青島健太の妻・家族は?息子や娘、若い頃の野球人生と素顔

青島健太
ひと目でわかるプロフィール 青島健太
あおしまけんた
生年月日
1958年4月7日
出生地
新潟県
血液型
O型
星座
おひつじ座
干支
戌年
最終学歴
慶應義塾大学法学部政治学科
主な前職
スポーツ指導者・監督・スポーツ選手・テレビ・放送関係・会社員・教員・新聞記者・ジャーナリスト
学生時代の部活動
野球部
趣味・好きなこと
スポーツ観戦・犬と遊ぶこと・登山・美術館めぐり・読書
特技
野球・社交ダンス(モダン3級)

元ヤクルトスワローズの内野手からスポーツライター、テレビキャスターへ。その後は政治の世界に進み、2026年9月時点では日本維新の会の参議院議員として国土交通大臣政務官も務めている青島健太さん。

肩書きだけを見ると華やかですが、若い頃をたどると、もともとは医師になることを期待され、高校では「野球をしない」と両親に約束していた時期もありました。それでも野球を諦めきれず、親に内緒で野球部へ。新聞記事で秘密がばれるという、かなり印象的な高校時代を送っています。

家庭では妻と娘、息子の存在が確認されており、息子については国会で自ら海外での仕事ぶりを語ったこともあります。愛犬家で、登山や読書、美術館めぐりを趣味とし、社交ダンスの資格まで持つなど、野球と政治だけでは見えてこない一面も少なくありません。家庭と趣味の幅もかなり広く、若い頃から現在まで関心の対象が変化してきた人物です。

青島健太さんの素顔がわかる3つのポイント
  1. 愛犬家。2023年には新しく迎えた子犬と先住犬ジンジャーの様子を公式Xで紹介。
  2. 小学4年から少年野球。高校進学時は医学部を目指していたが、親に内緒で野球部へ入部。
  3. 本人はプロ入りの決断や引退後の豪州生活など、人生の節目で既定路線から離れる選択をたびたび振り返っている。

青島健太の家族構成

青島健太の家族構成 家族・結婚・子ども
家族構成
妻・娘1人・息子1人
子ども
娘1人・息子1人。息子は2024年時点で20代後半で、デンマークの建設会社に勤務しコペンハーゲンで働いていた。

2019年の埼玉県知事選当時に使われたプロフィールには、青島健太さんについて「既婚。1女1男。愛犬家」と記されています。妻と娘1人、息子1人がいることが確認できる資料です。

家族の中で、青島さん自身が具体的に近況を語っているのが息子です。2024年6月6日の参議院国土交通委員会では、建設業の働き方について質問する中で、自分にも20代後半の息子がいることを明かしました。

彼は今、デンマークの建設会社に勤務して、コペンハーゲンで働いています。

出典:国会会議録検索システム「第213回国会 参議院 国土交通委員会 第18号」(2024年6月6日)

息子はビルの設計やエネルギー効率に関わる仕事をしており、青島さんは国会質疑の前にも本人へ連絡して、デンマークの建設現場について話を聞いていました。政治家としての質問の中に、海外で働く息子との会話がそのまま登場した場面です。

娘については、2019年のプロフィールで存在が確認できます。家族に関する情報を多く前面に出しているタイプではありませんが、息子の仕事を国会で紹介した発言からは、成人した子どもとも仕事や社会について話す関係がうかがえます。

青島健太の実家と家族のルーツ

青島健太の実家・自宅・家族のルーツ
育った家庭や暮らしから見える人物像
実家・家族のルーツ地域
埼玉県・新潟県
実家・家庭環境
新潟市生まれ。6歳から埼玉県草加市育ち。母方は江戸時代から続く医家。

青島健太さんは1958年4月7日に新潟市で生まれ、6歳から埼玉県草加市で育ちました。父親の大学での専攻は化学。母親はスポーツよりも書道など文化的なことを好む人だったと本人が振り返っています。

