城内実さんは、外務省でドイツ語の通訳官などを務めた後、静岡7区を地盤に活動してきた政治家です。2026年9月17日に発足した第2次高市改造内閣では、日本成長戦略担当などを担い、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)を務めています。
公の場では経済や外交を語る姿が中心ですが、本人が長年書いてきたコラムを読むと、家庭では2人の息子の勉強を見たり、誕生日に手作りカードを受け取ったりする父親の顔が見えてきます。さらに、SPレコード、真空管アンプ、秘湯、レトロ車、落語と、趣味の幅はかなり広めです。
2026年9月確認の本人プロフィールでは、家族は妻・長男・次男の4人家族。父は元警察庁長官の城内康光さんで、父方は浜松、母方は秋田につながります。家族、自宅での子育て、若い頃のドイツ生活、そして独特な趣味をたどると、政治家としての公の姿からは見えにくい城内実さんの一面が浮かびます。
- SPレコードや戦前の白黒映画を楽しむ。家庭では息子の勉強や書道を見守った。
- 幼少期に広島・東京・西ドイツ・神戸・横浜と転居し、約4年半を西ドイツで過ごす。
- 趣味では妥協を嫌う「ホンモノ志向」。誕生日祝いが苦手と自ら語る照れ屋な一面もある。
城内実の家族構成
妻と2人の息子、4人家族
2026年9月確認の本人プロフィールでは、家族は妻・長男・次男の4人家族です。息子が2人いることは、2000年代に本人が書いた「子育て日記」にもたびたび登場しています。
2008年6月のある日、活動を終えて自宅に帰ると、妻が当時小学3年生の長男と小学1年生の次男に算数を教えていました。学校の勉強は基本的に妻が見ていましたが、その日は息子たちから声をかけられ、城内さんも短い時間ながら一緒に問題を見ています。
城内さん自身は、西ドイツの小学校に通っていた頃、宿題を終えるとすぐ外へサッカーをしに行く子どもでした。両親に勉強を見てもらった記憶はなかったそうで、自分が息子たちの勉強を見ることに、父子のコミュニケーションとしての良さを感じていました。
そこで城内さんは、子育てで何を優先したいのかを、かなりはっきり書いています。
それよりも基本的な礼儀作法や他人に対する思いやりなど身につけてほしい。
出典:城内 実オフィシャルサイト「城内実の子育て日記(四)」(2008.06.22)
息子2人との自宅での時間
同じ2008年、誕生日の朝には長男と次男から合作の手作りカードを受け取りました。真珠貝の絵をめくると、その中に黄色い真珠が描かれている仕掛けで、城内さんは子どもたちの想像力に目を細めています。
次男が小学1年生の頃には、妻の提案で自宅近くの書道教室に通い始めました。先生の手本を見ながら丁寧に文字を書く姿に、幼少期をドイツで過ごして日本語の文字が得意ではなかった城内さんは驚いたといいます。
長男は動植物などに強い興味を持ち、図鑑をよく読み込むタイプ。次男は絵の題材を細部まで観察し、まねして描くことが得意でした。城内さんは、兄弟でも得意分野や個性がまるで違うことを面白がり、それぞれの持ち味を見ていました。
妻も家庭だけに専念していたわけではありません。2008年7月の活動報告には、城内さんが地域を回る一方、妻も別の予定を一日中回り、夜には城内さんが帰宅して子どもを寝かしつける場面が残っています。家族それぞれが動きながら、家庭を回していた時期でした。
城内実の実家と家族のルーツ
父・城内康光と広島で始まった幼少期
城内実さんが生まれたのは1965年4月19日、東京・新宿区の産婦人科でした。ところが本人の説明では、当時の生活の基盤は広島にありました。父・城内康光さんが30歳で広島県警捜査二課長を務め、暴力団同士の抗争を担当していたため、母が出産の時期だけ東京の実家側へ移ったという事情があったからです。
出生地と当時の生活基盤、本籍地がそれぞれ違っていた事情について、城内さん自身は次のように振り返っています。
住民票は広島市で本籍地は父の実家の浜松市浅田町であった。
出典:城内 実オフィシャルサイト「私の半生(その一)」(2008.02.28)
本人が後年「第三の故郷」と表現した場所の一つも、3歳まで過ごした広島です。父の転勤にともない、その後も住む町は大きく変わっていきました。
父・康光さんはその後、警察庁警備局長などを経て警察庁長官を務めました。1993年の国会会議録にも警察庁長官として名前が残っています。城内さんの幼少期には、父の転勤に伴って住む場所が次々と変わりました。
ただ、城内家の父方が最初から恵まれた家庭だったわけではありません。城内さんは父について、浜松西高校を卒業後、浪人中もアルバイトをし、大学進学後は働いて得たお金の多くを親きょうだいへ仕送りしていたと書いています。
