赤羽一嘉さんは、国土交通大臣も務めた衆議院議員です。政治家としての姿はよく知られていますが、家庭へ目を向けると、妻と2人の子ども、孫がいる父親・祖父としての顔があります。
東京・新宿の小さなパン屋で育ち、高校ではラグビーに熱中。大学時代にはアフリカへ渡り、商社マン時代は中国で暮らしました。家族、実家、スポーツ、友人とのつながりから赤羽さんの素顔をたどります。
高校時代はラグビーに打ち込み、高校3年で全日本高校選抜にも選ばれました。
- 国交相在任中は不測の事態に備え、あえて息抜きを設けず緊張感を保った。
- 少年野球、卓球を経て高校でラグビーに打ち込み、高3で全日本高校選抜。
- 「汗と体力、少し人より執念深い」と本人が自己評価。
赤羽一嘉の家族構成|妻・息子・娘・孫2人
赤羽さんには妻がいて、子どもは息子1人と娘1人です。さらに孫も2人おり、公式プロフィールには「妻と一男・一女、2人の孫」と記されています。
家族を政治活動の前面に出すタイプではありませんが、本人の昔の出来事や国会での発言をたどると、子どもたちとの生活が見える場面があります。
長男が生まれた頃は北京で単身赴任
三井物産に勤めていた時期、赤羽さんは北京と南京の事務所に駐在しました。中国語と英語を身につけ、北京では1989年の天安門事件にも遭遇しています。
この海外勤務の時期は、家庭にとっても大きな出来事が重なりました。生まれたばかりの長男と離れ、単身赴任の日々を送っていたのです。
仕事で海外に赴任しながら、日本には生まれたばかりの息子がいる。華やかな海外勤務という言葉だけでは見えない、父親として家族と離れて過ごした時期でもありました。
息子と娘はいずれも共働き
子どもたちはその後成長し、赤羽さんは祖父になりました。2025年6月の衆議院予算委員会では、保育士の働く環境について話す中で、自分の家族についても触れています。
息子も娘も共働きなので
出典:衆議院「第217回国会 予算委員会 第25号」(2025年6月6日)
息子と娘の双方が働きながら子育てをしていること、そして赤羽さん自身に孫がいることが分かる発言です。政治の話題の中で、祖父として身近に見ている子育て家庭の様子が短く表れた場面でした。
赤羽一嘉の実家と家族のルーツ|新宿の小さなパン屋
赤羽さんが育ったのは東京都新宿区中落合です。両親は駅前の小さなパン屋を営み、早朝から深夜まで立ち通しで働いていました。
幼い赤羽さんは、そんな両親のそばで店番をするのが好きだったそうです。パン屋の仕事場と家庭がすぐ近くにあり、働く両親の姿を日常の中で見ながら育ちました。
後年、本人は「額に汗する人が報われる」という考え方を繰り返し語っています。子どもの頃に見ていたのは、まさに毎日店へ立ち続ける父母の姿でした。
パン屋の2階にあった狭い二間が自宅
家族が暮らしていたのは、店の2階にある狭い二間でした。広い家ではなく、パン屋の営業と家族の暮らしがひと続きになっているような環境です。
赤羽さんの記憶に強く残っているのがクリスマスイブの前夜です。クリスマスケーキの注文が重なる時期には、部屋にケーキの箱が山積みになりました。
寝る場所も限られ、積み上げられたクリスマスケーキの箱の間で眠ったこともあったと振り返っています。パン屋の繁忙期を家族全員で過ごしていた光景が浮かぶエピソードです。
学校へ行く前後にも店の仕事が身近にあり、休日だけ手伝うというより、商売をする家庭の生活そのものが日常でした。
赤羽一嘉の少年時代・学生時代|野球、卓球、ラグビー
子どもの頃からスポーツとの縁は深く、小学生では少年野球、中学生では卓球に取り組みました。高校へ進むと競技を変え、ラグビーに力を注ぎます。
高校3年でラグビー全日本高校選抜へ
高校時代のラグビーは、単なる放課後の楽しみではありませんでした。練習へ本格的に打ち込み、高校3年生で全日本高校選抜に選ばれています。
赤羽さんにとってラグビーは、高校を卒業すれば終わる競技でもありませんでした。本人の公式サイトでは、長い年月を経てもラグビーとの付き合いが続いてきたことを語っています。
すっかり虜となってしまい、35年の長いお付き合いになりました。
出典:赤羽かずよし公式ウェブサイト「赤羽かずよしの実績─ラグビー」(公開日記載なし)
競技そのものに加え、厳しい練習を一緒に乗り越えた仲間との関係も大切にしてきました。体力だけでなく、仲間を信頼することもラグビーから学んだと本人は振り返っています。
大学3年の夏、南アフリカとケニアへ
