林芳正さんは、山口3区選出の自由民主党所属の衆議院議員です。2026年9月17日の第2次高市改造内閣発足に伴って総務大臣を退任し、現在は閣僚ではありません。テレビでは落ち着いた受け答えが印象的ですが、家族や昔の姿をたどると、音楽に夢中になった少年時代や、妻と自宅で政策について議論する日常など、ニュース映像とは少し違う顔が見えてきます。
父は元大蔵大臣の林義郎さん、母方は山口県宇部市の実業家・俵田家につながります。妻の裕子さんとの出会い、娘2人との家族、安倍家との関係、そして今も続くビートルズ好きまで、林芳正さんの素顔を具体的なエピソードから見ていきます。
- 妻と政策について話し、自宅では楽器演奏や作曲で気分転換。
- 東京生まれ。小学3年で下関へ移り、中学からバンド活動。
- 幼なじみから「子どもの時から泰然」と評され、バランス感覚にも触れられている。
林芳正の家族構成
林芳正さんの家族は、妻の裕子さんと長女、次女の4人家族です。本人公式プロフィールにも「妻、長女、次女」と記載されています。
父・林義郎は大蔵大臣も務めた政治家
父の林義郎さんは1927年生まれ。通商産業省で働いた後、衆議院議員となり、厚生大臣や大蔵大臣を務めました。芳正さんが小学3年生だった1970年、義郎さんが衆議院選挙に立候補することになり、一家は下関へ移っています。
政治家の家庭に育ったものの、子どもの頃から「後を継げ」と言われていたわけではありません。林さん自身は、父について進路や就職は基本的に「自分のやりたいように」と任せるタイプだったと振り返っています。
高校時代に経済学部へ興味を持ったときだけは、父から法学部を勧められたそうです。それ以外はかなり放任で、会社へ入るときも本人の意思が尊重されていました。
母・万里子は音楽好き
母の万里子さんは山口県宇部市につながる俵田家の出身です。林芳正さんの音楽好きには、母の影響がかなり大きくありました。
幼稚園の頃には母に勧められてピアノ教室へ通っています。ただ、周囲が女の子ばかりだったこともあり、本人はあまり乗り気ではありませんでした。小学校へ上がる頃に「辞めさせてほしい」と頼むと、「ほかの楽器をやるなら」と言われ、今度はバイオリンを始めました。
ピアノからバイオリン、ベース、キーボード、ギターへ。後にさまざまな楽器を弾くようになる出発点には、母とのこんなやり取りがありました。
妹の同級生が後の妻・裕子
林さんは本人インタビューで妹の存在にも触れています。そして、その妹の同級生として学生時代のクリスマスパーティーに参加した女性が、後に妻となる裕子さんでした。
この時点では恋愛関係にはなりませんでした。林さんにも裕子さんにも、それぞれ交際相手がいたからです。夫婦になるのは、そこから時間がたち、社会人になって再会してからでした。
林芳正の妻・裕子と娘2人
妻との出会いは学生時代のクリスマスパーティー
最初の出会いから数年後、林さんは会社を辞めて地元へ戻り、米国留学を考えていました。その頃に裕子さんと再会します。
留学を前に結婚を意識していた林さんは、1990年10月に裕子さんと結婚。プロポーズについて聞かれると、かなり簡潔な言葉で振り返っています。
もちろん。一緒にアメリカに行こうって言って。
出典:笑下村塾「東大法学部から三井物産、ハーバード大学大学院、34歳で政治家に・・・超エリート、林芳正議員の素顔に迫る」(2023年12月11日)
裕子さんが結婚を決めたことについて、林さんは「よく決断してもらった」と話しています。結婚から数か月後の1991年1月、林さんはハーバード大学の特別研究生として渡米しました。
妻・裕子は大学教授として活動
裕子さんは日本IBMで働いた後、研究の道へ進みました。山口大学大学院技術経営研究科で非常勤講師、特命准教授を経て、2015年から特命教授を務めています。
さらにJCRファーマでは2018年に社外取締役へ就任。2026年の役員体制にも名前が掲載されています。
林さんは結婚相手として裕子さんを意識した理由について、子どもに優しく接するだけでなく、必要なときには厳しいことも言える人だと思ったと語っています。
