重徳和彦さんは、自治省・総務省で地方行政に携わった後、2012年に衆議院議員へ初当選した政治家です。2026年10月現在は中道改革連合所属の衆議院議員6期で、党の国会対策委員長を務めています。官僚出身という経歴が目立つ一方、本人のプロフィールや国会発言をたどると、妻と3人の息子を持つ父親、元ラガーマン、米粉ケーキ作りをしていた家庭人という一面も見えてきます。
高校・大学時代にはラグビーに打ち込み、大学時代に後の妻と出会いました。結婚後は3人の息子に恵まれ、長男の食物アレルギーをきっかけに、小麦粉・卵・乳製品を使わない米粉のチョコレートブラウニーを自分で作っていたことを国会で語っています。
官僚時代は山形、青森、広島など地方勤務を重ね、地域で祭りやNPO、おやじの会を立ち上げました。2004年の新潟県中越地震では消防庁職員として救出活動にも参加しています。家族、学生時代、地域活動、子育てから、重徳さんの素顔を見ていきます。
- 妻と3人の息子の父。息子の食物アレルギーに合わせ、自宅で米粉のチョコレートブラウニーを作っていた。
- 幼少期は運動が得意ではないことを気にしていたが、高校・大学ではラグビーに打ち込んだ。大学時代に現在の妻と出会った。
- 若い頃について、運動が得意ではなかった時期の悔しさが原動力になったと振り返っている。地域活動へ積極的に参加する行動派の一面がある。
重徳和彦の家族構成|妻と3人の息子がいる5人家族
重徳さんの家族は、妻と3人の息子を合わせた5人家族です。2026年の本人公式選挙ページでも「妻と3男児」と紹介されています。
妻の氏名や職業、息子たちの詳しい学校・勤務先などは、現在の公式プロフィールでは公表されていません。ただし、重徳さん自身は国会やSNSで、父親としての経験を何度も語っています。
2022年には、移動型のおむつ交換・授乳カーの実証実験を視察した際、公式Xで「3男児の父」「懐かしいおむつ替え」という言葉が添えられていました。政治活動の紹介の中にも、自分が子育てをしていた頃の記憶が自然に出ています。
サラリーマンの社宅で育つ|愛知で過ごした少年時代
2026年の本人公式選挙ページでは、重徳さん自身について「サラリーマンの社宅生まれ」と紹介しています。政治家一家に生まれたのではなく、会社員家庭で育ったことを本人側がプロフィールに残しています。
中学時代は野球に夢中でしたが、試合に出るよりスコアをつける役割が多く、運動へのコンプレックスがあったと後に振り返りました。そこで感じた悔しさが、高校からラグビーへ本気で取り組む原動力になったといいます。
岡崎高校へ進学してからはラグビー部に入り、東京大学でも競技を継続しました。苦手意識のあった運動を、大学まで続けるほどの得意分野へ変えていったことは、若い頃の重徳さんを象徴するエピソードです。
妻とは大学時代に出会う|ラグビー漬けの青春時代
重徳さんは愛知県出身。愛知県立岡崎高校から東京大学法学部へ進みました。若い頃の大きな特徴がラグビーです。2026年の本人プロフィールでも「元ラガーマン」と紹介されています。
2010年に行われた愛知県知事選候補者の公開イベントでは、高校・大学時代をラグビー中心に過ごしたことが紹介されました。大学時代に現在の妻と出会ったことも、この時の人生年表で語られています。
意外なのは、子どもの頃から運動が得意だったわけではないことです。同イベントでは、幼少期は運動神経がよくないことを気にしており、中学時代は野球部でスコアをつける役割になることも多かったと振り返っています。
「この時のくやしさが全ての原動力」
その後、高校・大学ではラグビーに打ち込みました。得意ではなかった運動に本気で取り組み、ラガーマンと呼ばれるまで続けたという流れは、若い頃の重徳さんを知るうえで印象的です。
息子の食物アレルギー|米粉ケーキ作りが趣味に
重徳さんの家族エピソードで特に具体的なのが、息子の食物アレルギーに関する話です。2013年の衆議院本会議で、自身の息子が生まれつき小麦、卵、乳製品に強いアレルギーを持っていたことを明かしています。
赤ちゃんの頃、初めてパンを口にした際に顔が腫れ、急いで病院へ運び点滴を受けた経験があったと説明しました。こうした家庭での経験が、重徳さんにとって食物アレルギーを非常に身近な問題にしたことが分かります。
「我が家も、息子が生まれつき小麦、卵、乳製品の強いアレルギー体質」
出典:国会会議録検索システム