いや、放任でした(笑)。

出典:スクスクのっぽくん「両親の教育」(公開日記載なし)

スポーツ一家で幼い頃から英才教育を受けた、という家庭ではありません。父親は何かを強く押し付けるのではなく、本人が「やってみたい」と言ったことを受け入れるタイプだったそうです。

一方で、進路について母親が長く望んでいたのは医師でした。母方の実家は江戸時代から代々続く医者の家系で、青島さん自身も中学時代には医学部を目指していました。

だからこそ、進学先に選んだのが埼玉県内有数の進学校である春日部高校でした。野球の強豪校を選ぶのではなく、勉強を優先して医師への道を進むつもりだったのです。

青島健太の若い頃|医者を目指しながら野球へ

子どもの頃の青島健太さんは、同級生の中でもかなり背が高い少年でした。原っぱで野球をして遊び、小学4年生になると少年野球を本格的に始めています。

食生活にも独特の思い出があります。おやつ代わりに煮干しやするめを食べ、幼い頃は、ごはんに牛乳と砂糖をかける「牛乳ごはん」が大好物でした。

煮干し、するめ、牛乳ごはんが、僕の原点ですね

出典:スクスクのっぽくん「牛乳がすごく好きで、ごはんにかけて食べていました。」(公開日記載なし)

春日部高校では親に内緒で野球部へ

春日部高校へ進むときには、両親と「高校では野球部に入らない」と約束していました。ところが入学後、練習している野球部を見て気持ちを抑えられなくなります。

親に黙って、野球部に入ったんです(笑)。

出典:スクスクのっぽくん「埼玉新聞に写真とともに『青島、三塁打!』と載ってしまった。」(公開日記載なし)

入学式の日には丸刈りにしましたが、母親には「勉強に集中するため」と説明。約1か月、野球部に入ったことを家族に隠し続けました。

秘密がばれたきっかけは、前年に甲子園ベスト8だった川越工業との試合でした。満塁で走者一掃の三塁打を放ち、春日部高校が勝利。翌日の埼玉新聞に青島さんの写真が大きく掲載され、それを父親が見つけたのです。

両親とは激しい話し合いになりましたが、「野球を言い訳にせず勉強を続ける」ことを条件に部活動を認めてもらいました。医師を目指して選んだ高校で、野球人生が再び動き始めました。

ヤクルト時代に残した鮮烈な初打席本塁打

春日部高校から慶應義塾大学へ進むと、硬式野球部で三塁手としてプレーしました。1979年秋の東京六大学野球ではシーズン6本塁打を放つなど存在感を示し、大学卒業後は東芝へ入社して社会人野球を続けます。

プロ入りは1984年オフ。27歳を迎える年齢で、ドラフト外からヤクルトスワローズに加わりました。プロとしてのスタートは決して早くありませんでしたが、一軍で迎えた最初の打席は強烈でした。

史上20人目の初打席初ホームランを工藤一彦さんから打ちました。

出典:SPORTS COMMUNICATIONS「青島健太<後編>『鮮烈デビュー後の“ドカベン”からのひと言』」(2014年4月24日)

1985年5月11日、阪神戦で代打として登場。本人は直球一本に絞ってフルスイングしたつもりでしたが、実際に来た球はフォークでした。それでも打球は神宮球場のバックスクリーンへ飛び込み、公式戦初打席初本塁打となりました。

大学野球で同じ三塁を守っていた岡田彰布さんのことも長く覚えており、2023年に阪神がリーグ優勝した際には、早稲田4年の岡田さんと慶應3年の自分が同じ時期に三塁手だった思い出を投稿しています。

プロ野球を離れてからも、現役時代に出会った人の記憶は残っています。ヤクルトを熱心に応援していた人物からもらったTシャツを、長い年月を経た後も手元に残していました。

