作家として長く活動してきた猪瀬直樹さん。公の場では歯切れのよい発言が注目されますが、私生活をたどると、家族との長い時間や本に囲まれた仕事場、走ることを日課にする姿など、別の表情も見えてきます。
ここでは、妻として知られる蜷川有紀さんとの暮らし、亡き妻ゆり子さんと子どもたち、長野で過ごした子ども時代、若い頃の転機、趣味や日常の過ごし方を中心に紹介します。
読書や美術鑑賞も、本人が長く楽しんできた時間のひとつです。
作家として積み重ねてきた仕事は現在の発信にも続いており、本人公式YouTubeでは『昭和16年夏の敗戦』をめぐる映像も公開しています。読書や執筆への関心を補足する本人発信の一例です。
- 食事・映画・散歩など、パートナーと過ごす日常について語っている。
- 医学部受験後に信州大学へ進み、学生運動を離れた後は建設現場でも働いた。
- 蜷川有紀さんから「インテリジェンスと頼りがい。素直であまえ上手」と評されている。
猪瀬直樹の家族構成
亡き妻ゆり子さんとは10代で出会った
猪瀬直樹さんが最初の妻・ゆり子さんと出会ったのは、猪瀬さんが19歳、ゆり子さんが18歳の頃でした。大学卒業を控えた1970年2月に上京して結婚し、東京・中野区沼袋のアパートで新婚生活を始めています。
その後、1974年に横浜へ移り、同じ年に長女が誕生。1978年には長男が生まれました。夫婦は子ども2人を育てながら、約半世紀をともにしました。
ゆり子さんは2013年、悪性脳腫瘍のため亡くなりました。猪瀬さんは葬儀で、10代から続いた2人の時間を短い言葉で振り返っています。
僕とゆり子は47年間、とてもよい、幸せな日々を過ごしました。
出典:猪瀬直樹公式サイト「故 猪瀬ゆり子 葬儀告別式 御礼挨拶」(2013年8月15日)
長女と長男がいる
長女は1974年、長男は1978年生まれです。猪瀬さん自身の年譜には、長女が生まれた頃を「若い親父」になった時期として振り返る文章も残っています。
当時は作家として安定する前で、建設現場の片付けを請け負い、学生アルバイトをまとめる仕事もしていました。家庭を持った時期と、物書きとして進む道を探していた時期が重なっています。
猪瀬直樹の妻・蜷川有紀との暮らし
本を読んでいた蜷川有紀さんとの出会い
画家・女優の蜷川有紀さんとの出会いは2016年。蜷川さんが大作絵画の構想について知識人から意見を聞こうと考え、共通の知人を通じて猪瀬さんを紹介してもらったことがきっかけでした。
蜷川さんは会う前から猪瀬さんの著書を複数読んでおり、初対面の時点では一方的なファンだったと話しています。猪瀬さんは作品をウェブサイトで見たうえで、自分の本を読み込んでいる相手なら話が合いそうだと感じたそうです。
交際を経て、2人は2018年5月に共著『ここから始まる 人生100年時代の男と女』の出版記念パーティーで婚約を発表しました。その後は、2018年に再婚した妻・蜷川有紀さんとして報じられています。
気づき方が柔らかくて鋭い
出典:スポニチアネックス「亡き前妻と同じ…猪瀬直樹氏 蜷川有紀と婚約発表」(2018年5月17日)
「直樹先生」と「おゆき坊」
2人の呼び方も独特です。蜷川さんは猪瀬さんを「直樹先生」、猪瀬さんは蜷川さんを「おゆき坊」と呼んでいます。かしこまった肩書きで呼ぶ一方、相手には愛称を使うという組み合わせです。
朝には、蜷川さんが松任谷由実さんの「春よ、来い」を歌いながらカーテンを開けることがあると、猪瀬さんが婚約会見で明かしています。仕事や公務とは離れた、2人の日常がそのまま伝わるエピソードです。
インテリジェンスと頼りがい。素直であまえ上手
出典:日刊スポーツ「猪瀬氏、蜷川有紀と出会って即『一緒に住んでいい』」(2018年5月17日)
散歩は4時間になることも