そして重徳さん自身が、息子のために代替食材を使ったケーキを作るようになりました。小麦粉の代わりに米粉、牛乳の代わりに豆乳、卵の代わりにサラダオイルを使ったと国会で説明しています。
「チョコレートブラウニーケーキをつくることを趣味としておりました」
出典:国会会議録検索システム
政治家の趣味というとスポーツや読書が挙げられることが多いですが、重徳さんの場合は子どものアレルギー対応から米粉ケーキ作りが趣味になったという、かなり生活感のあるエピソードです。
3人の息子を育てた父親|子育て支援で思い出す「おむつ替え」
3人の息子を育てた経験は、現在の活動にもたびたび顔を出します。2022年、岡崎市で移動型のおむつ交換・授乳カーを視察した際には、事務所スタッフの投稿ながら「3男児の父」「懐かしいおむつ替え」と紹介されました。
本人の国会発言でも、子どもの病院受診や食事作りなど、家庭で実際に経験したことが語られています。父親として困った経験を、後の公的な仕事の問題意識につなげていることが分かります。
家庭の細かな情報を大量に公開するタイプではありませんが、「妻と3男児」という家族構成や、息子の病気、食事作りなどについては、自身の言葉で折に触れて紹介してきました。
米国コロンビア大学へ留学|海外で公共政策を学ぶ
自治省へ入省した後、重徳さんは米国のコロンビア大学公共経営大学院でも学びました。地方自治体への赴任だけでなく、海外で公共政策を学ぶ期間も経験しています。
大学時代に出会った妻とは、この官僚時代の歩みの中で結婚しました。学生時代のラグビー仲間や行政の仕事だけでなく、家庭を持ちながら地方赴任や海外留学を重ねる生活へ移っていきました。
山形、青森、広島、米国と生活する場所が変わる中でも、赴任先の地域活動へ自分から参加した点が重徳さんらしいところです。転勤先を単なる勤務地ではなく、実際に暮らし関わる地域として捉えていたことが、その後の「地域に飛び出す公務員」活動につながりました。
官僚時代は山形・青森・広島へ|地方で暮らした経験
東京大学法学部を卒業した重徳さんは、1994年に自治省へ入省しました。現在の衆議院公式プロフィールには、山形県、青森県、広島県への赴任が記載されています。
また、米国のコロンビア大学公共経営大学院でも学びました。中央省庁だけでなく、地方自治体や海外での生活も経験しており、転勤や赴任の多い官僚生活を送っています。
地方勤務では、与えられた行政の仕事だけをしていたわけではありません。衆議院プロフィールには、全国各地で祭り、NPO、おやじの会を立ち上げたことが書かれています。
「全国各地でお祭りやNPO、おやじの会を立ち上げた」
役所の外へ出て地域の人と一緒に活動するという姿勢は、官僚時代から続いていたことが分かります。
「地域に飛び出す公務員ネットワーク」|2008年から全国へ
重徳さんの地域活動は、個人の趣味の範囲だけで終わりませんでした。2008年、総務省の職員だった時期に、公務員が一住民として地域活動へ参加する「地域に飛び出す公務員ネットワーク」の発足に世話人として関わっています。
このネットワークは、役所の中だけで仕事を完結させず、勤務時間外にも地域の祭り、NPO、まちづくりなどへ参加する公務員をつなぐ取り組みです。後に全国へ広がり、自治体職員同士が活動を共有する場になりました。
山形、青森、広島など複数の赴任先で地域活動を経験した重徳さんにとって、公務員も「その地域に暮らす一人」として外へ出るという考えは、官僚時代から一貫した行動の軸でした。
「おやじの会」を立ち上げた理由|仕事以外でも地域へ
重徳さんのプロフィールで少し珍しいのが、「おやじの会」の立ち上げ経験です。一般に学校や地域の父親たちが参加する活動ですが、重徳さんは官僚として赴任した先でも、地域活動へ積極的に入っていました。
官僚という仕事は転勤が多く、赴任先での生活期間も限られます。それでも地域で人間関係をつくり、NPOや地域活動を始めた経験は、現在の人物像を知る材料になります。
公式Xの自己紹介でも長く「おやじの会」「地域に飛び出す公務員ネットワーク」という経歴を掲げていました。仕事の肩書きだけに閉じず、地域の集まりへ入ることを好んできた人物であることがうかがえます。
災害現場へ入る姿勢|中越地震から能登半島地震まで
2004年の新潟県中越地震で救出活動に従事した経験は、その後も重徳さんの活動に残りました。本人の2026年選挙ページでは、災害対策を「ライフワーク」と表現しています。