その厳しさは夫にも向けられるようです。大学で教える裕子さんは政策にも関心があり、林さんによれば、帰宅後も「討論会が続いているみたい」になることがあるとのこと。別の視点から質問され、勉強になることもあるそうです。
子どもは娘が2人
子どもは娘が2人です。公式プロフィールの年表では、1994年5月に長女、2001年10月に次女が誕生したことが記録されています。
長女が生まれた1994年は、林さんが米国での勉強を終えた年でもありました。同年6月にハーバード大学ケネディ行政大学院を修了し、8月には父・義郎さんの政策秘書となっています。
家族は林さんの音楽に対して遠慮なく意見を言う存在でもあります。本人は作曲中の曲について、完成前に家族へ聞かせるとかなり批判的な意見が出て創作意欲がなくなるほどだと冗談交じりに話していました。そのため、自信を持って「どうだ」と言えるところまで仕上げてから聞かせるそうです。
林芳正の実家と家族のルーツ
父方は下関に根を張る林家
父方の林家は山口県下関市との結び付きが深く、政治だけでなく地元の事業にも関わってきた家系です。父・義郎さんも下関を政治基盤としました。
林芳正さん自身は東京で生まれましたが、小学3年生だった1970年に父の出馬に伴って下関へ移りました。文関小学校、日新中学校、下関西高校と、少年時代の多くを下関で過ごしています。
2025年には自民党山口県連会長にも就任。子どもの頃に移り住んだ山口との関係は、その後も長く続いています。
母方はUBE創業家につながる俵田家
母・万里子さんの家系をたどると、山口県宇部市の俵田家につながります。俵田家は、UBEの旧社名である宇部興産の創業家として知られる家系です。
万里子さんは俵田家の孫娘にあたり、林義郎さんと結婚しました。林芳正さんとUBE創業家を結ぶのは母・万里子さん側の家系です。
UBEとの家族上のつながりは妻・裕子さん側ではなく、母・万里子さん側の俵田家です。
母方の祖父・俵田寛夫さんも音楽好きでした。家族の中に音楽を楽しむ空気があり、母の万里子さんもピアノやコーラスをたしなんでいたと伝えられています。林さんの楽器好きは、政治家一家という面だけでは説明できない家族の流れを持っています。
安倍家とは親戚というより長年の政治上のライバル
林家と安倍家は、山口県の政治を語るときにしばしば並べて扱われます。父・林義郎さんと、安倍晋三さんの父・安倍晋太郎さんは、中選挙区時代の旧山口1区で同じ議席を争っていました。
小選挙区制へ移った後も下関の政治基盤をめぐる関係は続き、報道では長年「安倍家対林家」と表現されてきました。公開されている主要な家系資料で両家を直接つなぐ血縁は示されておらず、明確に確認できるのは父の代から続いた政治上の競争関係です。
一方、林さんは第1次安倍内閣で内閣府副大臣を務め、その後の安倍内閣では農林水産大臣や文部科学大臣にも就任しています。政治基盤では競い合ってきた両家ですが、林さん自身は安倍政権下で複数の役職を担いました。
林芳正の若い頃・学生時代
中学3年の文化祭で「徒然草」を結成
音楽との付き合いはかなり早く始まっています。幼稚園のピアノ、小学生からのバイオリンを経て、中学生になると友人と演奏するようになりました。
中学3年の文化祭では、バイオリンを担当する林さんと同級生のギターで、グレープの「精霊流し」や、かぐや姫の「神田川」を演奏。ここが本人にとって本格的なバンド活動の始まりでした。
バンド名は「徒然草」、いま考えると渋いですね(笑)。
出典:日本食糧新聞「ヘルシートーク:参議院議員・林芳正さん」(2016年7月1日)
バイオリンは前奏で出番が終わってしまうこともあり、林さんは次第に別の楽器へ興味を広げました。高校入学祝いには、憧れていたポール・マッカートニーと同じベースを選びます。
高校ではベース、大学ではギターと合唱団
高校ではクラスメートとバンドを組み、ベースを担当しました。ほかの学校の仲間と演奏した際にキーボード担当がいなければ、自分で鍵盤にも挑戦しています。
大学へ進むと、早稲田大学の音楽サークルに参加してベースを弾き、自分の大学でもバンドを結成してギターを担当しました。本人の言葉では、学生生活はまさに「バンド三昧」。さらに合唱団にも入り、指揮者まで務めています。
