可愛がってくれましたし
父・仁さんを見送った際、尾﨑氏は一人っ子だった幼少期から父に可愛がられ、成長後も考え方や仕事の仕方を教わったと振り返っています。
座右の銘「至誠通天」
- 自由民主党公式 記事本文で参照
- ozakimasanao.jp 記事本文で参照
- ozakimasanao.jp 記事本文で参照
- ozakimasanao.jp 記事本文で参照
- ozakimasanao.jp 記事本文で参照
- ozakimasanao.jp 記事本文で参照
- 尾﨑正直に関するYouTube動画 記事本文で参照














































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