2024年の能登半島地震では、3日間にわたり被災地でボランティア活動へ参加しました。志賀町で炊き出しを行い、崩れたブロック塀を仲間と撤去し、被災者から生活再建の要望を直接聞いています。
本人は現地活動を「肌感覚の仕事」と表現していました。消防庁職員として災害現場へ入った若い頃から、国会議員になった後まで、災害時には現場へ足を運び、自分で状況を見る姿勢が続いています。
新潟県中越地震で2歳男児の救出活動に参加
官僚時代の大きな経験として、2004年の新潟県中越地震があります。重徳さんは当時、消防庁職員として現地に入り、崖崩れ現場で2歳男児の救出活動に従事しました。
この経歴は現在の衆議院公式プロフィールにも記載されています。災害現場での経験は、通常の行政事務とは異なる、極めて緊迫した仕事でした。
重徳さんはその後も防災や地方行政に関わる経歴を重ね、2011年には愛知県知事選へ立候補。翌2012年の衆議院選挙で国政へ進みました。
若い頃から負けず嫌い?「悔しさ」が原動力
若い頃の重徳さんを知るうえでは、本人が語った「悔しさ」という言葉が一つの手掛かりです。中学時代、運動に自信がなく、野球でも試合に出るよりスコアをつける役回りになることがあったとされています。
その経験を振り返り、後に「悔しさが原動力になった」と語りました。高校からラグビーへ進み、大学でも競技を続けたことを考えると、できないことをそのままにせず、時間をかけて取り組むタイプだったことが見えてきます。
政治家になってからの公式プロフィールにも、ラグビー経験は現在まで残されています。学生時代のスポーツ経験が、今も本人を紹介する代表的な要素になっています。
高校時代から読書好き|電車でも本を読んでいた
重徳さんはスポーツだけでなく、読書も長く続けてきました。本人の公式Xでは、高校時代から駅やデパートの書店で良書を探し、電車でもっぱら読書していたと振り返っています。
政治家になってからは移動や仕事の都合で「耳学問」が増えたとも書いていますが、本を探して読む習慣そのものは学生時代から続いてきました。
ラグビーで身体を動かす一方、移動中には本を読む。運動と読書の両方を生活の中に持っていた学生時代は、趣味の幅を知るうえで新しい一面です。
趣味として続いたラグビーとスポーツ観戦
ラグビーは学生時代の部活動で終わっただけではありません。重徳さんは現在も「元ラガーマン」として紹介され、スポーツに関する投稿も行っています。
2024年にはバスケットボールWリーグの試合を見た感想や、中日ドラゴンズの試合結果についても公式Xで投稿していました。ラグビーだけでなく、地元チームを含むスポーツ観戦を楽しむ様子が見られます。
また、同じ時期には我流で俳句を作ることもあると投稿しています。政治的な発信が多い公式アカウントの中に、スポーツや俳句の話が混ざるところには、日常の好みが表れています。
家庭では果物のカットも担当|料理は米粉ケーキだけではない
米粉ケーキ作りのエピソードが有名ですが、重徳さんの家庭での料理はそれだけではありません。2024年には台湾パイナップルについて、「我が家ではパイナップルのカットは私の仕事」と公式Xで発信しています。
2021年には地元・岡崎の白なすを使った料理を手伝った様子も投稿していました。白なすステーキ、八丁味噌田楽、カレー風味の料理など、地元食材を実際に調理する場面もあります。
息子のアレルギー対応から始まった米粉ケーキ作りに加え、果物を切る役割や地元食材の料理まで、家庭の中で手を動かすことを厭わない父親の姿が公式発信から見えてきます。
家族の経験を仕事へつなげるタイプ
重徳さんの人物像で特徴的なのは、家庭で起きた出来事と仕事上の関心が分かれていないところです。息子の食物アレルギーを経験すると、自分で食材を工夫してケーキを作り、国会では食品表示やアレルギー対策を取り上げました。
3人の息子を育てた経験から、おむつ交換や授乳環境を扱う現場でも「懐かしい」と反応しています。官僚時代には赴任先で地域活動やおやじの会へ参加しました。
家庭、地域、仕事を完全に切り分けるのではなく、自分で経験したことを次の活動へ持ち込むのが重徳さんの一つの特徴といえます。
官僚から政治へ|地域で暮らした経験が転機に
重徳さんは、自治省・総務省で長く働いた後、政治の道へ進みました。中央省庁の仕事だけでなく、山形県、青森県、広島県などの地方勤務を経験している点が特徴です。
赴任先では行政の仕事に加えて、地域の祭りやNPO、おやじの会などにも関わりました。仕事でその土地へ来た人という立場にとどまらず、自分から地域の輪へ入って活動することを続けていました。