引退後はオーストラリアで日本語教師に

青島健太さんがプロ野球を退いたのは1989年です。引退後はそのまま野球解説者になる道を選ばず、いったんスポーツから距離を置こうと考えました。

東京・広尾の図書館で知り合ったオーストラリア人との会話がきっかけとなり、日本語教師の研修を受けた後、1990年にオーストラリア・ビクトリア州へ渡ります。元プロ野球選手から海外の日本語教師へという大きな方向転換でした。

目から鱗みたいなことばかりでしたから、一気に世界観が広がりました。

出典:SPORTS COMMUNICATIONS「青島健太<後編>『鮮烈デビュー後の“ドカベン”からのひと言』」(2014年4月24日)

オーストラリアではクリケットやオージーフットボールなど、日本の野球界にいた頃とは異なるスポーツ文化にも触れました。帰国すると、今度は競技を「する側」ではなく、文章や放送を通じて「伝える側」へ移っていきます。

スポーツライターを始めたばかりの頃、雑誌『Number』に書いたラグビーの記事を二宮清純さんが読み、直筆の手紙で評価してくれたこともあったそうです。まだ新米だった青島さんにとって、書く仕事を続ける自信につながった出来事でした。

青島健太と旧統一教会をめぐる接点

青島健太さんと世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をめぐっては、2019年の埼玉県知事選挙時の接点について本人が説明しています。

2022年8月のTBS NEWS DIGの取材では、2019年の選挙期間中、選挙関係者から夜の会合に誘われ、行った先が旧統一教会関係者の集まりだったと説明しました。TBSは、その後にも複数の働きかけがあったものの、青島さんが「関係を断った」と説明したことを報じています。

確認できるのは、2019年の選挙期間中に会合へ参加したことと、その後の関係について2022年の取材で本人が説明したことです。

政治資金収支報告書は2025年に訂正

2025年12月には、青島健太さんの資金管理団体「青く健やかな明日をつくる会」の2024年分政治資金収支報告書について報道がありました。

テレビ朝日や共同通信によると、キャバクラやガールズバーでの計11万7400円が政治資金から支出された形で記載されていました。事務所は、秘書が支援者らと利用したもので青島さん本人は同席しておらず、政治資金から支出する意図はなく誤って記載したと説明しています。

収支報告書は2025年12月8日付で訂正され、青島さんも自身のXで訂正と謝罪を報告しました。

青島健太の趣味・好きなもの

青島健太の好きなもの・休日
趣味・好きなこと
スポーツ観戦・犬と遊ぶこと・登山・美術館めぐり・読書
趣味の詳細
登山、犬と遊ぶこと、読書、スポーツ観戦、美術館めぐり
好きな食べ物
幼少期:煮干し・するめ・牛乳ごはん
好きなもの
犬・スポーツ
ペット・動物
2023年には先住のイングリッシュ・コッカー「ジンジャー」と、新しく迎えたフレンチブルドッグの子犬について公式Xで発信
休日の過ごし方
犬と遊ぶこと、読書、美術館めぐり

選挙時の人物プロフィールに挙げられていた趣味は、登山、犬と遊ぶこと、読書、スポーツ観戦、美術館めぐりです。野球一筋のイメージとは少し違い、屋外で体を動かすことから静かに本や美術を楽しむことまで幅があります。

愛犬家|ジンジャーと新しく迎えた子犬

本人の公式YouTubeチャンネルの紹介文でも、犬とスポーツが好きなことを前面に出しています。2019年のプロフィールでも「愛犬家」と紹介されていました。

2023年10月には、フレンチブルドッグの子犬を新たに家庭へ迎えたことを公式Xで報告しています。先住犬はイングリッシュ・コッカーの「ジンジャー」。新入りと仲良くしてくれるかを気にかける投稿でした。

犬への反応は自宅だけではありません。2023年4月、和歌山城を訪れた際にも犬と出会った様子を投稿していました。

社交ダンス3級と大型二輪免許も持つ

意外なところでは、社交ダンスのモダン3級を取得しています。中学・高校の社会科教員免許、普通自動車免許に加えて大型二輪免許も持っており、プロフィールだけでも活動範囲の広さが分かります。