大学では小田英郎教授のゼミに入り、南アフリカのアパルトヘイト政策を研究しました。教室の中だけで学ぶのではなく、大学3年の夏にはゼミの仲間と南アフリカ、ケニアを実際に訪れています。
海外旅行が今ほど身近ではなかった時代です。現地で人種差別政策などを目にした旅について、本人はその後の人生へ大きな影響を受けた出来事だったと振り返っています。
社会人になってから中国で長く仕事をすることになりますが、学生のうちから海外へ出て、自分の目で社会を見る経験を積んでいました。
3種類の奨学金を受けながら大学生活
大学生活では、日本育英会奨学金、慶應義塾奨学金、旭硝子奨学金の支給を受けました。本人によれば、受給のための条件もあり、決して楽ではなかったそうです。
パン屋を営む家庭で育ち、自分自身も奨学金を利用して大学を卒業したという経験があります。学生時代の海外体験とともに、若い頃の生活を形づくった具体的な出来事の一つです。
赤羽一嘉の趣味・好きなもの|ラグビーと映画、スポーツ観戦
公式プロフィールに挙げられている趣味・特技は、ラグビー、中国語、絵画・映画鑑賞です。学生時代だけの思い出ではなく、大人になってからも続いているものが並びます。
ラグビーで続いた友人関係
ラグビーを長く続ける中で、神戸製鋼ラグビー部元主将で日本代表元主将の林敏之さんとも縁ができました。全日本高校選抜では赤羽さんが1学年上でした。
のちには林さんらと少年ラグビーの活動にも関わっています。学生時代に始めた一つの競技が、数十年にわたる友人関係や地域での活動につながりました。
東京五輪・パラは録画のハイライトまでチェック
見るスポーツも好きです。2021年のインタビューではスポーツ全般が好きだと紹介され、東京オリンピック・パラリンピックでは録画したハイライトまで細かく見ていたといいます。
元ラガーマンというだけでなく、競技を問わずスポーツそのものを見ることが楽しみになっています。公式プロフィールには絵画鑑賞と映画鑑賞も並び、身体を動かすものと文化的な趣味の両方があります。
中国語は商社マン時代に磨いた特技
もう一つの特技が中国語です。三井物産では台湾で語学研修を経験し、その後は北京・南京へ駐在しました。
仕事で実際に中国語を使う環境へ入り、英語とともに習得。北京勤務中には天安門事件に遭遇し、現地から脱出するという緊迫した経験もしています。
高校時代のラグビーと商社時代の中国語。公式プロフィールの「趣味・特技」欄には、若い頃から長く積み重ねてきたものが残っています。
赤羽一嘉の性格・人柄と私生活
赤羽さん本人の自己評価には、かなり身体派の言葉が並びます。2019年に国土交通大臣へ就任した際、建設通信新聞が紹介した本人の言葉が印象的です。
あるのは汗と体力と少し人より執念深い所だ
出典:建設通信新聞Digital「【記者座談会】約4年ぶりに国交相交代/台風15号被害」(2019年9月20日)
自分を特別な才能で説明するより、体力と粘り強さを挙げています。高校のラグビーから、被災地を歩くようになった後年まで、本人の自己認識として一貫した表現です。
国交相時代は「あえて息抜きしない」生活
意外なのは、国土交通大臣を務めていた頃の休み方です。災害や事故がいつ起こるか分からない立場だったため、あえて息抜きをせず、緊張感を保つ日常を心がけたと紹介されています。
趣味にはラグビーや映画鑑賞がある一方、大臣在任中は自分から完全にスイッチを切る時間を作らなかったという生活でした。
スポーツ好きの一面と、仕事中は緊張を緩めない姿勢。同じ人物の中に、オンとオフに対する独特の感覚がありました。
「現場を歩く」ことを重視
赤羽さんが繰り返し口にしてきたのが、現地へ自分で行くことです。2021年のインタビューでは、その理由を短い言葉で語っています。
正しい判断のためには現場を歩かないといけない
出典:神戸新聞NEXT「衆院選・兵庫2区 立候補者に聞く 赤羽一嘉氏」(2021年10月22日)
この「現場」という言葉には、神戸で経験した大きな出来事が重なっています。
阪神・淡路大震災で自ら被災したときの行動
1995年1月17日、赤羽さんは神戸で阪神・淡路大震災に遭いました。国会議員になって約1年半後のことです。
発災直後に自宅を飛び出し、そのまま救助活動のため被災地を走り回りました。本人公式プロフィールでは、その間に体重が15キロ減ったと振り返っています。
その後、着の身着のままに近い姿で東京へ向かい、衆議院予算委員会に出席しました。被災地の状況と政府側の認識との隔たりを感じ、質疑の中で言葉を発しています。
天災じゃない!人災だ!