その父の学生時代を支えた人物の一人が、後に城内さんの母方祖父となる人でした。父は母の弟の家庭教師をしており、その縁が両家をつないだといいます。
父方は浜松、祖母は佐久間町西渡
父方の祖母は、浜松市佐久間町西渡の出身です。祖母の父は西渡で「やまと屋」という菓子屋を営んでいました。林業や鉱山で地域が栄えていた時代には職人を何人も抱える店だったそうです。
昭和初期に地域の大火で店が焼けると、一家は浜松駅南側の海老塚町へ移り、「磯浜」という店を開きました。城内さんが地元を回っていた2007年、餅に記された「大和屋」の名を見て、自分の祖母方の店を思い出したという記録もあります。
2026年9月確認の本人プロフィールには、祖父が元浜松市自治会連合会副会長で、1983年度の市勢功労者だったことも記載されています。浜松は選挙区というだけでなく、父方の家族史が何世代も積み重なっている土地です。
母方の祖父は秋田から上京した苦労人
母方のルーツは秋田県雄勝郡です。城内さんの母方祖父は農家の次男として生まれ、大正時代に東京へ出てきました。昼は皿洗いやくず屋など多くの仕事をしながら、夜は大学の夜学へ通ったといいます。
城内さんの回想では、祖父は20近くの仕事を経験し、やがて税理士関係の仕事に入り、亡くなる頃には公認会計士になっていました。父方と母方の家族について、城内さんは「努力をすることの大切さ」を学んだと振り返っています。
43歳の誕生日には、まず「両親に感謝する」と記しました。父母や祖父母の苦労を具体的に書き残し、浜松や秋田へ続く家族の話を何度も取り上げていることからも、家族の来歴を自分の中で大切にしていることがうかがえます。
城内実の若い頃はドイツ・神戸・横浜へ
ボンの小学生時代は宿題を終えるとサッカー
幼い城内さんは、広島、東京、西ドイツ、神戸、東京、横浜と何度も住む場所が変わりました。6歳から10歳までは西ドイツのボンで公立小学校に通い、約4年半を過ごしました。
ボンの小学生時代は、宿題を早く終わらせて外へ出て、サッカーをするのが日常でした。2026年9月確認の本人プロフィールにも「小学生の頃からサッカーをやっています」とあり、大人になってからも続く趣味の原点はこの時期にあります。
ドイツでの生活は、言葉にもつながりました。外務省時代にはドイツ語通訳官を務め、幼少期と外交官時代を合わせるとドイツで暮らした期間は約10年。2025年にも本人はドイツを「第二の故郷」と記し、今もドイツ語の学習を続けていると紹介しています。
ドイツの小学校時代には、自宅へクラスメートを招いて誕生会を開いたこともありました。友人に呼ばれたら今度は自分が招くという現地の習慣の中で、子ども同士の行き来を経験しています。後年、本人は自分自身が祝われるのは苦手だと書いているので、この対比も少し面白いところです。
帰国便で聞いた落語が忘れられない
1975年8月、日本へ帰国する飛行機の中で、城内さんは起きている間ずっと落語を聞いていました。4年半を西ドイツで過ごした少年にとって、熊さんや八っつぁんが登場する落語は、日本へ戻る実感を強く感じさせるものだったようです。
帰国後は父の実家がある浜松で夏休みを過ごし、その後、父の転勤で神戸へ移りました。当時の神戸の自宅にはテレビがなく、毎日ラジオを聞いていたといいます。上方落語、浪曲、講談、ラジオドラマを聴き、布団の中でも番組を楽しんでいました。
中学生になる頃には、戦前のSPレコードを集め始めます。古道具店で大正時代の三代目柳家小さんの「うどんや」のレコードを手に入れ、大学時代にはポータブル蓄音機を教室へ持ち込み、日本文化の授業でそのSP盤を披露したこともありました。
それほど落語を愛好していた。
出典:城内 実オフィシャルサイト「古典芸能」(2007.11.25)
この頃の音への関心は、後の趣味へそのままつながります。子どもの頃にラジオから流れてきた古典芸能、10代で始めたSP盤蒐集、そして大人になってからのヴィンテージオーディオは、別々の趣味というより一本の線で続いていました。
城内実の趣味・好きなもの
「多趣味」を自認、SPレコードが中心
SPレコードや温泉、旅行、レトロ車まで興味が広がる城内さん。2008年のコラムでは、自分の趣味の多さを率直にこう表現しています。
わたし城内実はどちらかというと多趣味の人間である。
出典:城内 実オフィシャルサイト「趣味」(2008.06.07)
SPレコードは戦前の流行歌を中心に集め、日本音盤倶楽部の理事も務めています。懐メロを通じた交流もあり、「歌のおばさん」として知られた安西愛子さんが自宅へレコードを聴きに来たこともあったそうです。