2人で過ごす時間には、食事や映画だけでなく散歩もあります。ただし、猪瀬さんの散歩はかなり長め。2018年に『徹子の部屋』へ2人で出演した際、蜷川さんはこんなふうに話していました。
一緒に散歩に行くと4時間帰れない
出典:テレ朝POST「猪瀬直樹、蜷川有紀に出会って30分後に発した『驚きの一言』」(2018年7月24日)
若い頃から街や建物、風景へ目を向けてきた猪瀬さんは、日常でも長い時間をかけて街を歩いています。蜷川さんは別のインタビューでも、木や建物を見つけるたびに立ち止まるほど好奇心が強いと話しています。
猪瀬直樹の実家と家族のルーツ
3歳半で父を亡くした長野での幼少期
猪瀬直樹さんは1946年11月20日、長野県飯山市に生まれました。ところが1950年5月、3歳半のときに父親が狭心症で急死します。
幼い頃は父の死を十分に理解できず、小学生になってから何度も母親へ尋ねました。母は難しい説明ではなく、子どもにも分かる言葉で答えていたことを、猪瀬さんは後年の文章に残しています。
心臓というのは、突然、停まるものなのね。
出典:猪瀬直樹公式サイト「略年譜 1946年〜」
父を亡くした後は、若い母と2人で歩いた記憶も記しています。母は1988年12月に死去。父についてまだ聞きたいことがあったものの、その機会を失ったことも回想しています。
働く母と映画を見た少年時代
父を亡くした後、母は仕事を持ちながら猪瀬さんを育てました。本人の回想では、若い未亡人として子育てと仕事を両立し、服装にも気を配る人だったといいます。短歌を詠む一面もあり、雑誌へ作品が載ったこともありました。
親子で映画館へ行くこともありました。大人向けの恋愛映画を母と並んで見た記憶を、猪瀬さんは不思議と違和感がなかったと振り返っています。父を早くに失った家庭で、映画は母子が一緒に楽しめる身近な娯楽でもありました。
朝は苦手、放課後は昆虫採集に夢中
小学生の頃は、かなりはっきりした生活リズムがありました。低血圧で朝はつらく、寝起きが悪かった一方、放課後になると元気になり、クローバーが生える校庭で遊んでいます。
夏は郊外の森まで30~40分歩き、昆虫採集に熱中しました。食事では偏食が強く、母を心配させるほどタラコばかり食べ、みそ汁や漬物、野菜には手をつけなかった時期もあります。
善光寺は暮らしの背景にあった
長野で育った猪瀬さんにとって、善光寺は観光地というより生活の風景でした。境内を横切って高校へ通り、待ち合わせの目印にもしていたため、少年時代には特別な場所だと意識していなかったと振り返っています。
大人になってウィーンの聖シュテファン教会へ入ったとき、薄暗さや空間の感覚から突然、善光寺の記憶がよみがえりました。遠く離れた旅先で、子どもの頃から身体になじんでいた故郷の風景を再認識した出来事でした。
長兄のギターと「竹馬の友」
高校時代には、家の床の間に置かれていた長兄のギターに興味を持ちました。弾き方は分からなくても何度も膝に載せ、学校の中庭でギターを練習する生徒たちの姿にも目を向けています。
また、幼稚園から高校まで同じ学校で過ごした花岡信昭さんとは長い付き合いでした。猪瀬さんは2人で実際に竹馬でも遊んだことから、花岡さんを「文字通りの竹馬の友」と記しています。花岡さんは後に産経新聞論説副委員長を務めました。
猪瀬直樹の若い頃と学生時代
医学部受験の失敗から松本へ
19歳の頃、猪瀬さんは医学部を目指して浪人し、東京の予備校へ通いました。しかし受験には失敗。その後、松本市の信州大学人文学部へ進みます。
本人は、東京で浪人生活を送り、その後に松本で学生生活を送ったという移動が、物事を一方向からだけ見ない考え方につながったと振り返っています。最初に思い描いた進路とは違う学生生活を経験した時期でした。
学生運動の熱気から離れたきっかけ