音楽を趣味として軽く楽しんでいたというより、楽器を持ち替えながら長期間かなり深く取り組んでいた学生でした。一時は自作曲をレコード会社へ送ったこともあります。
ポール・マッカートニーに憧れて髪型までまねた
2026年3月には学生時代の写真をXで公開しました。ギターを抱えた若い頃の写真で、本人はポール・マッカートニーに特に憧れ、髪型までまねしていたと振り返っています。
スーツ姿で会見する現在からは想像しにくい写真ですが、今もギターやピアノを趣味にしていることを考えると、学生時代から続く一本の線になっています。
林芳正の趣味・好きなもの
音楽の好みは「3B」
林さんが好きなアーティストとして挙げているのが「3B」です。ビートルズ、ベートーベン、ビル・エヴァンスの3組をまとめた本人流の呼び方です。
ポップス、クラシック、ジャズとジャンルは違いますが、基礎をしっかり持ちながら新しいことを行い、時代を切り開いた点に共通する魅力を感じていると話しています。
ビートルズへの思い入れは特に強く、外相として英国リバプールを訪れた際にも、少年時代の記憶を語っていました。
私は中学生の頃、レコードが擦り切れるほど、ビートルズを聴いていた口です
出典:文春オンライン「《次の総理候補ランキング第1位》林芳正外相が明かした“G7『イマジン』秘話”」(2022年1月8日)
自作曲「東京卒業」は下関への思いから生まれた
自作曲の中で最も思い入れがあると話しているのが「東京卒業」です。30歳で下関西高校の同窓会幹事を務めたとき、同級生238人のうち地元に残っていた人が20人ほどだったことが曲作りのきっかけになりました。
進学や就職で各地へ出た同級生を思い、いつか故郷へ帰るという風景を曲にしました。松任谷由実さんのアルバム「SURF&SNOW」から着想を得たといいます。
曲が浮かぶ場所は移動中の飛行機が多く、思いつきをメモしておき、帰宅後にピアノでコードを付けるのが作曲の流れ。日常の中でも音楽をかなり具体的に続けています。
好きな食べ物は肉、枝豆ともやしも好物
公式プロフィールの好きな食べ物には「お肉なら!」とあります。本人インタビューでも肉好きを明かし、下関はフグだけでなく焼肉もおいしいと話していました。
一方で体重を意識し、妻の裕子さんが圧力鍋で作るロールキャベツなどで、肉と一緒に野菜を取るようにしていた時期もあります。夏野菜ではきゅうり、かぼちゃ、空芯菜、中でも枝豆が好き。通年ではもやしも好物です。
下関らしいのはフグの話です。調理前の「身欠き」の状態から刺身にすることもあると話しており、政治家のプロフィールだけではなかなか出てこない料理の一面もあります。
読書は『百朝集』『貞観政要』を繰り返す
読書では安岡正篤の『百朝集』を手元に置き、折に触れて読み返しています。特に「得意澹然」という言葉を、物事がうまくいっているときほど調子に乗らないための戒めとして大切にしています。
もう一つ挙げているのが『貞観政要』。大学生の頃にも読んだものの、当時は内容が腑に落ちなかったそうです。その後、人を動かす立場を経験するようになってから理解が深まったと振り返っています。
新しい趣味はピックルボール
公式プロフィールにはギター、ピアノ、歌と並んで「ピックルボール」が載っています。テニスや卓球、バドミントンの要素を持つラケットスポーツで、林さんは公務の合間にもプレーしています。
長年続く音楽とは違い、ピックルボールは比較的新しい趣味です。仕事から離れて体を動かす時間も、気分転換の一つになっています。
林芳正の性格・人柄と私生活
幼なじみは「子どもの時から泰然」と振り返る
林さんの少年時代を知る人物の一人が、映画監督・CMディレクターのグ・スーヨンさんです。下関で育った幼なじみで、政治家になった後も付き合いが続いています。
子どもの時からなんか泰然としてました。
出典:スポニチ「映画『幽霊はわがままな夢を見る』監督 親友は林芳正官房長官」(2025年5月10日)
グさんは、子どもの頃から落ち着いていたことに加え、「妙にバランス感覚があった」とも振り返っています。