こうした経験をもとに、「地域に飛び出す公務員ネットワーク」の立ち上げにも関わっています。現在の衆議院プロフィールにも、この活動歴が政治家になる前の重要な経歴として残されています。
2004年の新潟県中越地震では、消防庁職員として災害現場に入りました。公式プロフィールでは、崖崩れ現場で2歳男児の救出活動に従事したことが明記されています。
「崖崩れ現場にて二才男児の救出活動に従事」
災害対応、地域活動、地方自治体での勤務を重ねた後、2011年には愛知県知事選へ立候補しました。知事選では当選に届きませんでしたが、翌2012年の衆議院選挙で初当選し、国政へ進みます。
官僚時代から政治家になった後まで一貫しているのは、現場へ入り、人と直接関わることを重視している点です。おやじの会のような地域活動も、災害現場での仕事も、机の上だけでは完結しない経験でした。
父親としての経験と仕事が重なる重徳和彦
重徳さんの家族エピソードを見ると、父親としての経験と公的な仕事が何度も重なっています。息子の食物アレルギーをきっかけに自分で米粉ケーキを作り、後に国会で食品表示やアレルギーの問題を取り上げました。
子育て支援の現場では、3人の息子を育てた頃のおむつ替えを思い出す投稿もあります。家庭で経験した困りごとを、後から社会の仕組みを見る視点へつなげているのが特徴です。
また、官僚時代には地域のおやじの会を立ち上げています。家庭の父親という立場と、地域で活動する公務員という立場が別々ではなく、日常の経験がそのまま地域活動へつながっていたことが分かります。
本人が家族について公開している情報は多くありません。それでも、3人の息子の父であること、息子の病気に合わせて食事を工夫したこと、妻とは大学時代に出会ったことなど、断片をつなぐと家庭での姿がかなり具体的に見えてきます。
公の場では行政や国会の話が中心ですが、その背景には、家族と暮らしながら積み重ねてきた子育ての経験があります。父親としての生活感が、重徳さんの素顔を知る重要な手掛かりになっています。
「ペットは家族」|動物との暮らしにも関心
2026年の本人公式選挙ページでは、動物福祉について「ペットは家族」という見出しを掲げています。本人が飼っているペットの種類や名前を公表しているわけではありませんが、動物との暮らしを家族の問題として捉えていることが分かります。
能登半島地震の被災地へ入った際にも、避難先のペット預かりスペースについて公式Xで触れていました。災害時には人だけでなく、動物を連れて避難する家庭が直面する問題もあります。
子育て、食物アレルギー、災害時のペット同行避難など、重徳さんの発信には家庭で暮らす人の目線から考えるテーマが繰り返し登場しています。
2026年現在|6期目の衆議院議員として活動
2026年10月現在、衆議院公式プロフィールでは、重徳さんは比例東海選出の衆議院議員6期、中道改革連合所属とされています。党では国会対策委員長を務めています。
2012年の初当選から所属政党や立場は変化してきましたが、愛知県岡崎市・西尾市を中心とする地域で活動を続けています。家族については現在も「妻と3男児」と公表しています。
行政官、ラガーマン、3人の息子の父、地域活動を行う「おやじ」の顔を持ち、息子のために米粉ケーキを焼いていた時期もありました。肩書きの外側にあるこうした生活のエピソードを重ねると、重徳さんの人物像がより具体的に見えてきます。
重徳和彦氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
若い頃の悔しさ
息子の食物アレルギー
父親としての料理
地域へ飛び出す姿勢
- 重徳和彦公式サイト 公式プロフィール・活動
- 2026衆議院選挙特設ページ 妻と3男児、元ラガーマン
- 衆議院 重徳和彦君プロフィール 現職、学歴、官僚時代、災害救出、地域活動
- 国会会議録検索システム 第183回国会 息子の食物アレルギー、米粉ケーキ作り
- 大ナゴヤ大学 候補者特別授業 幼少期、ラグビー、妻との出会い
- 重徳和彦公式X 本人の活動・人物像
- ぎいつい 重徳和彦公式Xアーカイブ スポーツ、俳句、子育て関連投稿の確認










































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