野球選手、海外での日本語教師、文章を書く仕事、テレビ出演に加え、社交ダンスや大型バイクまで経験してきた人物です。ひとつの分野だけに自分を固定しない歩みは、若い頃から一貫しています。

青島健太の性格・人柄と私生活

青島健太の人柄・私生活
性格・価値観・人間関係から見える素顔
性格・人柄
本人はプロ入りの決断や引退後の豪州生活など、人生の節目で既定路線から離れる選択をたびたび振り返っている。
私生活・日常
愛犬家。2023年には新しく迎えた子犬と先住犬ジンジャーの様子を公式Xで紹介。
価値観・人生観
スポーツを健康やコミュニケーションにつながるものとして捉えている。
交友関係・人間関係
ヤクルト時代の選手との思い出や、スポーツライター転身後に二宮清純から受けた励ましを語っている。
意外な一面・こだわり
社交ダンス(モダン)3級と大型二輪免許を持つ。

青島健太さん自身の話を追うと、最初から将来を一本に決めて進んできたというより、その時々で興味を持った場所へ踏み込んできたことが分かります。高校では医学部を目指しながら秘密で野球部へ入り、20代後半でプロに挑戦し、引退後には海外へ渡りました。

スポーツを見るときにも、結果だけでなく選手が置かれた状況へ目を向ける投稿があります。2022年の日本シリーズでは、厳しい場面で本塁打を許したオリックスの阿部翔太投手について、投手としての精神面に触れていました。

2026年9月には国土交通大臣政務官に就任しましたが、公式Xやプロフィールには、議員になる以前から長く関わってきたスポーツの話題も残っています。政治家になる前の仕事や趣味を切り離すのではなく、今も野球や犬など身近なテーマを発信しているのが青島さんの日常的な一面です。

本人公式YouTubeにも、青島健太さん本人がカメラに向かって話す動画が残っています。元プロ野球選手、海外での日本語教師、スポーツキャスターなど複数の仕事を経験してきた人物が、現在どのような話し方で思いを伝えているのかを映像で確認できます。

青島健太氏の「本人の言葉」から素顔を見る

家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。

本人の言葉を深掘り

オーストラリア生活で広がった世界観

2014年4月24日 SPORTS COMMUNICATIONS 青島健太インタビュー
それはありますね。目から鱗みたいなことばかりでしたから、一気に世界観が広がりました。
この発言で語っていること

現役引退後に過ごしたオーストラリアで多様なスポーツ文化に触れた経験について、その後の仕事にもつながるほど視野が広がったと振り返っています。

元の発言を確認する

書く仕事を続ける自信になった言葉

2014年4月24日 SPORTS COMMUNICATIONS 青島健太インタビュー
いやぁ、嬉しかったなぁ。少し自信がつきました。「オレでも、なんとかこの世界でやっていけるかな」と。
この発言で語っていること

スポーツライターを始めた頃、二宮清純氏から記事への感想を記した手紙を受け取った経験を、書く仕事を続ける自信につながった出来事として語っています。

元の発言を確認する

選手同士の交流から学んだこと

2014年4月24日 SPORTS COMMUNICATIONS 青島健太インタビュー
僕たちの時代は社会勉強のひとつという感じでしたね。野球の技術的なことはもちろん、人とのコミュニケーションの仕方など、そこで教わったことはたくさんありました。
この発言で語っていること

現役時代にチームメートと過ごした時間について、野球の技術だけでなく、人とのコミュニケーションも学ぶ場だったと振り返っています。

元の発言を確認する
参考・出典
この記事で参照した主な資料
公式・公的資料
報道・インタビュー
その他の資料
素顔データ最終確認日 2026年9月26日
この記事の更新履歴
  • 国土交通大臣政務官就任を反映。家族、若い頃、ヤクルト時代、趣味・愛犬、公式SNS、旧統一教会をめぐる本人説明、政治資金収支報告書の訂正について情報を再確認。「本人の言葉から素顔を見る」情報も追加。

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