大学時代は信州大学の全共闘議長を経験しました。東京へ他大学のデモを応援しに来たある日、喉が渇いて路地のパチンコ店へ入ります。
店内には平日の昼間にもかかわらず、会社員や主婦、自営業の人たちがいました。大通りで学生たちが声を上げる光景と、そのすぐそばで続く普通の生活。その落差を見て、猪瀬さんの意識は変わったといいます。
本当に考えなきゃいけない日常はこっちなんだ
出典:PRESIDENT Online「落合陽一は日本のムダとムラを壊す救世主」(2018年11月23日)
ほどなくして全共闘を離れました。政治思想の議論だけではなく、人が実際に暮らしている日常へ目が向いた時期でした。
工事現場で働き、橋川文三と出会う
1970年に大学を卒業した後は、一般的な就職試験を受けず、建設現場の片付けを請け負う仕事を始めました。学生アルバイトを30~40人ほど集め、現場へ配置する役回りも担っています。
学生運動を離れた直後は、本も読まず議論もしない時期が約2年続きました。肉体を使って働くうち、再び本を読み、自分が考えてきたことを言葉にしたいと思うようになります。
25歳の1972年、政治思想史家の橋川文三さんを訪ねるため、明治大学大学院へ進学しました。入試の面接で橋川さんから「いい文章だ」と声をかけられたことを、猪瀬さんは学生運動後のつらさが和らいだ瞬間として記しています。
20代は上野の美術館へ通い続けた
20代には美術関係の出版社で働いた時期もあり、時間があれば上野の美術館へ足を運びました。公募展も企画展も次々に見て歩き、とくにゴッホの自画像など人物画へ強く引かれていたそうです。
本人は後年、この美術館通いについて、学生運動で人間関係に疲れた自分が癒やしを求めていたのだと振り返りました。出版社を辞めた後は、組織から離れて一人で仕事をする道として、ものを書く仕事へ進んでいきます。
猪瀬直樹の趣味・好きなもの
64歳から始めたランニングとテニス
猪瀬さんの趣味として公的なプロフィールに挙げられているのは、ジョギングとテニスです。共著『ここから始まる 人生100年時代の男と女』には、64歳からランニングを始めたことを扱う章もあります。
2013年には、ゆり子さんとテニスで300回ほどラリーが続いた思い出も明かしていました。2022年の参院選出馬表明時には、毎月50キロ走り、毎週1時間半テニスをしていると説明しています。
大人になってからは「大の蕎麦好き」
食べ物では、本人が後年「大の蕎麦好き」と書いています。長野育ちだけに子どもの頃から蕎麦好きだったように思えますが、実際は逆で、少年時代は蕎麦よりラーメンのほうがおいしいと感じていました。
小学生の頃には母が心配するほどの偏食で、タラコばかり食べていた時期もありました。成長後は食べられるものが増え、故郷を離れてから蕎麦の魅力を強く意識するようになったと記しています。
西麻布の仕事場は“私設図書館”
もう一つ、生活から切り離せないのが本です。1987年に『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した後、資料が増え続け、仕事場を移してきました。
1993年には西麻布の地上4階・地下1階の建物へ移転。本人はその仕事場を「私設図書館」のような場所と表現しています。文章を書く場所であると同時に、長年集めた資料を抱えるための建物でもあります。
読書については、単に多く読むだけでなく、問題意識を持って本を選び、考えを組み立てる方法をたびたび語っています。2020年のインタビューでは、自身の読書法と知的生産の進め方をまとまった形で話しました。
作家としての仕事は現在の発信にも続いています。本人のXでは、自身の著作『昭和16年夏の敗戦』を原案とする『開戦前夜』についても告知しており、読書や執筆の延長にある活動を確認できます。
猪瀬直樹の性格・人柄と私生活