レコードは単に棚へ集めるだけではありません。古い音源を実際に鳴らすための機器にも強いこだわりがあり、ガラードのレコードプレーヤー、マッキントッシュの真空管アンプ、サンスイのアンプ、JENSENのスピーカーなどを使ってきました。
真空管アンプや古いスピーカーへのこだわり
2009年に紹介したサンスイのAU9500は、その時点ですでに20年以上使い続けていた機器。マッキントッシュMC30は1950年代に発売された真空管アンプで、古いSP盤を聴くための環境に新旧さまざまな機器を組み合わせていました。
スピーカーでも、オーディオ好きの定番として名が挙がりやすいブランドとは少し違う選択をしていました。
JBLやタンノイでないところがちょっとしたこだわり。
出典:城内 実オフィシャルサイト「城内実の音響機器」(2009.04.12)
古くなったら買い替えるのではなく、修理しながら何十年も同じものを使い続ける。城内さんは、良い製品には作り手の魂がこもっているとし、趣味でも妥協せず、こだわりや信念を大切にする「ホンモノ志向」が強くなっていると記しています。
2022年には、自身のYouTubeチャンネルで認知科学者の苫米地英人さんと音響機器について対談。SPレコードやアンプ、スピーカーの話を動画でじっくり語っており、本人の話し方も含めて趣味への熱量が伝わる内容です。
秘湯、レトロ車、稀覯本まで
温泉巡りも長年の趣味でした。10代から20代にかけて関東や東北の秘湯を巡り、南アルプスの奈良田温泉には5回近く訪れたといいます。群馬の沢渡温泉などもお気に入りとして挙げています。
お湯の好みまで細かく、白く濁った硫黄泉より、無色透明で塩分を含む温泉が好みだと書いています。温泉を単に「好き」とするだけでなく、泉質まで語るところに趣味人らしさがあります。
車では、1986年製の初期型三菱デボネアを長く所有し、2008年当時も実家の車庫に置いていました。さらに戦前の稀覯本にも関心があり、自分でも将来は盆栽や植木、和装にまで凝りそうだと冗談めかして書いています。
サッカーは小学生の頃から続く趣味で、ドイツとの縁から、日本人初のドイツ・プロサッカー選手として知られる奥寺康彦さんとも懇意です。子どもの頃にボンでボールを追いかけた経験が、大人になってからの人間関係にもつながっています。
また、音や機械だけでなく、言葉の世界にも関心を広げています。2006年には「最近本格的に俳句をつくるようになった」と書き、「花冷え」という季語を自然に口にするようになった自分に驚いたと記しました。長く欧州で生活した一方、日本の季節感や古典芸能に惹かれる感覚も繰り返し語っています。
城内実の性格・人柄と私生活
テレビよりSP盤、白黒映画を見るための大画面
東京で賃貸マンションに一人で滞在していた時期、城内さんは部屋があまりに殺風景だったため、ネットオークションで大型テレビを買いました。ところが、その用途は最新番組を見るためではありませんでした。
本人はテレビをほとんど見ず、時間があればSPレコードをヴィンテージの真空管アンプで聴く方が幸せだと書いています。せっかく買った大画面テレビも、主に戦前の白黒映画を見るために使っていました。
誕生日を祝われるのが苦手な「照れ屋」
意外なのは、誕生日を祝われるのがかなり苦手だということです。2009年、誕生日が終わった直後のコラムで、昔から「お誕生日おめでとう」と言われるのが苦手で、自分の誕生日をあまり明かさないと書いています。
理由は自分でもよく分からないとしたうえで、自分の性格についてこんな言葉を残しています。
ひょっとすると照れ屋というかシャイなのかもしれない。
出典:城内 実オフィシャルサイト「誕生日「無事」過ぎて」(2009.04.20)
地元浜松の味をスタッフと囲む日常
浜松とのつながりは食べ物だけではありません。本人のXでは、再任後に浜松へ戻り、湖西おいでん祭や各地の敬老会で地域の人たちと交流した様子も紹介しています。
2026年7月には、本人公式Xで、地元・浜松の人から届いた「トリイソース柿の種」を城内さんとスタッフが一緒に食べた様子が紹介されました。投稿は秘書によるもので、みんなで分け合い、手が止まらなくなるほどだったという職場の一場面です。
好きな食べ物として本人が明言したものではないため、好物とは扱えません。ただ、浜松から届いた品をスタッフと囲む写真付きの投稿は、日々の仕事の合間の空気を伝える材料になっています。
ドイツは今も「第二の故郷」