出典:赤羽かずよし公式ウェブサイト「プロフィール」(公開日記載なし)
この震災体験以降、赤羽さんが掲げるようになった信条が「真実は現場にあり」です。
震災から年月がたった後も、1月17日は本人にとって特別な日として発信されています。神戸との関係は選挙区というだけではなく、自分自身が被災者として暮らした経験とも結び付いています。
赤羽一嘉の交友関係と価値観
林敏之とは高校選抜時代からの縁
長く続いている人間関係の一つが、ラグビー日本代表元主将の林敏之さんとの縁です。全日本高校選抜では赤羽さんが1学年上でした。
林さんは神戸製鋼で活躍し、日本代表を率いたラガーマンです。赤羽さんも高校時代からラグビーを続け、のちには少年ラグビーの振興でもつながりました。
本人はラグビーについて、体力や気力を限界まで使う練習を一緒に経験したからこそ、生涯付き合える友情が生まれたと振り返っています。
神戸への思いが表情に出るX投稿も
公式Xでは、長く関わってきた神戸の出来事に対して、普段の国会発信とは少し違う表情が見えることがあります。
文章だけでなく絵文字も交えた投稿で、長く取り組んできた出来事への率直な喜びが表れています。
座右の銘は2つ
公式プロフィールに掲げる座右の銘は、「一人立てるときに強きものは真正の勇者なり」と「真実は現場にあり」の2つです。
一つ目は、一人でも立てる人間の強さを示す言葉。二つ目は、阪神・淡路大震災を経験した後に本人が信条としてきた言葉です。
パン屋で働き続ける両親を見た少年時代、激しいラグビーの練習、アフリカへの旅、中国での勤務、神戸での被災。本人が今も掲げる言葉の背景には、それぞれ異なる場所で自分の目で見てきた体験があります。高校ではラグビーに打ち込み、3年時には全日本高校選抜に選ばれました。大学時代にはアフリカへ渡り、商社マンとしては中国で暮らしています。妻や子どもとの家庭、実家のパン屋、長く続くラグビー仲間との関係まで含めると、若い頃から現在まで人とのつながりが途切れず続いていることが分かります。小学生では野球、中学生では卓球、高校ではラグビーへと競技が変わり、大学時代にはアフリカを訪れました。商社勤務では中国で暮らし、学生時代から社会人時代まで生活の舞台が大きく変化しています。家族や友人とのつながりもその後まで続いています。若い頃からの流れが分かります。現在の趣味にもつながっています。長く続く関係として確認できます。
話し方や受け答えが分かるインタビュー
2026年2月のサンテレビのインタビューでは、赤羽さん本人の話し方や受け答えを映像で見ることができます。
赤羽一嘉氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
商社マン時代は仕事漬け
寝る時間以外はほとんど会社にいた、大変寂しい人生を送っておりました。
赤羽氏は三井物産時代を振り返り、寝る時間以外はほぼ会社にいるような働き方だったと国会で語っています。
阪神・淡路大震災で娘を守った瞬間
私は、三歳の娘を抑さえて布団にかじりついて、それだけが精いっぱいでした。
赤羽氏は阪神・淡路大震災発生時、自宅で幼い娘を守ることに必死だった瞬間を本人の言葉で振り返っています。
大臣時代はあえて息抜きをしなかった
いつ何が起こるか分からないから
赤羽氏は国土交通相時代、いつ何が起こるか分からないため、あえて息抜きをせず緊張感のある日常を心がけていたと紹介されています。
- 赤羽かずよし プロフィール 運営主体:赤羽かずよし公式ウェブサイト/確認内容:生年月日、血液型、家族、孫、趣味・特技、実家のパン屋、少年時代、ラグビー、大学時代、奨学金、商社勤務、長男との単身赴任、阪神・淡路大震災。
- 赤羽一嘉 / 赤羽かずよし 運営主体:中道改革連合/確認内容:比例近畿、11期、生年月日、東京都新宿区出身、最終学歴、2026年の主要役職。
- 役員一覧 運営主体:中道改革連合/確認内容:2026年8月19日時点で副代表、税制調査会長であること。
- 会派別議員一覧(中道改革連合・無所属) 運営主体:衆議院/確認内容:赤羽一嘉氏が比例近畿選出の衆議院議員で当選11回であること。
- 第217回国会 予算委員会 第25号 運営主体:衆議院/確認内容:息子・娘がともに共働きであること、孫・子育てに関する本人発言。
- 赤羽かずよしの実績─ラグビー 運営主体:赤羽かずよし公式ウェブサイト/確認内容:高校から続くラグビーとの関係、ラグビーから得た友人関係、林敏之氏との交流。
- 赤羽かずよし公式ウェブサイト 運営主体:赤羽かずよし事務所/確認内容:最新の選出区分、当選11回、本人公式X、本人公式YouTubeへの公式導線。
- 衆院選・兵庫2区 立候補者に聞く 赤羽一嘉氏 運営主体:神戸新聞社/確認内容:スポーツ観戦、東京五輪・パラの視聴、国交相時代の生活、中国語、実家のパン屋、本人の「現場」に関する発言。
- 【記者座談会】約4年ぶりに国交相交代/台風15号被害 運営主体:建設通信新聞/確認内容:本人による「汗と体力」「執念深い」という自己評価。











































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