蜷川有紀さんが語る「頼りがい」と甘え上手
蜷川有紀さんは、猪瀬さんを頼れる相手と見る一方で「甘え上手」とも表現しています。公の場で見せる姿とは違う、家庭での距離感が伝わる言葉です。
2016年の2人そろってのインタビューでは、蜷川さんは猪瀬さんと過ごすようになってから「おはよう」「おやすみなさい」といった日常の言葉を交わすことの価値を感じるようになったと話しました。猪瀬さんも、1人より2人で食事や映画を楽しむほうが生活に広がりが出るという考えを語っています。
好奇心を持ち続ける
小学生の昆虫採集、10代のギターへの関心、20代の美術館通い、64歳からのランニングと、年齢ごとに新しい対象へ手を伸ばしてきました。蜷川さんとの共著でも、好奇心やチャレンジが大きなテーマになっています。
全国知事会に掲載された元知事プロフィールでは、座右の銘は「決断、突破、解決力」。趣味の運動でも、仕事の資料集めでも、興味を持った対象へ長く入り込む姿が記録されています。
2026年も新しい技術や生活インフラを追う
2026年8月には本人公式Xで、地方でのガソリンスタンド事情やEVの充電環境について投稿しました。作家時代から都市、道路、暮らしの仕組みを題材にしてきた猪瀬さんは、79歳になってからも新しい技術と日常生活の接点について発信しています。
私生活では、長い散歩をしたり、食事や映画を楽しんだり、本と資料に囲まれた仕事場で文章を組み立てたりする時間があります。朝、蜷川さんが歌いながらカーテンを開けるという何気ない習慣も、2人が公の場で語った日常の一場面です。
猪瀬直樹氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
運動習慣と好奇心
蜷川有紀との出会いで感じた一目ぼれ
恋愛を型にはめない考え方
※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
- 参議院「猪瀬 直樹(いのせ なおき)」 運営主体:参議院/確認内容:生年月日、出生地、最終学歴、公職歴、在職・所属
- 猪瀬直樹公式サイト「プロフィール」 運営主体:猪瀬直樹公式サイト/確認内容:本人年譜、著作活動、大学教員歴、副知事・知事歴、参議院議員当選
- 猪瀬直樹公式サイト「略年譜 1946年〜」 運営主体:猪瀬直樹公式サイト/確認内容:父の死、母との記憶、幼なじみ花岡信昭さんなど幼少期情報
- 猪瀬直樹公式サイト「故 猪瀬ゆり子 葬儀告別式 御礼挨拶」 運営主体:猪瀬直樹公式サイト/確認内容:ゆり子さんとの47年間と本人の直接発言
- 全国知事会「知事プロフィール」 運営主体:全国知事会/確認内容:最終学歴、趣味「ジョギング、テニス」、座右の銘
- 猪瀬直樹公式サイト「作家の部屋」 運営主体:猪瀬直樹公式サイト/確認内容:著書・作品確認、2025年刊行物を含む作家活動の更新確認
- スポニチアネックス「亡き前妻と同じ…猪瀬直樹氏 蜷川有紀と婚約発表」 運営主体:スポーツニッポン新聞社/確認内容:婚約、呼び名、蜷川有紀さんについての本人発言、朝のエピソード
- テレ朝POST「猪瀬直樹、蜷川有紀に出会って30分後に発した『驚きの一言』」 運営主体:テレビ朝日/確認内容:散歩、テニス、ジョギングなど私生活
- ニッポン放送 NEWS ONLINE「婚約ホヤホヤの猪瀬直樹と蜷川有紀が馴れ初めを語る」 運営主体:ニッポン放送/確認内容:出会い、読書、長時間の散歩、好奇心、2人の日常に関する本人たちの発言
- 集英社『ここから始まる 人生100年時代の男と女』書誌情報 運営主体:集英社/確認内容:蜷川有紀さんとの共著、64歳から始めたランニング、好奇心やチャレンジに関する内容




































コメントを残す