幼少期と外交官時代を合わせて約10年を過ごしたドイツとの関係は、昔話だけではありません。2025年にはドイツを訪問して長年の友人である外相と会談し、本人は2026年にもドイツを「第二の故郷」と表現しています。
2025年6月には「今でもドイツ語の学習を続けています」と記しており、ドイツの友人たちとの交流も継続。幼少期の生活、外務省での仕事、サッカーを通じた奥寺康彦さんとの縁まで、ドイツは城内さんの趣味や交友関係にも長く残る場所になっています。
城内実氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
将来は盆栽や和装にも凝りそう
あと20年後くらいしたら、盆栽とか植木、和装などにこりそうでこわい
多趣味な城内氏は、将来は盆栽や植木、和装にも凝りそうだと自分の性格を冗談めかして記しています。
好みの温泉は無色透明
私は白濁した硫黄分の多い温泉よりも無色透明な塩分の入ったものが好きである。
秘湯巡りが好きな城内氏は、温泉の中でも白濁湯より無色透明で塩分のある湯を好むと具体的に記しています。
フィギュアスケートに夢中で食事を忘れた
私自身、ブログで書いたとおり、フィギュアスケートの時には食事も忘れて浅田真央選手はじめ日本人選手の皆さんの演技を見て、感動した一人なのです。
城内氏はバンクーバー五輪のフィギュアスケートを見て、食事を忘れるほど夢中になり、日本人選手の演技に感動したと本人ブログで記しています。
- プロフィール 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:2026年の役職、当選8回、妻・長男・次男の4人家族、祖父母、SPレコード蒐集、サッカー、奥寺康彦氏との交友。
- 城内実君 運営主体:衆議院/確認内容:東京都新宿区生まれ、最終学歴、外務省・教員・大学教員経験、自由民主党所属、当選8回。
- 私の半生(その一) 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:1965年4月19日の出生、父・城内康光氏の広島県警勤務、広島の生活基盤、浜松市浅田町の父方実家。
- 城内実の子育て日記(四) 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:妻、長男・次男、自宅での算数、ボンの小学校生活、子育てで礼儀と思いやりを重視する価値観。
- 城内実の子育て日記(六)(写真付) 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:次男の書道、妻の提案、兄弟それぞれの得意分野や個性。
- あこがれの白洲次郎 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:父方の浜松の家庭、父の学生時代、母方祖父の秋田県雄勝郡からの上京、両家から学んだ努力の価値観。
- 城内実、北遠を行く(写真付) 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:父方祖母が浜松市佐久間町西渡で育ったこと、祖母方の菓子店「大和屋」と地域の家族史。
- 古典芸能 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:帰国後の落語・浪曲・講談、ラジオ生活、SPレコード蒐集の始まり、大学時代の蓄音機エピソード。
- 趣味 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:SPレコード、秘湯巡り、旅行、三菱デボネア、戦前の稀覯本、好みの温泉泉質。
- 城内実の音響機器 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:ガラード、マッキントッシュ、サンスイ、JENSENなどの音響機器、「ホンモノ志向」と本人が表現する趣味のこだわり。
- 東京のオーディオ(写真付) 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:東京の賃貸マンションでの暮らし、SPレコード、ヴィンテージ真空管アンプ、大型テレビで戦前の白黒映画を見る私生活。
- ドイツ外交 運営主体:城内実オフィシャルサイト/確認内容:ドイツを「第二の故郷」とする本人認識、2025年時点でもドイツ語学習を継続していること。
















































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