また、林さんに近い職員から「他人の仕事を自分の手柄にせず、その人の成果として認める」という話を聞いたことも紹介しています。本人の自己評価ではなく、昔から知る人や近くで働く人から出てきた人物評です。
自宅では妻との議論と楽器が気分転換
仕事を終えて家へ帰ると、裕子さんとの政策談議が始まることがあります。本人は「適度なところで終わらないと疲れる」と笑いつつ、普段とは違う角度から質問されることが勉強になるとも話しています。
一人で気分を切り替えたいときは楽器です。ギターやピアノを20~30分弾くだけでも、気持ちを整える時間になるといいます。
読書や音楽、スポーツなど、自分が寛げるものであれば何でも構いません。
出典:文藝春秋「心に刻む安岡正篤先生の戒め」(2023年4月9日)
2026年8月には公式YouTubeでeスポーツにも初挑戦しました。動画では参加した子どもたちと本気でゲームに向き合う様子が収められており、普段の会見とは違う表情を見ることができます。
座右の銘は「不易流行」
公式プロフィールに掲げる座右の銘は「不易流行」です。変えてはいけない本質を守りながら、新しいものも取り入れるという考え方です。
安岡正篤の言葉では「得意澹然」のほか、「壺中天あり」も大切にしています。忙しい仕事の中でも、自分だけが落ち着ける世界を持つこと。その具体的な場所が、林さんにとって読書や音楽、スポーツになっています。
林芳正の友人・音楽仲間と意外な一面
国会議員バンド「Gi!nz」で長年活動
議員になってからも音楽は終わりませんでした。1990年代には仲間の国会議員と音楽活動を始め、後に「Gi!nz」としてライブやCD制作を続けています。
メンバーには浜田靖一さん、小此木八郎さん、松山政司さんらが参加。林さんはボーカルに加え、ギターやピアノを担当してきました。若い人に政治を身近に感じてもらうため、演説とは違う形でメッセージを届けたいという発想が活動の出発点でした。
学生時代のバンド仲間だけでなく、政治の世界でも音楽を通じた仲間を作り、長い期間活動しているところに、趣味の域を超えた音楽との付き合い方があります。
G7では「ヨギー」と呼ばれてピアノへ
外相だった2021年12月、英国リバプールで開かれたG7外相会合では、夕食会の会場がビートルズ・ストーリー博物館でした。ビートルズ好きの林さんにとっては特別な場所です。
ジョン・レノンの「イマジン」で知られる白いピアノのレプリカがある部屋で記念撮影をすることになり、米国のブリンケン国務長官や英国のトラス外相から、愛称の「ヨギー」で呼ばれてピアノの席を勧められました。
そこで林さんは「イマジン」を演奏。昔から好きだった音楽が、外相として各国の閣僚と過ごす場にも自然に入り込んでいました。
2026年も海外でピアノを弾く「音楽外交」
音楽を交えた交流は、その後も続いています。2026年5月の欧州訪問では、夕食会場にピアノがあるのを見つけて演奏。本人は「そこにピアノがあるから」と冗談を添えながら、ビートルズの曲を披露しました。
本人が添えたのは「音楽は世界共通言語」という言葉でした。中学時代に友人と始めたバンド活動が、数十年後には海外で人と距離を縮める方法にもなっています。
米子鬼太郎空港ではビリー・ジョエルを演奏
2026年7月には、鳥取県の米子鬼太郎空港に置かれたピアノにも座りました。演奏したのはビリー・ジョエルの「New York State of Mind」です。
翌日には全国知事会議の会場で山本一太・群馬県知事と「Let It Be」やGi!nzの「東京卒業」も演奏。65歳になった2026年も、学生時代から続く楽器との時間は変わらず生活の中にあります。
林芳正氏の「本人の言葉」から素顔を見る
家族や学生時代、趣味、価値観などについて、 本人が実際に語った言葉から、 人物像をさらに詳しく見ていきます。
2年かけて13キロ減量
2年ぐらいかけてダイエットしていましたので、13キロぐらい落ちたんです。
林氏は食べ過ぎ・飲み過ぎに気をつけながら、約2年かけて13キロ減量した経験を語っています。
お酒と体重管理
音楽を通じた人付き合い
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